アーサーcクラークの名言
アーサーcクラークの名言として、『未来のプロファイル』とその改訂版において次の3つの法則が提唱されています。いわゆる「クラークの三法則」と呼ばれるものです。
高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。
非常に示唆に富んだ名言です。老いた名科学者は、自然保守的にならざるを得ないということでしょうか。そのものが「できる」といえばでき、逆に「不可能だ」といってもできるということは…。言葉以上の深い意味を感じずにはいられません。
可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。
訳者が先走って「第2法則」としてしまい、あとからクラーク本人が追認した言葉です。ありとあらゆる方法論を駆使し、不可能に行きついたとき、はじめて「限界」が認知される。翻って見れば、人類の歴史はこの繰り返しであったといえます。
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。
「第2法則」追認にあわせ、クラーク本人が提唱した「第3法則」です。古代の人びとに21世紀の科学技術を見せれば「魔法」だと思うでしょう。逆にはるかに進んだ文明がわれわれの目の前に姿を現すとき、私たちにはそれが「魔法」であると映る筈です。
アーサーcクラークにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「特許を取らなかったクラーク」
1945年、アーサーcクラークは、静止衛星の概念から人工衛星同士の無線通信技術構想を科学雑誌『Wireless World』に発表します。この論文で15ポンドの報奨金を受け取りますが、現在では数十億円規模の価値があるといわれています。
「特許を申請していれば……」と惜しむ周囲に、アーサーcクラークは「自分が生きている間に実現すると思わなかった」と飄々と答えています。
都市伝説・武勇伝2「クラークが呼んだ?死の間際の天体イベント」
2008年3月19日、うしかい座の方角にガンマ線バーストが発見されます。ガンマ線バーストは光度の高い物理現象で、超新星爆発やブラックホールとの関連が指摘されています。
「GRB 080319B」と名づけなれたこのガンマ線バーストの数時間後、アーサーcクラークが死去したことから「クラークイベント」と名付けようとする動きがあります。ひょっとしたら死の間際のクラークに気づいた、異星人からのメッセージなのかもしれません。
アーサーcクラークの簡単年表
アーサーcクラークは、1917年に英国サマセット州マインヘッドに誕生しました。
1930年、13歳になったクラーク少年は、アメリカのSF雑誌「Amazing Stories」を読み、SFに興味をもちました。同年、マインヘッド公共図書館にて『最後にして最初の人類』(オラフ・ステープルドン)を読み、感銘を受けました。
1936年、グラマースクールを卒業したアーサーcクラークは、公務員として勤務しますが、その後英国空軍に属します。1943年には空軍少尉に昇進し、レーダー(を利用した早期警戒)システムの構築に貢献しました。
その後、キングスカレッジ(ロンドン)で物理学・数学を学び、1946年に卒業しています。
1950年、アーサーcクラークは本格的に執筆活動を開始しました。
1953年には、『幼年期の終わり』が大ヒットします。この作品で経済的な自由を獲得したクラークは、スキューバダイビングの趣味に熱中するようになります。同年、米国人Marilyn Mayfieldさんと結婚するも半年で婚姻関係は破綻してしまいます。
1956年、アーサーcクラークは、スリランカへ移住します。趣味のスキューバダイビングが高じたためとされていますが、スリランカの気候風土・風俗など総合的にスリランカを愛したことがわかっています。
1968年には『2001年宇宙の旅』の映画公開、小説発表を行います。また、1973年には『宇宙のランデヴー』を著し、名だたるSF文学賞を総なめにしています。1979年には『楽園の泉』を発表しており、この時代は、非常にパワフルにヒット作をとばしつづけた時期となりました。
1988年、アーサーcクラークは、ポリオ後症候群を発症します。その後は病気の影響で車いす生活となりました。
1998年には、英国においてナイトの称号を得ます(授賞式は2000年5月に実施されました)。また、2005年にはスリランカにおいて文民最高勲章「Sri Lankabhimanya」を受章しました。
2008年3月19日、アーサーcクラークは、ポリオ後症候群による呼吸困難と心不全により、自宅にて死去しました。享年90歳。今も共同墓地Borella Cemetery(コロンボ)に眠っています。
アーサーcクラークの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
楽園の日々―アーサー・C・クラークの回想 (ハヤカワ文庫SF)
1989年、クラーク89歳の作品で、ユーモアとサービス精神をふんだんにとりこみ自身の半生を語っています。どこまでも純粋で透明な、宇宙への熱情。クラーク作品の登場人物が実存するごとく感じられます。
最終定理 (ハヤカワ文庫SF)
クラークが最後の力を振り絞って執筆にあたっていた本書は、フレデリック・ポールとの共著です。このコンビでの共著は最初で最後の作品となりました。クラークからの最後のプレゼント(=遺作)としてふさわしい一冊です。
おすすめの映画
2001年宇宙の旅 [Blu-ray]
SF史に残る名作です。あまり知られていないですが、小説版は本作の「原作」としてではなく、映画公開後に発表されたものでした。展開がスローリーだとの批判がありますが、当時、米ソが宇宙開発でしのぎを削っていた時代には、映画としてこのテンポでよかったと思います。内容をつかむため、小説版をあわせ読むことをお勧めします。
2010年 [Blu-ray]
映画『2001年宇宙の旅』の続編です。抽象的・哲学的で尖っていた前作とは路線を変更し、ドラマらしいドラマとして仕上がっています。前作の謎解きとしての位置づけもありつつ、新たな謎も感じられる本作。アーサーcクラーク作品の醍醐味を得られる作品です。
関連外部リンク
AFPBB News SFの巨匠、アーサー・C・クラークさんの生涯
アーサーCクラークについてのまとめ
アーサーcクラーク作品の特徴は、科学技術の進歩あるいは他の先進文明との邂逅から人類の文明がより高度に進歩するユートピア的設定にあります。とかくSFにおいては、ディストピア的な色彩をもつ作品が多い中で、アーサーcクラークの世界はとにかく前向きで肯定的です。
とはいえ、決して軽薄に流れるわけではなく、生と死や文明批判といった重厚なテーマ性も兼ね備えています。クラークは、その上で作中人物(人類)にあたらしいステップを踏ませているのです。これはクラーク本来の人間的な朗らかさによるものかもしれませんが、SFに限らず文学全般を俯瞰しても、稀有な例だといえます。
この記事が多くの方にとって、アーサーcクラーク作品との出会いの助けとなれば幸いです。