由利公正の簡単年表
生誕
1829(文政12)年11月11日、福井城下の毛矢町(現在の福井県福井市毛矢)にて、福井藩士であった三岡義知の長男として、三岡石五郎(後の由利公正)が生まれました。
松平慶永との出会い
1843(天保14)年、福井藩16代藩主松平慶永の初めてのお国入りの際、石五郎は初めての御目見をします。
横井小楠との出会い
1851(嘉永4)年、福井を訪れた横井小楠と出会い、学問の道へと進む決意をします。
結婚
1856(安政3)年6月、福井藩士である今村伝兵衛の長女たか(高)と結婚します。
福井藩財政改革
1858〜1859(安政5〜6)年、殖産興業を推進し、福井藩の財政を立て直します。その最中、安政の大獄が起き、松平慶永は隠居・謹慎の身の上となり、共に国事に奔走していた橋本左内は刑死しました。
改名
1862(文久2)年11月、三岡石五郎から三岡八郎に改名します。
挙藩上洛を画策
天誅が日常茶飯事となり、混迷を極めていた京都を武力で抑え込み、朝廷を守護して公武一致の政体を作るため、1863(文久3)年に福井藩は挙藩上洛計画を立てました。しかし失敗し八郎は蟄居・幽閉を命じられます。
坂本龍馬との会談
1867(慶応3)年11月、福井城下で坂本龍馬と会談しました。龍馬はその直後の11月10日、京都で暗殺されます。
明治新政府に参画
1868(慶応4・明治がん年、八郎は新政府に招かれ、参与(後の大臣)として経済を担当します。五箇条の御誓文を起案、太政官札発行、軍費調達などに勤しみました。
「由利公正」の誕生
1870年、祖先の姓であった「由利」を名乗るようになります。
東京府知事
1871年7月〜1872年7月まで、第四代東京府知事に就任します。
民選議院設立の建白書
ヨーロッパ視察で研究した議院制度などの知識を生かし、民選議院設立の建白書を政府に提出しました。
元老院議官そして貴族院議員
1875年、元老院議官に就任します。1890年には貴族院議員になりました。
有隣生命保険株式会社社長と日本興業銀行期成同盟会会長
1894年3月、有隣生命保険株式会社(後に明治生命と合併)を設立して社長に就任します。1899年8月には、日本興業銀行(現在のみずほ銀行)期成同盟会の会長に就任しました。
死去
1909年4月28日、由利公正が息を引き取ります。享年81歳でした。従二位に叙せられ、旭日大綬章を授けられました。
由利公正に関するドラマや動画・書籍
ドラマ・動画篇
龍馬伝
第48回で坂本龍馬が福井を訪れたシーンに三岡八郎が登場します。史実で言うと、この時期は八郎が謹慎中で、松平春嶽も一緒の席につくことはありえないのですが、一年にわたる大河ドラマの最終回として、龍馬が死ぬ直前まで色々な人たちに後を託す気持ちが伝わってきて、良かったと思います。
実際に三岡八郎は、この龍馬の推挙によって明治新政府に登用されることになりましたし、三岡八郎がいなければ、新政府の財政は成り立たなかったかもしれません。本当に僅かな登場でしたが、三岡八郎を世に出すきっかけを作ったことが、坂本龍馬の功績の一つであるということも伝えてくれた作品です。
五箇条の御誓文
木戸孝允が修正した五箇条の御誓文が見られます。公布されたのは1868年3月14日、まだ戊辰戦争真っ只中の、江戸城無血開城が決まった頃のことでした。
→ 動画はこちらから
書籍篇
竜馬がゆく
司馬遼太郎が手掛けた、「坂本龍馬」を描いた大人気歴史小説です。由利公正も登場します。司馬遼太郎著作の中でもとても読みやすい作品で、筆者も小学生の時に読み、由利公正という人の存在を初めて知るきっかけになりました。
由利公正自身はあまり知名度がありませんが、周囲にいた人物たちは坂本龍馬をはじめとして軒並み有名人ですし、五箇条の御誓文など日本史の教科書に太字で載るような仕事に多く関わっていました。そういう意味でも交友関係や業績から由利公正を知るという方法はおすすめですし、この本もその一助になるはずです。
炎の如く
福井市出身の小説家、大島昌宏が由利公正を主人公に描いた作品です。地元出身の小説家という強みを生かした、まるで目の前に広がっているかのような福井の風景描写が印象的です。
由利公正の、常識や固定の枠組みに囚われることなく、自分が信じる道を突き進む姿勢は、生きる勇気が湧いてきますし、前向きな気持ちになれる作品です。1996年出版ですが、残念ながら入手が難しくなっています。しかし福井県では図書館に所蔵されていますので、取り寄せて読むことは可能です。
幕末・維新人物伝 由利公正(コミック版日本の歴史)
由利公正に特化した作品で手に入れやすい書籍はとても数が少ないです。しかし、そんな中でも一番読みやすく、由利公正について初めて学びたい人におすすめなのが本書です。マンガなので内容がとっつきやすいだけでなく、簡単な年表もついているので、歴史の流れの上で由利公正の人生を見ることができます。
書店の本棚に必ずあるというわけではないですが、取り寄せが可能で、ネット書店では比較的手に入ります。
関連リンク
由利公正に関するまとめ
いかがでしたか?その生涯を見てみると由利公正は、志半ばで倒れてしまった橋本左内や坂本龍馬たちの熱い思いを受け止め、尚且つ自らの理想とする国家像に近づけるべく奔走した志士だということがよくわかります。
そして、藩という枠から逃れることの難しかったこの時代に、いち早く日本国というスケールで物事を捉えることのできた先見性は素晴らしく、その由利公正の才を見抜いて新政府に登用するよう強く働きかけたことは、坂本龍馬の隠れた業績だとも思います。
幕末の志士というと、薩摩藩や長州藩、土佐藩といった雄藩の武士たちのイメージが強いかもしれませんが、彼らの活躍は、思想的に支えた横井小楠や橋本左内、そして由利公正の存在があってこそのものでした。特に明治という新しい世は、由利公正の発想力・行動力がなければ始まらなかったといっても過言ではないでしょう。
この記事を通じて、由利公正に目を向けてくれる人が一人でも増えてくれたら、この上なく嬉しく思います。