ウパニシャッド哲学って何だろう?
聞きなれない言葉だし、難しそうだな…。
普段、あまり耳にすることのない「ウパニシャッド哲学」という言葉。哲学というと、ソクラテスやニーチェなどヨーロッパの哲学者を思い浮かべる人が多いですが、このウパニシャッド哲学は東洋思想の1つです。成立したのは紀元前1200年ごろ、かなり古い時代からある哲学となっています。
実は、ウパニシャッド哲学は現在私たちに馴染みのあるスポーツと深いかかわりがあります。古代から伝わる哲学がスポーツと関係があるなんて意外ですよね。ここでは、東洋思想やアジア特有の価値観などに関心が深い筆者が、ウパニシャッド哲学の歴史や内容をご紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ウパニシャッド哲学とは
ウパニシャッド哲学を簡単にいうと
ウパニシャッド哲学とは、バラモン教の聖典・ヴェーダの最終章にあたる「ウパニシャッド」という奥義書をもとにした哲学です。成立した紀元前10世紀から紀元前5世紀ごろのインドの神秘思想がたっぷりつまっています。その後に生まれてくるインド哲学や東洋思想の源となりました。
バラモン教とは
バラモン教とは、紀元前13世紀ごろにインド西部に侵入してきたアーリア人が、先住民のドラヴィダ人を支配する過程で生まれてきた宗教です。インドには現在もカースト制が存在していますが、「バラモン」というのはカーストのトップである司祭階級の名前で、ブラフミンとも呼ばれています。
バラモン教の聖典・ヴェーダには、神への讃歌や祭祀の手順、それらの神学的意味などが書かれているのですが、その最終章であるウパニシャッドにはバラモン教の哲学が書かれていました。けれども紀元前10世紀から紀元前6世紀ごろの後期ヴェーダ時代、祭祀がどんどん形だけになっていくことに不満をもった人々がウパニシャッドをもとに思索を通して真理を探求しはじめます。そうして生まれたのがウパニシャッド哲学です。
ウパニシャッド哲学の内容は
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想とは
ウパニシャッド哲学の中心となった思想が「梵我一如」です。宇宙の原理である「梵」と自己の中心である「我」が相似的に同じであるという境地に達することで、自分自身がもつ「業」がもたらす輪廻から解き放たれ、解脱(げだつ)できるとされました。解脱に至ると、永遠の幸せが手に入るといわれています。
「梵」「我」はあまり馴染みのない言葉ですが、「業」や「輪廻」は仏教の教えでも聞かれますね。これからそれぞれの用語について詳しく説明していきます。
「業」「輪廻」とは
「業」とは「カルマ」と呼ばれ、身体的な行為や発言、頭で思ったことなどを指します。人間の行為や発言、思考はその場限りのものではなく、その人が亡くなった後もその魂に受け継がれます。仏教に由来する言葉に「因果応報」というものがありますが、ある結果が起こる原因は今世のものではなく、過去にその人の魂が生きていた人生で起こしたことが原因である、というイメージが「業」です。
この「業」の思想が成り立つのは、輪廻転生の思想があるからです。業のある限り、人は何度でも生まれ変わって魂の修行を続けるというのが「輪廻転生」です。生まれ変わり続けている間、人間は業から解放されないために「解脱」を目指しました。
「梵(ブラフマン)」とは
「梵」は「ブラフマン」とも呼ばれ、宇宙全体を支配する根本原理のことを指します。「原理」というと法則や決まりごとのようなものを想像してしまいますが、ブラフマンの語源となったサンスクリット語が「力」を意味しているように宇宙に満ちるエネルギーのようなものと考えると分かりやすいでしょう。
ブラフマンは外界にあるすべてのものと活動の背後にあって、変わることのないものです。不変なので「原理」と呼ばれるのでしょう。宇宙にあるすべての存在に浸透しているため、バラモン教やヒンドゥー教の神々もブラフマンの現れとされています。