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Q1/Q30
第二次世界大戦の間接的な原因となった「世界恐慌」。この世界恐慌のきっかけとなったウォール街の大暴落を何という?
ブラックサーズデーとは、1929年10月24日、アメリカ・ウォール街にて株価が大暴落し始めた日の事を刺した言葉です。その影響は世界中へと広がって世界恐慌へと経済不況が続き、回復したのは第二次世界大戦終戦後となりました。
Q2/Q30
世界恐慌のあおりを受け、世界各国で独自の経済政策を打ち出しました。その中で、イギリスやフランスが行った経済政策とは?
イギリスやフランスは、植民地や隣国とのグループを結成し、グループ内で経済を回すブロック経済を行いました。このブロック圏に入れなかったイタリアやドイツなどが、新たな地域への侵攻を目論むようになりました。
Q3/Q30
世界恐慌からの不況脱却のためにアメリカが打ち立てた新規まき直しを意味する「ニューディール政策」。では、この政策を行った大統領は誰?
ルーズベルトは大統領就任後、経済対策として大規模雇用や公共事業の展開など景気回復を目指したニューディール政策を発表しました。その結果、第二次世界大戦後の資本主義国のリーダー的存在までに成長することが出来ました。
Q4/Q30
1931年9月18日、南満州鉄道が爆破される「柳条湖事件」が発生。これを機に、関東軍が満州を占領する事件へと発生しました。この一連の事件を何という?
当初はこれらの事件は中国国民軍の張学良軍の犯行であることが疑われましたが、後にリットン調査団らの調査により関東軍の犯行であることが明らかにされました。
Q5/Q30
1932年、ロンドン海軍軍縮条約を結んでいた政府に不満を持っていた海軍青年将校生たちによって、犬養毅らが暗殺されたクーデター事件は次のうちどれでしょう?
1932年5月15日、海軍青年将校生たちによって首相官邸が襲撃され、首相であった犬養毅が暗殺されました。この結果、政党内閣が倒れ、挙国一致内閣が成立し、日本は徐々に軍部が政治の実権を持つようになってしまいました。
Q7/Q30
1933年2月、満州国における日本の撤兵勧告案が可決され、日本代表者である松岡洋石はこの機関からの脱退を表明。この機関とはいったいどこでしょう?
3月に日本が脱退し、秋にはドイツも脱退、1933年にはイタリアが脱退するなど連盟国の脱退やアメリカの不参加など集団安全保障の理念に乗っ取っていない機構だったため、第二次世界大戦を抑えることが出来なかったと言われております。
Q8/Q30
日本、ドイツ、イタリアなど権力により労働者などを押さえつけ、外国に対して侵略行為を行うといった独裁政治の事をなんと言うでしょうか?
イタリアのファシスト党にちなんで名付けられた独裁政治やその思想などを包含した意味の言葉。日本では「軍国主義」と言う意味合いでも使われております。
Q9/Q30
1936年に開催され、ヒトラーによる開会宣言などでナチスの宣伝に利用されたオリンピック、では開催された国はどこでしょうか?
ベルリン五輪は、1916年に開催地として内定していたものの、第一次世界大戦の影響により中止、1931年の決選投票により開催が決定した。1933年に総統に就任したヒトラーの力を知らしめる、プロパガンダ効果の高い大会となりました。
Q10/Q30
1935年10月にイタリアはある国へ侵攻し、空爆と毒ガス攻撃を駆使してその国を併合しました。さて、併合された国とはどこでしょう?
エチオピアは1895年にもイタリアからの侵攻を受けており、第二次エチオピア戦争にて敗北し、イタリアの植民地となりました。
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素晴らしいクイズですね。勉強になります。