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未回収のイタリアって何?場所や内容、オーストリアとの関係を解説

「未回収のイタリアって何?」
「未回収のイタリアってどこにあるの?」
「どうして、未回収のイタリアとオーストリアが関係するの?」

この記事にたどり着いたあなたは、このようにお考えではないでしょうか。
未回収のイタリアとは、イタリア王国成立後もオーストリア領として残された地域のことです。

イタリア国民はイタリア人が多く住む未回収のイタリアの回収を求めたため、イタリア政府は普墺戦争や第一次世界大戦の機会をとらえて未回収のイタリアの回収に努めます。

1919年のサン=ジェルマン条約でイタリアは未回収のイタリアの大半を取り戻すことに成功しましたが、隣国オーストリアやユーゴスラヴィアとの国境紛争が発生します。

この記事では、未回収のイタリアの場所やオーストリアとの関係、未回収のイタリアの回収、第一次世界大戦後の国境問題などについてまとめます。

未回収のイタリアとは

第一次世界大戦後のイタリア王国の地図

未回収のイタリアとは、1861年のイタリア統一(リソルジメント)の後もオーストリア領として残された南チロルや旧ヴェネツィア共和国の領土のことです。これらの地域はイタリア人が多く居住することから、イタリア国民がイタリアへの併合を強く望みました。

イタリア統一後も、オーストリアは旧ヴェネツィア共和国領を手放さなかったため、イタリア国民はこれら「未回収のイタリア」をオーストリアから取り戻すべきだと考えます。

イタリアは普墺戦争でプロイセンに味方し、旧ヴェネツィア共和国領の大半を奪回します。さらに、第一次世界大戦後のサン=ジェルマン条約で南チロルとトリエステをとりもどし、未回収のイタリアは解消されました。

オーストリアと未回収のイタリアとの関り

オーストリアを支配したハプスブルク家の旗

オーストリアによる北イタリア支配

サルデーニャに勝利し北イタリアを支配したラデツキー将軍

そもそも、なぜ、オーストリアが北イタリアを支配していたのでしょうか。その根源はドイツにあった神聖ローマ帝国がイタリアに干渉したイタリア政策にあります。

神聖ローマ帝国はドイツとイタリアを支配するキリスト教国家で、ローマ教皇と深く結びついていました。しかし、皇帝と教皇が対立すると皇帝はたびたびイタリアに軍を送ってイタリアに干渉します。その神聖ローマ帝国の皇帝の地位にあったのがオーストリアのハプスブルク家でした。

18世紀末から19世紀初めのナポレオン戦争でイタリア北東部にあったヴェネツィア共和国はナポレオンに滅ぼされます。ナポレオン戦争後に開かれたウィーン会議では、旧ヴェネツィア共和国領やミラノなどのロンバルディア地方はオーストリアの支配地とされます。

1848年、サルデーニャ王カルロ=アルベルトはミラノで起こった市民蜂起に乗じてオーストリアに宣戦布告し、ロンバルディア地方の獲得を狙いました。しかし、1849年にラデツキー将軍率いるオーストリア軍に大敗し、カルロ=アルベルトは退位せざるを得ませんでした。

イタリア統一戦争でロンバルディアを得る

イタリア統一の立役者となった首相カヴール

1852年、カヴールがサルデーニャの首相になると、にわかに事態が動き始めます。カヴールはオーストリアに対抗するためイギリスやフランスの協力を得ようと考えました。そのため、カヴールはロシアとイギリス・フランスが戦っていたクリミア戦争にサルデーニャ軍を参戦し、イギリス・フランスを支援します。

クリミア戦争でフランス皇帝ナポレオン3世の心象を良くしたカヴールは、1858年にナポレオン3世とプロンビエールの密約を結びます。カヴールは、フランスが欲しがっていたサヴォイアとニースを割譲する代わりに、対オーストリア戦争での支援を受けることに成功します。

1859年、フランスの後ろ盾を得たカヴールはオーストリアに宣戦布告しイタリア統一戦争が始まります。サルデーニャ・フランス両軍はソルフェリーノの戦いでオーストリアに勝利し、戦争を有利に進めました。

ところが、ナポレオン3世はオーストリアと勝手に講和を結んでしまいます。はしごを外されたサルデーニャは仕方なく、オーストリアとの講和に応じました。イタリア統一戦争ではロンバルディア地方を得たにとどまり、旧ヴェネツィア領はオーストリアに残されます。

普墺戦争でヴェネツィアを奪還

18世紀前半のヴェネツィア、サンマルコ広場

イタリア統一戦争に勝利したサルデーニャは、1860年に中部イタリアを併合します。さらに、1861年にガリバルディが南イタリアにあった両シチリア王国を平定しサルデーニャ王に献上したことから、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世を国王とするイタリア王国が成立します。

イタリアはオーストリアから旧ヴェネツィア共和国領を奪い返すチャンスを虎視眈々と狙います。そして、その機会は1866年に訪れました。この年、オーストリアはプロイセンと普墺戦争を戦うことになったからです。

イタリアはプロイセンと同盟しオーストリアに宣戦布告します。イタリア軍は念願のヴェネツィア奪還を果たしました。しかし、普墺戦争がわずか7週間で決着してしまったため、南チロルやトリエステなどの地域は占領できませんでした。

この時、オーストリアから取り戻すことができなかった南チロルやトリエステのことを「未回収のイタリア」と呼ぶようになります。イタリア国民は未回収のイタリアをとりもどすことを熱望するようになりました。

三国同盟で未回収のイタリア問題を棚上げ

三国同盟を締結させたビスマルク

スペイン王位継承問題によって対立していたプロイセンとフランスは1870年に普仏戦争に突入しました。イタリアはローマ教皇領を守っていたフランス軍が撤退したのに乗じてローマを占領し、イタリア半島の大半を統一します。

普仏戦争に勝利したプロイセンはドイツ統一を成し遂げました。その立役者が宰相のビスマルクです。ビスマルクはフランスからアルザス・ロレーヌ地方を奪い、高額の賠償金をフランスに課しました。

ビスマルクはフランスがドイツに復讐することができないよう、フランスを孤立させようと考えます。そのために、オーストリアやイタリアと三国同盟を結びました。

イタリアとしては「未回収のイタリア」問題があるのでオーストリアとの対立していたのですが、ビスマルクの調停により「未回収のイタリア」問題を棚上げし、三国同盟に参加しました。

未回収のイタリアの回収

イタリア軍とオーストリア軍が戦ったアルプス周辺地域の地図

ドイツでヴィルヘルム2世が即位すると、フランスの孤立を最優先とするビスマルク外交が崩れます。それとともに、イタリア国内ではオーストリアから未回収のイタリアを取り戻すべきだとする世論が高まりました。

1914年7月、サライェヴォ事件をきっかけに第一次世界大戦がはじまりました。イタリアは三国同盟に基づき、ドイツ・オーストリア側として参戦すると考えられました。ところが、イタリアは中立を宣言します。

開戦の翌年、イタリアはイギリス・フランスと秘密に交渉を行い、ロンドン秘密条約を結びました。この条約は、イタリアがイギリス・フランスなどの連合国として参戦する見返りに、未回収のイタリアを獲得するという内容です。

未回収のイタリアを獲得する密約を結んだイタリアは三国同盟を破棄しました。そして、ドイツ・オーストリアに宣戦布告します。その後、第一次世界大戦は連合国の勝利に終わり、イタリアも戦勝国となりました。

戦争終了後、イタリアはオーストリアとサン=ジェルマン条約を結び、南チロルとトリエステを併合します。ようやく、未回収のイタリア問題は解決しました。

戦後に残されたイタリアの国境問題とは

トリエステ問題

トリエステ市遠景

トリエステはアドリア海の奥に位置する重要な港です。イタリア統一後もオーストリア領として残され、イタリアとオーストリアが領有権をめぐって対立し続けましたが、サン=ジェルマン条約でトリエステはイタリア領となります。

ところが、第一次世界大戦後に成立したユーゴスラヴィアもトリエステの領有権を主張し、イタリアとあらそったため、トリエステをめぐる国境問題は継続します。

イタリア国内の強硬派はトリエステはもちろん、隣接するユーゴスラヴィア領フィウメもイタリア領だと主張しました。1924年、政権を握ったムッソリーニはユーゴスラヴィアと交渉してフィウメをイタリア領としました。

第二次世界大戦後、イタリアはフィウメをユーゴスラヴィアに返還します。トリエステについては、トリエステの市街地はイタリア領、トリエステの南側にある地域はユーゴスラヴィア領とすることで決着がつきました。

南チロル問題

チロルの地名のもととなったチロル城

南チロルは、オーストリアを支配するハプスブルク家の領地でした。イタリア王国成立後も、南チロルはオーストリア領とされます。イタリアの国民はトリエステと同じく南チロルも未回収のイタリアとみなし、オーストリアから取り戻すべきだと考えました。

第一次世界大戦後のサン=ジェルマン条約の結果、南チロルもイタリア領となります。しかし、南チロルは北部のポルツァーノを中心に、ドイツ系住民が多数占める地域でした。ムッソリーニ政権は南チロルでドイツ語を禁止します。

第二次世界大戦後、オーストリアは南チロルの返還を要求し国際連合に提訴しました。しかし、オーストリアの主張は却下され、南チロルは戦後もイタリア領とされます。

1961年、南チロルで「火の夜」とよばれる大規模なテロ事件が起きました。発電所を中心に大規模な被害が発生したため、イタリア政府はテロに関与した100名以上を逮捕しました。それと同時に南チロルの自治を拡大するなど問題解決に努めます。

未回収のイタリアに関するまとめ

いかがだったでしょうか。

未回収のイタリアは、イタリア統一後もオーストリアが支配した旧ヴェネツィア共和国領の一部(特にトリエステと南チロル)を指す言葉です。イタリア国民の多くが、未回収のイタリアであるトリエステや南チロルの併合を臨んだため、イタリア政府も未回収のイタリア問題の解決に努めます。

1914年に始まった第一次世界大戦で、イタリアは三国同盟を破棄し、連合国の一員となってオーストリアと戦います。その結果、未回収のイタリアを回収することができました。

ところが、第一次世界大戦後にトリエステや近隣のフィウメをめぐってユーゴスラヴィアと衝突したり、南チロルでオーストリアと衝突するなど未回収のイタリアの周辺地域で領土問題が発生しました。

未回収のイタリアとは何なのか、未回収のイタリアとはどの地域のことか、第一次世界大戦後のイタリアの領土問題はどうなったのか、などについて「そうだったのか!」と思える時間を提供できたら幸いです。

長時間をこの記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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