三国同盟で未回収のイタリア問題を棚上げ
スペイン王位継承問題によって対立していたプロイセンとフランスは1870年に普仏戦争に突入しました。イタリアはローマ教皇領を守っていたフランス軍が撤退したのに乗じてローマを占領し、イタリア半島の大半を統一します。
普仏戦争に勝利したプロイセンはドイツ統一を成し遂げました。その立役者が宰相のビスマルクです。ビスマルクはフランスからアルザス・ロレーヌ地方を奪い、高額の賠償金をフランスに課しました。
ビスマルクはフランスがドイツに復讐することができないよう、フランスを孤立させようと考えます。そのために、オーストリアやイタリアと三国同盟を結びました。
イタリアとしては「未回収のイタリア」問題があるのでオーストリアとの対立していたのですが、ビスマルクの調停により「未回収のイタリア」問題を棚上げし、三国同盟に参加しました。
未回収のイタリアの回収
ドイツでヴィルヘルム2世が即位すると、フランスの孤立を最優先とするビスマルク外交が崩れます。それとともに、イタリア国内ではオーストリアから未回収のイタリアを取り戻すべきだとする世論が高まりました。
1914年7月、サライェヴォ事件をきっかけに第一次世界大戦がはじまりました。イタリアは三国同盟に基づき、ドイツ・オーストリア側として参戦すると考えられました。ところが、イタリアは中立を宣言します。
開戦の翌年、イタリアはイギリス・フランスと秘密に交渉を行い、ロンドン秘密条約を結びました。この条約は、イタリアがイギリス・フランスなどの連合国として参戦する見返りに、未回収のイタリアを獲得するという内容です。
未回収のイタリアを獲得する密約を結んだイタリアは三国同盟を破棄しました。そして、ドイツ・オーストリアに宣戦布告します。その後、第一次世界大戦は連合国の勝利に終わり、イタリアも戦勝国となりました。
戦争終了後、イタリアはオーストリアとサン=ジェルマン条約を結び、南チロルとトリエステを併合します。ようやく、未回収のイタリア問題は解決しました。
戦後に残されたイタリアの国境問題とは
トリエステ問題
トリエステはアドリア海の奥に位置する重要な港です。イタリア統一後もオーストリア領として残され、イタリアとオーストリアが領有権をめぐって対立し続けましたが、サン=ジェルマン条約でトリエステはイタリア領となります。
ところが、第一次世界大戦後に成立したユーゴスラヴィアもトリエステの領有権を主張し、イタリアとあらそったため、トリエステをめぐる国境問題は継続します。
イタリア国内の強硬派はトリエステはもちろん、隣接するユーゴスラヴィア領フィウメもイタリア領だと主張しました。1924年、政権を握ったムッソリーニはユーゴスラヴィアと交渉してフィウメをイタリア領としました。
第二次世界大戦後、イタリアはフィウメをユーゴスラヴィアに返還します。トリエステについては、トリエステの市街地はイタリア領、トリエステの南側にある地域はユーゴスラヴィア領とすることで決着がつきました。
南チロル問題
南チロルは、オーストリアを支配するハプスブルク家の領地でした。イタリア王国成立後も、南チロルはオーストリア領とされます。イタリアの国民はトリエステと同じく南チロルも未回収のイタリアとみなし、オーストリアから取り戻すべきだと考えました。
第一次世界大戦後のサン=ジェルマン条約の結果、南チロルもイタリア領となります。しかし、南チロルは北部のポルツァーノを中心に、ドイツ系住民が多数占める地域でした。ムッソリーニ政権は南チロルでドイツ語を禁止します。
第二次世界大戦後、オーストリアは南チロルの返還を要求し国際連合に提訴しました。しかし、オーストリアの主張は却下され、南チロルは戦後もイタリア領とされます。
1961年、南チロルで「火の夜」とよばれる大規模なテロ事件が起きました。発電所を中心に大規模な被害が発生したため、イタリア政府はテロに関与した100名以上を逮捕しました。それと同時に南チロルの自治を拡大するなど問題解決に努めます。
未回収のイタリアに関するまとめ
いかがだったでしょうか。
未回収のイタリアは、イタリア統一後もオーストリアが支配した旧ヴェネツィア共和国領の一部(特にトリエステと南チロル)を指す言葉です。イタリア国民の多くが、未回収のイタリアであるトリエステや南チロルの併合を臨んだため、イタリア政府も未回収のイタリア問題の解決に努めます。
1914年に始まった第一次世界大戦で、イタリアは三国同盟を破棄し、連合国の一員となってオーストリアと戦います。その結果、未回収のイタリアを回収することができました。
ところが、第一次世界大戦後にトリエステや近隣のフィウメをめぐってユーゴスラヴィアと衝突したり、南チロルでオーストリアと衝突するなど未回収のイタリアの周辺地域で領土問題が発生しました。
未回収のイタリアとは何なのか、未回収のイタリアとはどの地域のことか、第一次世界大戦後のイタリアの領土問題はどうなったのか、などについて「そうだったのか!」と思える時間を提供できたら幸いです。
長時間をこの記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。