農民が鍵になる!欧州(中世ヨーロッパ)での封建制度
ヨーロッパでも古くから土地を保護してもらう代わりに国王に忠誠を誓い、戦の時には軍事協力をする諸侯が存在しました。
諸侯は土地とともに農民を自分の所有とすることができたために、収入が保証されていました。これは立派な封建制度でしたが、国王がきちんと諸侯を保護しない場合には、関係はすぐに解消される流動的なものでした。
欧州での封建制度・主従関係はあくまで1対1
ヨーロッパではあくまで直接主従関係を結んだ場合にだけ、封建制度が適用されました。つまり自分の主君にもし仕える相手がいた場合(つまり主君の主君です)でも、その相手には忠誠を誓い、軍事協力をする必要はありませんでした。
そのため、ヨーロッパに封建制度は存在していても、それが国を1つにまとめるためにはそれほど役に立たなかったわけです。
外敵に対抗するために強固になった封建制度
しかし西暦800年代の半ば頃から、ヨーロッパで広大な面積を占めていたフランク王国(現在のフランス、イタリア北部、ドイツ西部、オランダ、ベルギーなどの前身となった王国)は分割され、次第に勢いを失っていきます。するとヨーロッパに他民族の侵入が続いたため、自衛する必要が出てきました。
諸侯の軍事協力は国王にとって必要不可欠となり、流動的であった主従関係は次第に固定され、父親から息子へと代々受け継がれる世襲制へと変わっていきました。
こうしてヨーロッパでも、封建制度が根付いていったのです。
封建制度はなぜ崩壊したのか
効率よく国を治める方法だと思われた封建制度ですが、結局はどこの国でも崩壊してしまいます。それはなぜだったのか、原因を考えてみたいと思います。
中国で封建制度が崩壊した理由
郡県制が登場したために、中国の封建制度は消滅したと言えます。
中国では全土を統一したために、国土が広大になりました。血縁関係に頼って邑を利用するだけでは治めきれなくなったと考えられます。そこでもっと効率よく国を治めるために出てきたのが郡県制です。
この方法なら、一々血縁関係を結ばなくても、君主が選んだ役人を通して思い通りの政治ができます。自分の領地で権力を振るう諸侯の存在がなくなりますから、君主の権力はより大きなものになったことでしょう。
では、ヨーロッパではなぜ封建制度が崩壊したのでしょうか。
貨幣経済の台頭が原因?
中世ヨーロッパで封建制度が崩壊したのは、貨幣経済が台頭したことが原因だと言えます。農作物は長い間貯蔵できませんが、農民は農作物を売ったお金を貯蓄することができるようになりました。こうして裕福な農民が現れ、金の力で諸侯に所有されている立場から逃れる者が現れました。
貨幣経済が始まったばかりの頃、諸侯もできるだけ多くの貨幣が必要だったために、貨幣を出されると言うことを聞いてしまうことも多かったのでしょう。このようにしてヨーロッパでの封建制度は崩壊していったのです。
これは一見日本の封建制度とは関係ないように思えます。ですが、アメリカやヨーロッパの国々の力によって日本が開国し、武士の身分がなくなったことで日本の封建制度は終わりを迎えました。
ヨーロッパでの封建制度の崩壊は日本にも影響を与えたのではないでしょうか。
現代にも残っている?封建制度の名残
封建制度は現代にも残っているのでしょうか。社会で働く人々の間には、いまだに社長を殿様に例える気風があるのは事実でしょう。
自分の意見を言わず、ただ上からの命令を遂行するだけが社会で生き残る術であるかのように思い込んでいる人も多いかもしれません。
しかし、封建という意味を今一度思い起こして欲しいです。封建には封土を分けて諸侯を建てるという意味がありました。まずは殿様の方から、分け与えるものがあってこその封建制度です。
御恩と奉公に表されるように、封建制度はある意味君主と諸侯が対等であることを示しています。私の勤め先は封建的だから仕方がないと何も言えないでいるのは、おかしなことだとわかるはずです。
封建制度に関するまとめ
言葉としてはよく知っているつもりだった封建制度。実際には意外に感じられる面もあったのではないでしょうか。
日本だけではなく、中国やヨーロッパでも見ることができた封建制度は、自分の利益のためだけでなく、昔の人が上手に国を治めるための知恵の結晶でもありました。
今、表面上は封建制度はなくなったために前時代の遺物のように思われています。でも、私たちがそこから学べることはたくさんあるようです。ぜひ、もう1度封建制度について考えてみてください。