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レウクトラの戦いとは?起こった場所や原因、結末、その後の影響も解説

「レウクトラの戦いって何?」
「レウクトラの戦いは、いつ、どこで、誰と誰が戦ったの?」
「レウクトラの戦いで活躍したエパメイノンダスってどんな人?」

このページを訪れた皆さんはこのような疑問を持っているかもしれません。

レウクトラの戦いは紀元前371年にギリシア中部のボイオティア地方にあったレウクトラという平原で、都市国家テーバイ(テーベ)とスパルタがおこなった戦いでした。テーバイの指導者エパメイノンダスは、斜線陣を用いてギリシア最強を誇ったスパルタ軍に勝利します。

この記事ではレウクトラの戦いの背景や経過、勝利の立役者であるエパメイノンダス、彼が用いた斜線陣などについて解説します。

レウクトラの戦いとは?

テーバイ(テーベ)があったボイオティア(BOEOTIA)地方と周辺地図

レウクトラの戦いとは、中部ギリシアのボイオティア地方にあった都市国家テーバイが、ギリシア最強のポリスと言われたスパルタに勝利した戦いです。

勝利の立役者はエパメイノンダスです。エパメイノンダスはボイオティア地方を統一し覇権国家だったスパルタに戦いを挑みます。この時、エパメイノンダスが用いたのが斜線陣という陣形でした。

また、テーバイ軍には「神聖隊」とよばれる最精鋭部隊があり、スパルタ軍に対して一歩も引かない勇敢な戦いを繰り広げます。

レウクトラの戦い後、一時的にテーバイがギリシアの覇権を握りました。しかし、エパメイノンダスがマンティネイアの戦いで敗死したためテーバイの覇権は短期間で終わりました。

レウクトラの戦いが起こるまでの背景

ペロポネソス戦争の地図(赤:アテネ側、青:スパルタ側)

スパルタが勝利したペロポネソス戦争

紀元前500年から紀元前449年にかけて、ギリシアの諸ポリスは西から攻め込んできたペルシア帝国に対し、一致団結して戦いました。この戦争をペルシア戦争といいます。ペルシア戦争後、アテネはデロス同盟を結びギリシアの覇者となりました。

この事態に強い不満を抱いたのがスパルタです。

スパルタに残る劇場あと

スパルタはアテネの支配に不満を持つポリスと手を結び、アテネに戦いを挑みました。こうしてアテネ中心のデロス同盟とスパルタ中心のペロポネソス同盟が戦うペロポネソス戦争が始まります。

アテネの指導者ペリクレスは陸戦で強いスパルタに対抗するため、アテネに籠城しつつ優勢な艦隊を使いペロポネソス半島を攻撃する策を取ります。

アテネの指導者ペリクレス

ところが、戦争開始からしばらくするとアテネで疫病が流行します。この病気のためペリクレスをはじめアテネ市民の6分の1が病死してしまいました。

紀元前421年、アテネとスパルタは一時休戦しますが紀元前415年に戦争が再開されます。紀元前415年から紀元前413年にかけてのシチリア島での戦いでアテネ軍が大敗してから、戦局はスパルタ優位に傾き、紀元前404年にアテネは降伏します。

スパルタの支配に対する反発

古代ギリシアの重装歩兵が用いた鎧

ペロポネソス戦争に勝利したスパルタは、他のポリスに自国の政治システムである寡頭政の導入を強制します。寡頭政とは、少数の指導者が多数の市民を支配するしくみです。スパルタは他のポリスに自国の価値観を押し付けたといってよいでしょう。

スパルタ化されることに反発したアテネをはじめとするポリスは、強大なポリスによるギリシア統一を喜ばないペルシア帝国から資金提供を受け、体制立て直しを図りました。

紀元前395年、アテネ、コリントス、テーバイなど反スパルタのポリスはスパルタ率いるペロポネソス同盟と戦いました。これをコリントス戦争といいます。しかし、強大な陸軍を持つスパルタを倒すことができませんでした。

レウクトラの戦いの原因

竜と戦う神話上のテーバイ王カドモス

テーバイの台頭

レウクトラの戦いはどうして起きたのでしょうか。一番の要因はテーバイの力が強まったからです。テーバイはギリシア中部のボイオティア地方にある都市国家です。

古代テーバイの遺跡

テーバイは南東にアテネ、南にコリントス、南西にスパルタがあり、西に行けば聖地デルフォイに至る交通の要衝でした。

古くから繁栄していたテーバイはギリシア神話にもたびたび登場します。父を殺し母と結婚してしまったオイディプス王(エディプスコンプレックスの語源)はテーバイの王でした。

ペロポネソス戦争ではスパルタと同盟してアテネと戦います。戦争終結後、スパルタに併合されることを恐れたテーバイはスパルタから離反し、コリントスとともに反スパルタ同盟の中核を担いました。

テーバイの指導者エパメイノンダス

テーバイの指導者エパメイノンダス

テーバイ台頭の立役者は指導者エパメイノンダス(または、エパミノンダス)でした。エパメイノンダスは盟友のペロピダスとともにテーバイ軍の一員として数々の戦いに参加しました。

紀元前385年、テーバイとの戦いに勝利しテーバイを占領したスパルタ軍は反スパルタのテーバイ市民を追放しました。ペロピダスも追放されましたが、エパメイノンダスは追放を免れます。ペロピダスとエパメイノンダスは連携してスパルタ軍を追い出す機会を狙いました。

紀元前379年にエパメイノンダスがペロピダスと共にテーバイ市民を率いて蜂起し、スパルタ軍をテーバイから追い出しました。テーバイはスパルタの侵攻に備えて急速に国力を整えます。

レウクトラの戦いでテーバイがスパルタに勝利

古代ギリシア時代の活躍した重装歩兵のイラスト

斜線陣を用いたのがテーバイの勝因

エパメイノンダスがレウクトラの戦いで用いた斜線陣

紀元前371年、テーバイはボイオティア地方の他のポリスと連携しボイオティア同盟を結成します。この動きを反スパルタと見たスパルタ率いるペロポネソス同盟軍はテーバイに攻め込みました。

戦力はテーバイ軍がおよそ7千人、ペロポネソス同盟軍が1万1千人でした。両軍はテーバイ近郊のレウクトラで対陣します。数に勝るペロポネソス同盟軍は最強のスパルタ軍を右翼に置き、他の軍はほぼ均等に配列します。

右手に槍を持ち、左手に盾を持つ古代ギリシアの重装歩兵

スパルタ軍が右翼に布陣したのは、当時の戦争の常識からすれば当然のことでした。重装歩兵は左手に盾、右手に槍を装備するため右側の武装が手薄になるため、右翼には最強の部隊を置くべきと考えられたからです。

一方、エパメイノンダス率いるテーバイ中心のボイオティア同盟軍は全軍の左翼に主力のテーバイ軍を配置しました。極端に左翼が分厚い陣形で、戦いが始まるとすぐにテーバイ軍とスパルタ軍という主力同士が激突します。

エパメイノンダスは自ら率いる主力部隊で敵主力のスパルタ軍を打ち破り、手薄な味方の右翼が敵と戦うころには勝利した左翼部隊が敵の側面や背後に回り込むことを狙います。エパメイノンダスの目論見は見事成功し、ボイオティア同盟軍はペロポネソス同盟軍に勝利します。

テーバイの最強部隊「神聖隊」とは?

陶器に描かれた古代ギリシアの重装歩兵

全軍の左翼に配置されたテーバイ軍のうち、最も強力だったのが神聖隊とよばれた部隊でした。神聖隊は男性同士の恋人150組、300人で編成された部隊です。テーバイは同性愛が盛んな都市だったため編成された部隊だといいます。

テーバイで同性愛が盛んだったのは、テーバイでヘラクレス信仰が盛んだったからでした。アリストテレスによれば、テーバイにはヘラクレスの甥で愛人・従者だったイオラウスの墓があり、その場所は男性同性愛カップルが愛の誓いを立てる場だったといいます。

固い愛のきずなで結ばれた二人は、互いを見捨てることなく最後の最後まで戦い続けたため、神聖隊はギリシア最強を謳われたのでしょう。神聖隊は費用を都市国家テーバイが負担し、平時はひたすら訓練していました。

スパルタ人という戦闘のプロと対等に戦うことができたのは、同じく戦争のプロだった神聖隊しかいなかったのかもしれません。

レウクトラの戦い後のテーバイ

重傷を負い、死に瀕しているエパメイノンダス

レウクトラの戦いでスパルタは王のクレオンプロトス1世が戦死するなど大打撃を受けました。戦いの後、テーバイとスパルタは休戦協定を結びます。

その後、テーバイはスパルタがあるペロポネソス半島に進撃しました。スパルタはテーバイと対抗するためアテネと手を結びテーバイを挟み撃ちにしようとします。

紀元前362年、テーバイ率いるボイオティア同盟軍はアテネ・スパルタ連合軍とマンティネイアで激突しました。エパメイノンダスは自ら前線に出て兵士を鼓舞し戦いを優勢に進めます。

形勢逆転を狙うスパルタ軍はエパメイノンダスに攻撃を集中させ、エパメイノンダスに瀕死の重傷を負わせました。エパメイノンダスは戦いの後に亡くなり、上級士官の多くをマンティネイアで失ったテーバイは急速に衰退します。

レウクトラの戦いに関するまとめ

いかがだったでしょうか。

レウクトラの戦いは紀元前371年にテーバイとスパルタの間で起きた戦いでした。戦いの背景にあったのはスパルタによる強圧的支配への反発とテーバイの台頭でした。

テーバイ台頭の立役者となったのは指導者のエパメイノンダスです。彼は斜線陣を用いてレウクトラの戦いでスパルタに勝利します。勝利に貢献したのがテーバイの最強部隊だった神聖隊でした。

レウクトラの戦い後、エパメイノンダスはスパルタ・アテネ連合軍との戦いで戦死します。以後、テーバイは覇権を失い衰退しました。

レウクトラの戦いとは何なのか、レウクトラの戦いはいつ、誰と誰が戦ったのか、エパメイノンダスとはどんな人物だったのかなどについて「そうだったのか!」と思える時間を提供できたら幸いです。

長時間をこの記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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