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レウクトラの戦いとは?起こった場所や原因、結末、その後の影響も解説

「レウクトラの戦いって何?」
「レウクトラの戦いは、いつ、どこで、誰と誰が戦ったの?」
「レウクトラの戦いで活躍したエパメイノンダスってどんな人?」

このページを訪れた皆さんはこのような疑問を持っているかもしれません。

レウクトラの戦いは紀元前371年にギリシア中部のボイオティア地方にあったレウクトラという平原で、都市国家テーバイ(テーベ)とスパルタがおこなった戦いでした。テーバイの指導者エパメイノンダスは、斜線陣を用いてギリシア最強を誇ったスパルタ軍に勝利します。

この記事ではレウクトラの戦いの背景や経過、勝利の立役者であるエパメイノンダス、彼が用いた斜線陣などについて解説します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

レウクトラの戦いとは?

テーバイ(テーベ)があったボイオティア(BOEOTIA)地方と周辺地図

レウクトラの戦いとは、中部ギリシアのボイオティア地方にあった都市国家テーバイが、ギリシア最強のポリスと言われたスパルタに勝利した戦いです。

勝利の立役者はエパメイノンダスです。エパメイノンダスはボイオティア地方を統一し覇権国家だったスパルタに戦いを挑みます。この時、エパメイノンダスが用いたのが斜線陣という陣形でした。

また、テーバイ軍には「神聖隊」とよばれる最精鋭部隊があり、スパルタ軍に対して一歩も引かない勇敢な戦いを繰り広げます。

レウクトラの戦い後、一時的にテーバイがギリシアの覇権を握りました。しかし、エパメイノンダスがマンティネイアの戦いで敗死したためテーバイの覇権は短期間で終わりました。

レウクトラの戦いが起こるまでの背景

ペロポネソス戦争の地図(赤:アテネ側、青:スパルタ側)

スパルタが勝利したペロポネソス戦争

紀元前500年から紀元前449年にかけて、ギリシアの諸ポリスは西から攻め込んできたペルシア帝国に対し、一致団結して戦いました。この戦争をペルシア戦争といいます。ペルシア戦争後、アテネはデロス同盟を結びギリシアの覇者となりました。

この事態に強い不満を抱いたのがスパルタです。

スパルタに残る劇場あと

スパルタはアテネの支配に不満を持つポリスと手を結び、アテネに戦いを挑みました。こうしてアテネ中心のデロス同盟とスパルタ中心のペロポネソス同盟が戦うペロポネソス戦争が始まります。

アテネの指導者ペリクレスは陸戦で強いスパルタに対抗するため、アテネに籠城しつつ優勢な艦隊を使いペロポネソス半島を攻撃する策を取ります。

アテネの指導者ペリクレス

ところが、戦争開始からしばらくするとアテネで疫病が流行します。この病気のためペリクレスをはじめアテネ市民の6分の1が病死してしまいました。

紀元前421年、アテネとスパルタは一時休戦しますが紀元前415年に戦争が再開されます。紀元前415年から紀元前413年にかけてのシチリア島での戦いでアテネ軍が大敗してから、戦局はスパルタ優位に傾き、紀元前404年にアテネは降伏します。

スパルタの支配に対する反発

古代ギリシアの重装歩兵が用いた鎧

ペロポネソス戦争に勝利したスパルタは、他のポリスに自国の政治システムである寡頭政の導入を強制します。寡頭政とは、少数の指導者が多数の市民を支配するしくみです。スパルタは他のポリスに自国の価値観を押し付けたといってよいでしょう。

スパルタ化されることに反発したアテネをはじめとするポリスは、強大なポリスによるギリシア統一を喜ばないペルシア帝国から資金提供を受け、体制立て直しを図りました。

紀元前395年、アテネ、コリントス、テーバイなど反スパルタのポリスはスパルタ率いるペロポネソス同盟と戦いました。これをコリントス戦争といいます。しかし、強大な陸軍を持つスパルタを倒すことができませんでした。

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