レウクトラの戦いとは?起こった場所や原因、結末、その後の影響も解説

レウクトラの戦いの原因

竜と戦う神話上のテーバイ王カドモス

テーバイの台頭

レウクトラの戦いはどうして起きたのでしょうか。一番の要因はテーバイの力が強まったからです。テーバイはギリシア中部のボイオティア地方にある都市国家です。

古代テーバイの遺跡

テーバイは南東にアテネ、南にコリントス、南西にスパルタがあり、西に行けば聖地デルフォイに至る交通の要衝でした。

古くから繁栄していたテーバイはギリシア神話にもたびたび登場します。父を殺し母と結婚してしまったオイディプス王(エディプスコンプレックスの語源)はテーバイの王でした。

ペロポネソス戦争ではスパルタと同盟してアテネと戦います。戦争終結後、スパルタに併合されることを恐れたテーバイはスパルタから離反し、コリントスとともに反スパルタ同盟の中核を担いました。

テーバイの指導者エパメイノンダス

テーバイの指導者エパメイノンダス

テーバイ台頭の立役者は指導者エパメイノンダス(または、エパミノンダス)でした。エパメイノンダスは盟友のペロピダスとともにテーバイ軍の一員として数々の戦いに参加しました。

紀元前385年、テーバイとの戦いに勝利しテーバイを占領したスパルタ軍は反スパルタのテーバイ市民を追放しました。ペロピダスも追放されましたが、エパメイノンダスは追放を免れます。ペロピダスとエパメイノンダスは連携してスパルタ軍を追い出す機会を狙いました。

紀元前379年にエパメイノンダスがペロピダスと共にテーバイ市民を率いて蜂起し、スパルタ軍をテーバイから追い出しました。テーバイはスパルタの侵攻に備えて急速に国力を整えます。

レウクトラの戦いでテーバイがスパルタに勝利

古代ギリシア時代の活躍した重装歩兵のイラスト

斜線陣を用いたのがテーバイの勝因

エパメイノンダスがレウクトラの戦いで用いた斜線陣

紀元前371年、テーバイはボイオティア地方の他のポリスと連携しボイオティア同盟を結成します。この動きを反スパルタと見たスパルタ率いるペロポネソス同盟軍はテーバイに攻め込みました。

戦力はテーバイ軍がおよそ7千人、ペロポネソス同盟軍が1万1千人でした。両軍はテーバイ近郊のレウクトラで対陣します。数に勝るペロポネソス同盟軍は最強のスパルタ軍を右翼に置き、他の軍はほぼ均等に配列します。

右手に槍を持ち、左手に盾を持つ古代ギリシアの重装歩兵

スパルタ軍が右翼に布陣したのは、当時の戦争の常識からすれば当然のことでした。重装歩兵は左手に盾、右手に槍を装備するため右側の武装が手薄になるため、右翼には最強の部隊を置くべきと考えられたからです。

一方、エパメイノンダス率いるテーバイ中心のボイオティア同盟軍は全軍の左翼に主力のテーバイ軍を配置しました。極端に左翼が分厚い陣形で、戦いが始まるとすぐにテーバイ軍とスパルタ軍という主力同士が激突します。

エパメイノンダスは自ら率いる主力部隊で敵主力のスパルタ軍を打ち破り、手薄な味方の右翼が敵と戦うころには勝利した左翼部隊が敵の側面や背後に回り込むことを狙います。エパメイノンダスの目論見は見事成功し、ボイオティア同盟軍はペロポネソス同盟軍に勝利します。

テーバイの最強部隊「神聖隊」とは?

陶器に描かれた古代ギリシアの重装歩兵

全軍の左翼に配置されたテーバイ軍のうち、最も強力だったのが神聖隊とよばれた部隊でした。神聖隊は男性同士の恋人150組、300人で編成された部隊です。テーバイは同性愛が盛んな都市だったため編成された部隊だといいます。

テーバイで同性愛が盛んだったのは、テーバイでヘラクレス信仰が盛んだったからでした。アリストテレスによれば、テーバイにはヘラクレスの甥で愛人・従者だったイオラウスの墓があり、その場所は男性同性愛カップルが愛の誓いを立てる場だったといいます。

固い愛のきずなで結ばれた二人は、互いを見捨てることなく最後の最後まで戦い続けたため、神聖隊はギリシア最強を謳われたのでしょう。神聖隊は費用を都市国家テーバイが負担し、平時はひたすら訓練していました。

スパルタ人という戦闘のプロと対等に戦うことができたのは、同じく戦争のプロだった神聖隊しかいなかったのかもしれません。

レウクトラの戦い後のテーバイ

重傷を負い、死に瀕しているエパメイノンダス

レウクトラの戦いでスパルタは王のクレオンプロトス1世が戦死するなど大打撃を受けました。戦いの後、テーバイとスパルタは休戦協定を結びます。

その後、テーバイはスパルタがあるペロポネソス半島に進撃しました。スパルタはテーバイと対抗するためアテネと手を結びテーバイを挟み撃ちにしようとします。

紀元前362年、テーバイ率いるボイオティア同盟軍はアテネ・スパルタ連合軍とマンティネイアで激突しました。エパメイノンダスは自ら前線に出て兵士を鼓舞し戦いを優勢に進めます。

形勢逆転を狙うスパルタ軍はエパメイノンダスに攻撃を集中させ、エパメイノンダスに瀕死の重傷を負わせました。エパメイノンダスは戦いの後に亡くなり、上級士官の多くをマンティネイアで失ったテーバイは急速に衰退します。

レウクトラの戦いに関するまとめ

いかがだったでしょうか。

レウクトラの戦いは紀元前371年にテーバイとスパルタの間で起きた戦いでした。戦いの背景にあったのはスパルタによる強圧的支配への反発とテーバイの台頭でした。

テーバイ台頭の立役者となったのは指導者のエパメイノンダスです。彼は斜線陣を用いてレウクトラの戦いでスパルタに勝利します。勝利に貢献したのがテーバイの最強部隊だった神聖隊でした。

レウクトラの戦い後、エパメイノンダスはスパルタ・アテネ連合軍との戦いで戦死します。以後、テーバイは覇権を失い衰退しました。

レウクトラの戦いとは何なのか、レウクトラの戦いはいつ、誰と誰が戦ったのか、エパメイノンダスとはどんな人物だったのかなどについて「そうだったのか!」と思える時間を提供できたら幸いです。

長時間をこの記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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