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ユグノー戦争とは何?原因や流れ、結末をわかりやすく解説

「ユグノー戦争ってどんな戦争?」
「ユグノー戦争はどこで、いつからいつまで続いた戦争?」
「ユグノー戦争の勝者は誰?」

このページをご覧のあなたはそのような疑問を持っているのではないでしょうか。

ユグノー戦争とは16世紀後半のフランスで起きた戦争です。戦争の原因はカトリックとカルヴァン派(ユグノー)との宗教対立でした。ユグノー戦争は宗教対立に加え、フランス王家の策謀や有力貴族どうしの対立などが重なり長期化します。

ユグノー戦争に勝利したのはブルボン家のアンリです。アンリはユグノーでしたがカトリックに改宗し、多数派と妥協します。さらにナントの王令を出してユグノーに信仰の自由を認めました。

今回はユグノー戦争がどんな戦争か、ユグノー戦争で争う3勢力、ユグノー戦争の経緯と勝者、ナントの王令などについて解説します。

ユグノー戦争とは?

ユグノー戦争中の激戦の一つ、ラ・ロシェル包囲戦

ユグノー戦争とは、1562年から1598年までフランスで起きた内戦です。内戦の原因はカトリックとプロテスタント(ユグノー)の宗教的対立でした。

ユグノー戦争時のフランス王家(ヴァロワ朝)は、カトリックとユグノーの対立を利用して王家の立場を強化しようとします。結果的に王家の動きは裏目に出て、内戦は激化してしまいました。

ユグノー戦争序盤は、サンバルテルミの虐殺などがありカトリック優位に進みます。しかし、ユグノー陣営はブルボン家のアンリなどを中心に結束し勢力を保ちます。

ユグノー戦争後半はカトリック勢力、ユグノー、フランス王家が三つ巴の争いを演じました。それに勝ち残ったのがユグノーを率いるブルボン家のアンリでした。

アンリは多数派のカトリックの支持を得るため、自身はカトリックに改宗します。その一方、ユグノーの信仰の自由を公的に認めるナントの王令を発布し、フランスの宗教対立を鎮静化させました。

ユグノー戦争の原因は宗教対立?

戦争の名前にもなっているユグノーとは何を指す言葉なのでしょうか。ユグノーとは、カルヴァン派の新教徒(プロテスタント)のフランスでの呼び名です。

プロテスタントの中心となったルターとカルヴァン

16世紀前半、ドイツでルターによる宗教改革がはじまり、スイスではツヴィングリやカルヴァンによる宗教改革が行われました。共通しているのは聖書を重視し、カトリック教会を絶対とするこれまでの価値観への挑戦です。

フランス国内で多数派を占めていたのはカトリックです。それに対し、商工業者を中心にカルヴァン派のキリスト教徒(ユグノー)が増加しました。商工業者は富の蓄積を認めるカルヴァン派の考えに共鳴したのかもしれません。

また、隣国のネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)ではカトリックを強制するスペインとそれに反発する北部ネーデルラント(オランダ)のカルヴァン派(ゴイセン)の対立が激化しつつありました。フランス王家は難しいかじ取りを迫られていたのです。

対立する3つの勢力

フランス王家であるヴァロワ家の紋章

勢力を拡大しつつあったユグノー

ユグノーの拠点となった港町ラ・ロシェル

16世紀中ごろ、フランスではユグノーの勢力が強まっていました。社会階層や職業の違いにこだわらないカルヴァンの教えは商工業者を中心に受け入れられます。

16世紀前半のフランソワ1世は、最初ユグノーに寛容でした。しかし、ユグノーの一部がカトリックのミサの中止を要求する檄文事件をおこしたため、フランソワ1世はユグノーを弾圧します。ユグノー弾圧は次のアンリ2世にも引き継がれました。

それでも、一部貴族はカトリックからユグノーに改宗します。その代表がブルボン家やコンデ家でした。かれらはユグノー戦争で新教徒軍の主力となります。

フランスで最大勢力だったカトリック

フランスにおいて最大の勢力だったのはカトリックです。全人口の大多数を占める農民たちはカトリックで貴族の大半もカトリックでした。

反ユグノーの中心となったギーズ公フランソワ

ユグノーが増加することにより、それに危機感を抱いた貴族たちはカトリックを信仰する者同士で結束を固めます。カトリックのリーダーとなったのはギーズ公でした。ギーズ公はイギリスからフランス北東部のカレーを奪還した英雄であり、強い発言力を持つ人物です。

また、弟はカトリック教会の高位聖職者である枢機卿でした。熱狂的なカトリックであるギーズ公や弟は、ユグノーに対し一切の妥協をみとめず、滅ぼすべきだと考えます。

両者を利用しつつ王権を安定させたいフランス王家

ユグノー戦争が始まった時、フランス王家はヴァロワ家でした。百年戦争を勝ち抜き、王権を守り切りましたが国内貴族を抑えきることができていません。

シャルル9世の後ろ盾となった王太后カトリーヌ・ド・メディシス

1560年、時の国王フランソワ2世が死去し弟がシャルル9世として即位します。まだ10代のシャルルを補佐したのは王太后カトリーヌ・ド・メディシスでした。カトリーヌは新旧両派のバランスを取り、王権を安定させようと努めます。

カトリーヌはカトリックの重鎮であるギーズ公とコリニー提督やコンデ公に代表されるユグノーのバランスを取りながら、すこしでも両派のバランスを取り王権を安定させようと努めます。

ユグノー戦争に勝利したのはブルボン家のアンリ

ユグノー戦争に勝利したブルボン家の紋章

ユグノー戦争の始まりとサンバルテルミの虐殺

1562年、王太后カトリーヌは新教徒たちの信仰を認める王令を出します。このことに反発したギーズ公配下のものたちはシャンパーニュ地方のヴァシーでユグノー70人以上を虐殺します。このヴァシーの虐殺をきっかけとしてユグノー戦争がはじまりました。

カトリーヌは新旧両派の融和を図るため、自分の娘とブルボン家出身のナヴァル王アンリの結婚話をすすめました。

サンバルテルミの虐殺

1572年、パリでアンリの結婚式が開かれることになり多数のユグノー貴族が結婚式に参列するためパリに集まります。この時、ギーズ公の手勢がコリニー提督をはじめとするユグノー貴族を次々と殺害。ナヴァル王アンリとコンデ公を捕虜としました。この事件をサンバルテルミの虐殺といいます。

三アンリの戦い

サンバルテルミの虐殺でユグノーは大打撃を受けました。しかし、1576年にとらわれていたナヴァル王アンリが脱出に成功すると勢力を盛り返します。アンリは港町ラ・ロシェルを拠点に抵抗を続けます。カトリック貴族たちはカトリック同盟を結成して団結しました。

1585年から1588年にかけて、ユグノーのナヴァル王アンリ、カトリック同盟のギーズ公アンリ、フランス王アンリ3世(シャルル9世の死後に即位)が三つ巴の争いを繰り広げました。当事者3人が全員アンリだったので、「三アンリの戦い」といわれます。

ギーズ公の暗殺

1587年10月、ギーズ公はフランス王と手を組んでナヴァル王アンリに決戦を挑みました。このクートラの戦いは激戦の末、ナヴァル王アンリが勝利をつかみます。その後、ギーズ公とフランス王は争いとなり、フランス王がギーズ公を暗殺してしまいます。

アンリ3世の暗殺

ギーズ公の死はカトリック勢力を激怒させます。パリ市民をはじめ、カトリックを擁護する人々は国王アンリ3世を激しく憎みます。1589年8月、アンリ3世はドメニコ会の修道士によって暗殺されてしまいました。

アンリ4世の即位とカトリック改宗

新国王として即位したアンリ4世

アンリ3世の死によってヴァロワ朝は断絶します。アンリ3世は死の間際、ナヴァル王アンリを王位継承者に指名しました。国王に即位したアンリ(以後、アンリ4世)はカトリック同盟の有力貴族を次々と撃破しました。

しかし、王都パリにはなかなか入城できません。カトリックの信者が多いパリ市民がユグノーのアンリ4世を国王として受け入れなかったからです。アンリ4世はパリ入城とフランス統一を果たすため、カトリックに改宗しました。

アンリ4世がカトリック同盟をうちやぶったイヴリーの戦い

これにより、ようやっとアンリ4世はパリに入城することができました。また、多くの都市がパリに続きアンリ4世の支配を受け入れます。戦いに敗れたカトリック貴族たちの多くもアンリ4世に帰順しました。

宗教対立を鎮めたナントの王令

アンリ4世のカトリック改宗ですべてが丸く収まったわけではありません。ユグノー貴族たちがアンリ4世のカトリック改宗に不信感を持ったからです。

アンリ4世が発布したナントの王令

アンリ4世は荒廃したフランスを立て直すためには宗教対立を鎮めなければならないと考えました。そこで、1598年4月、ナントの王令を発布します。この法令によりユグノーたちは信仰の自由を認められました。

ナントの王令はフランスの一定の秩序をもたらしましたが、すべての人を満足させるものではありませんでした。1610年、アンリ4世は狂信的なカトリック信者によって暗殺されてしまいます。ナントの王令そのものも、子孫のルイ14世の時代に廃止されてしまいました。

ユグノー戦争に関するまとめ

いかがでしたか?

ユグノー戦争は16世紀後半におきたフランスの内乱です。戦争の原因はカトリックとカルヴァン派(ユグノー)の宗教対立でした。

新興勢力のユグノー、フランスで多数を占めるカトリック、ユグノーとカトリックの両派のバランスの上に立つフランス王家(ヴァロワ朝)が激しい駆け引きを繰り広げた戦争でした。

最終的に勝利したのはユグノー勢力を率いるブルボン家のナヴァル王アンリです。フランス王となったアンリ4世はカトリックに改宗するとともに、ユグノーの信仰の自由を保障するナントの王令を発布します。

ユグノー戦争とは何か、ユグノー戦争の勝者は誰なのかといったことについて「そうだったのか」と思える時間を提供できたら幸いです。

長時間をこの記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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