「ユグノー戦争ってどんな戦争?」
「ユグノー戦争はどこで、いつからいつまで続いた戦争?」
「ユグノー戦争の勝者は誰?」
このページをご覧のあなたはそのような疑問を持っているのではないでしょうか。
ユグノー戦争とは16世紀後半のフランスで起きた戦争です。戦争の原因はカトリックとカルヴァン派(ユグノー)との宗教対立でした。ユグノー戦争は宗教対立に加え、フランス王家の策謀や有力貴族どうしの対立などが重なり長期化します。
ユグノー戦争に勝利したのはブルボン家のアンリです。アンリはユグノーでしたがカトリックに改宗し、多数派と妥協します。さらにナントの王令を出してユグノーに信仰の自由を認めました。
今回はユグノー戦争がどんな戦争か、ユグノー戦争で争う3勢力、ユグノー戦争の経緯と勝者、ナントの王令などについて解説します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ユグノー戦争とは?
ユグノー戦争とは、1562年から1598年までフランスで起きた内戦です。内戦の原因はカトリックとプロテスタント(ユグノー)の宗教的対立でした。
ユグノー戦争時のフランス王家(ヴァロワ朝)は、カトリックとユグノーの対立を利用して王家の立場を強化しようとします。結果的に王家の動きは裏目に出て、内戦は激化してしまいました。
ユグノー戦争序盤は、サンバルテルミの虐殺などがありカトリック優位に進みます。しかし、ユグノー陣営はブルボン家のアンリなどを中心に結束し勢力を保ちます。
ユグノー戦争後半はカトリック勢力、ユグノー、フランス王家が三つ巴の争いを演じました。それに勝ち残ったのがユグノーを率いるブルボン家のアンリでした。
アンリは多数派のカトリックの支持を得るため、自身はカトリックに改宗します。その一方、ユグノーの信仰の自由を公的に認めるナントの王令を発布し、フランスの宗教対立を鎮静化させました。
ユグノー戦争の原因は宗教対立?
戦争の名前にもなっているユグノーとは何を指す言葉なのでしょうか。ユグノーとは、カルヴァン派の新教徒(プロテスタント)のフランスでの呼び名です。
16世紀前半、ドイツでルターによる宗教改革がはじまり、スイスではツヴィングリやカルヴァンによる宗教改革が行われました。共通しているのは聖書を重視し、カトリック教会を絶対とするこれまでの価値観への挑戦です。
フランス国内で多数派を占めていたのはカトリックです。それに対し、商工業者を中心にカルヴァン派のキリスト教徒(ユグノー)が増加しました。商工業者は富の蓄積を認めるカルヴァン派の考えに共鳴したのかもしれません。
また、隣国のネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)ではカトリックを強制するスペインとそれに反発する北部ネーデルラント(オランダ)のカルヴァン派(ゴイセン)の対立が激化しつつありました。フランス王家は難しいかじ取りを迫られていたのです。
対立する3つの勢力
勢力を拡大しつつあったユグノー
16世紀中ごろ、フランスではユグノーの勢力が強まっていました。社会階層や職業の違いにこだわらないカルヴァンの教えは商工業者を中心に受け入れられます。
16世紀前半のフランソワ1世は、最初ユグノーに寛容でした。しかし、ユグノーの一部がカトリックのミサの中止を要求する檄文事件をおこしたため、フランソワ1世はユグノーを弾圧します。ユグノー弾圧は次のアンリ2世にも引き継がれました。
それでも、一部貴族はカトリックからユグノーに改宗します。その代表がブルボン家やコンデ家でした。かれらはユグノー戦争で新教徒軍の主力となります。
フランスで最大勢力だったカトリック
フランスにおいて最大の勢力だったのはカトリックです。全人口の大多数を占める農民たちはカトリックで貴族の大半もカトリックでした。
ユグノーが増加することにより、それに危機感を抱いた貴族たちはカトリックを信仰する者同士で結束を固めます。カトリックのリーダーとなったのはギーズ公でした。ギーズ公はイギリスからフランス北東部のカレーを奪還した英雄であり、強い発言力を持つ人物です。
また、弟はカトリック教会の高位聖職者である枢機卿でした。熱狂的なカトリックであるギーズ公や弟は、ユグノーに対し一切の妥協をみとめず、滅ぼすべきだと考えます。
両者を利用しつつ王権を安定させたいフランス王家
ユグノー戦争が始まった時、フランス王家はヴァロワ家でした。百年戦争を勝ち抜き、王権を守り切りましたが国内貴族を抑えきることができていません。
1560年、時の国王フランソワ2世が死去し弟がシャルル9世として即位します。まだ10代のシャルルを補佐したのは王太后カトリーヌ・ド・メディシスでした。カトリーヌは新旧両派のバランスを取り、王権を安定させようと努めます。
カトリーヌはカトリックの重鎮であるギーズ公とコリニー提督やコンデ公に代表されるユグノーのバランスを取りながら、すこしでも両派のバランスを取り王権を安定させようと努めます。
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