アメリカ大陸は、南アメリカ大陸と北アメリカ大陸の総称です。大西洋と太平洋に面しており、2020年現在はアメリカ合衆国やカナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどの36か国により形成されています。
この記事で取り上げるアメリカ大陸の発見というと、やはり多くの人が思い浮かべるのはクリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸の発見ではないでしょうか。
しかし、実はアメリカ大陸の発見者については様々な説が存在しており、ヨーロッパ諸国が植民地化を始める以前に到達した人々が先住民族として暮らしていたという事実もあります。
ではアメリカ大陸を本当に発見した人は誰なのでしょうか?この記事ではヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達した頃の世界情勢や時代背景について考えながらアメリカ大陸発見の歴史について迫っていきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
アメリカ大陸はいつ発見された?
ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見したのは15世紀
ヨーロッパ人は大航海時代と呼ばれる15世紀にアメリカ大陸を発見しました。
1492年10月12日、イタリアのジェノヴァ出身と言われている探検家のクリストファー・コロンブスがヨーロッパから大西洋を横断し、サン・サルバドル島に到達します。
当時ヨーロッパ世界の先進諸国の間でアメリカ大陸の存在は知られていなかったため、コロンブスのアメリカ大陸周辺諸島への到達は「新世界の発見」とされていました。このコロンブスの冒険をきっかけに、多くのヨーロッパ人がアメリカ大陸へと渡ることになります。
先住民族が移住してきた時代は最終氷期まで遡る
コロンブスが新世界に到達する以前から既に先住民族がアメリカ大陸には定住していました。そもそもヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見したという歴史は、あくまでヨーロッパ中心主義の考えに基づいたものであり、実際には他の民族が先に到達しています。
起源は最初の人類が大移動していた頃まで遡ります。ユーラシア大陸最東端のシベリアからアメリカ大陸最西端のアラスカ、太平洋沿岸地域から北アメリカ大陸西部や南アメリカ大陸西部を船で移動したという説が有力ですが、ベーリング地峡を通って陸路でアラスカに到達したという説もあります。
現在はシベリアとアラスカの間にはベーリング海峡がありますが、約1万年前に終了した1番新しい氷期である最終氷期にはベーリング海峡は陸続きになっていました。
陸路であったベーリング地峡を通って、ユーラシア大陸からアメリカ大陸に人類が到達した説が真実ならば、人類は1万年以上前にはアメリカ大陸を発見していたことになりますね。
アメリカ大陸は誰が発見した?
アメリカ大陸を発見したのはコロンブス?
アメリカ大陸の発見者として有名なのは、先ほども触れたイタリア出身の航海者クリストファー・コロンブスです。しかしコロンブスが到達したのは、アメリカ大陸ではなくアメリカ大陸周辺の島であるサン・サルバドル島。アメリカ大陸を発見した人物がコロンブスであると本当に言えるのでしょうか?
そもそもコロンブスが大西洋を横断した目的は新大陸の発見ではありませんでした。
コロンブスは地球球体説に基づき、ヨーロッパから東方ではなく西方に向かって進んでもアジアに到達できるのではないかと考えます。スペイン王国のカトリック両王による支援を受けたコロンブスは西を目指して出航。そしてカリブ海のサン・サルバドル島に到達することとなります。
その後もカリブ海に浮かぶ複数の島に上陸しましたが、コロンブスは上陸した島々がインドであると思い込んでおり、新大陸として認識していませんでした。
アメリカ大陸の本当の発見者とは
ではアメリカ大陸の真の発見者は一体誰なのでしょうか?実はアメリカ大陸がヨーロッパ人にとって未知の新大陸であるという事実を発見した人物は、フィレンツェ出身の地理学者アメリゴ・ヴェスプッチでした。
ヴェスプッチは、コロンブスがサン・サルバドル島に到達した1492年の5年後の1497年から数年にわたり、3度大西洋を横断します。1503年には調査結果をまとめた論文『新世界』を発表。ヴェスプッチは、ヨーロッパから大西洋を横断した先にある大陸がアジアではなく新大陸である、と論じました。
アメリカ大陸の本当の発見者については度々議論されますが、ドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーは、新大陸の発見者はヴェスプッチであると指摘しました。そのため、自身が作成した世界地図において、ヴェスプッチの名前「アメリゴ」のラテン語名から新大陸を「アメリカ」と名付けます。
ヴァルトゼーミュラーの世界地図がヨーロッパ中に普及した結果、アメリカという名称が世間に浸透することとなりました。
その他の発見者たち
その他の発見者といえば、ポルトガル王国の貴族で探検航海者のカブラルが有名です。
インド遠征隊長に任命されたカブラルは、1500年に艦隊を引き連れてリスボンを出航。その途中でブラジルを発見することになりました。カブラルのブラジル発見が偶然だったのか意図的だったのかは未だに議論が続いており、学者の間では永遠に解決しない問題として扱われています。
また、コロンブスやヴェスプッチ、カブラルがアメリカ大陸に到達する以前に、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見していたという伝説があります。
13世紀に記されたとされる『グリーンランド人のサガ』『赤毛のエイリークのサガ』によれば、10世紀頃にヴァイキングと呼ばれていたノース人である、赤毛のエイリークが北ヨーロッパから旅立ち、アメリカ大陸北東の島であるグリーンランドを発見。そして赤毛のエイリークの息子である、レイフ・エリクソンが現在のカナダに位置するニューファンドランド島に到達しました。
この伝説は謎が多く、空想による部分が大きいとされてきましたが、1960年にニューファンドランド島にて伝説として記されていた内容と合致する、ヴァイキングの遺跡「ランス・オ・メドー」が発見されました。
レイフ・エリクソンがニューファンドランド島に到達したという伝説は事実であったということですね。
アメリカ大陸発見の経緯
オスマン帝国の台頭
古くからヨーロッパは、イタリアの都市を中心に地中海を通してアジア地域と交易を行っており、香辛料や染料、生糸、絹織物などを輸入していました。しかし、15世紀に強大な国力を誇ったオスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼし、イタリアの都市国家群にも勝利して地中海の制海権を握ります。
東西交易の中心地にあったオスマン帝国は地中海交易を支配し、高い関税をかけました。
これまでヨーロッパ世界で築かれてきた経済秩序は過去のものとなり、新たな経済秩序を構築する必要性が高まったヨーロッパの先進諸国は、西廻りの交易ルートを開拓する道を選びます。
ヨーロッパ諸国の海外進出
オスマン帝国の台頭によって東方交易が難しくなったため、西方進出を決めたヨーロッパ諸国でしたが、海外進出を後押しした理由はそれだけではありませんでした。
15世紀に地中海で頑丈な遠洋航海に向いたキャラック船やキャラベル船が開発されます。またイスラム圏からヨーロッパ世界に羅針盤が伝わり、外洋航海が可能となりました。
航海技術の発展と共に海外進出の機会が巡ってきたのはスペインとポルトガルです。この2国は、イスラム勢力との戦いの中で強力な国王を有する中央集権制度が確立されました。そして、イスラム勢力を追って北アフリカまで進出した後に大西洋へと乗り出し、15世紀が終盤に差し掛かる頃にアメリカ大陸に到達しました。