世界を未曾有の大不況に落とし入れた「世界恐慌」。その原因は、教科書によれば株価の大暴落を原因としていますが、何の前触れもなく株価暴落が起きたわけではもちろんありません。世界恐慌の原因はいくつもの要因が絡んでおり、それを教科書で説明するには無理があります。
では、いくつもの要因とは何だったのでしょうか。この記事では世界恐慌の原因を詳しく説明していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
そもそも世界恐慌以前の経済はどうだったのか?
世界恐慌以前、つまり1929年以前のアメリカ経済はどうだったのでしょうか。大不況の引き金を引いたアメリカですが、実は思っていたほど直前は悪いものではありませんでした。しかし、忍び寄る足音に気がつけなかったこともまた事実です。
本章では世界恐慌が起きる前のアメリカ経済についてお話します。
快進撃のアメリカ経済
アメリカ経済は1920年代初頭、ヨーロッパに代わる経済の中心地へと変貌を遂げていました。第一次世界大戦の影響で国力が低下したヨーロッパに対し、アメリカは農業・工業を中心とした発展が進みます。20年代に入ってもその勢いは衰えず、戦争特需も相まって世界経済への影響力を、まさに快進撃と言うべきスピードでつけていったのです。
投機熱の加速でバブルへ発展
経済成長著しいアメリカ。その中で、特に民衆が力を入れたのが土地の売買、株の売買です。いわゆる投機に目をつけたのは富裕層のみならず、工場の作業員や農業従事者など多岐にわたりました。背景にはヨーロッパの代わりに始めた各種生産物が飛ぶように売れ、財力が増したアメリカ国民の次なる欲望があったのです。
もちろん、投機熱は銀行の融資熱をも煽りました。こうして地価も株価もどんどんと膨れ上がり、いつしかアメリカはバブルを迎えたのです。
信じられた「永遠の繁栄」
歴史を知る我々にとって、このあと何が起きるかは想像に難くありません。しかし、この当時のアメリカ国民は一部の経済学者を除いて誰もがこの状況が永遠に続くと信じ切っていました。
今や自分たちが世界経済の中心。何が起こってもアメリカのものをみんなが買ってくれる限り、バブルに終わりはないと思い込んでいたのです。しかし実はその裏側でいくつものバブルが弾け始めていたのでした。
世界恐慌の原因となった3つの要素とは?
好景気に湧いていたアメリカが、なぜ世界中を巻き込む大不況のきっかけとなってしまったのでしょうか。まさに急転直下と言わざるを得ないこの状況を引き起こしたのは、他でもないアメリカ人の慢心と心変わりにほかなりません。
では、世界恐慌の原因とは何だったのでしょうか。ここではその具体的な要因について3つお話します。
1.続かなかった戦後復興特需
まず第一に挙げられる要因として、戦後復興特需が続かなかったことがあります。
確かに第一次世界大戦終結直後は、アメリカは焼け野原と化したヨーロッパに代わり、経済の中心地に名実ともになりました。しかしながら、ドイツを除くヨーロッパの復興速度は速く、あっという間にアメリカを抜き本来の順位に戻ってしまいます。いくら特需で主要があっても、売れなければ意味がありません。次第にものが売れなくなっていったのは言うまでもないでしょう。
2.予想だにしなかったバブルの崩壊
もう1つの要因はバブルの崩壊です。しかしこれは日本が1991年に迎えたバブル崩壊とは少し違います。
日本の場合、バブルは一気に弾け、国全体が一瞬にして不景気に見舞われる自体になりました。しかし、この当時のアメリカは投機熱があちこちで上がっていく一方、いくつかの場所で、それも単発でバブルが弾けていたのです。今のように一瞬で全員の耳に届くような通信技術がなかった時代。人々は新聞やラジオでその情報を得ていましたが、それは自分たちの済む地域とは関係ないとも思っていたのです。
3.投資から貯蓄へ
様相が一変しだしたのは、それまで売れや買えやのお金の使い方が、お金を使わずに貯蓄しようという流れに変わってきたあたりからでした。
各地で弾けるバブルに対して徐々に危機感を持ちだした一部の人々は、それまで投資に回していた費用を貯蓄へと転換しだしました。当然、この転換によって市場に出回る通貨の流通量は減少します。花柄の流通量が少なくなればそれを増やすために物価は上がっていきます。それでも「永遠の繁栄」に対する疑問や、いつ弾けるかわからないバブルを前に人々の消費行動は薄れていったのです。これがのちに世界恐慌で取り付け騒ぎにつながることとなりました。