「野口英世の死因って何?」
「野口英世って研究してた病気で亡くなったって本当?」
野口英世は世界で活躍した日本の細菌学者です。日本の偉人の代名詞的な人物でもあり、千円札の人物としても親しまれています。文明開化したばかりの明治の日本で、貧しいながら勉強により世界的に活躍する細菌学者となったことは、多くの日本人の憧れとして親しまれてきました。
そんな野口英世の死因は何だったのか?この記事では野口英世の死因に焦点を当て、歴史を振り返ってみます。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
野口英世の死因は?
野口英世の死因は何だったのか?一般的な説を紹介します。
黄熱病で死去したのが定説
野口英世の死因は黄熱病という説が定説です。なぜ“定説”と敢えていうかというと、別の説があるからですが、それは後述します。野口は黄熱病の研究のために、1926年にガーナ共和国アクラに渡航。そこで自身が研究している黄熱病に感染、1928年にアゴラで黄熱病により死去しました。
この説には根拠があり、彼の助手が野口の血を猿に注射すると猿が黄熱病を発症したといい、死後解剖結果も黄熱病と断定。そしてロンドンの博物館にある野口の肝臓を調査した結果、黄熱病と診断されています。そのため間違いないように感じますが、彼の死には謎があります。
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黄熱病を診断されるまでの経緯
野口英世は自身が所属しているロックフェラー財団の、黄熱病撲滅計画の調査団に加わり黄熱病の研究をしていました。そのため1918年に当時ワクチンのなかった黄熱病研究のためにエクアドルに渡っています。
エクアドルでの9日後には病原体を特定。野口ワクチンのために症状が終息し、「人類の救世主」とまでいわれるようになります。しかし南米で効果のあった野口ワクチンは、アフリカでは効果がありませんでした。
そのためアフリカに渡り、黄熱病を発病した患者の血液を調べますが、自分が見つけた病原体を発見できませんでした。それどころか、研究を重ねている内に野口自身が黄熱病症状が出てきてしまったのです。野口は一度黄熱病にかかっているために終生免疫がついており治ると考えていました。
しかし8日後に彼は重篤化し、帰らぬ人となりました。終生再発することがないはずの黄熱病に再度かかったことから最期の言葉が、
「どうも私にはわからない」
だったといわれています。享年51歳でした。
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野口英世の死因に疑問点が…
野口が黄熱病で死去したことはほぼ間違いないといわれていますが、疑問も残っています。野口がアフリカに乗り込んだ時には、ガーナでは黄熱病は流行っていませんでした。なのになぜ黄熱病にかかってしまったのか?それは突発的な「事故」の可能性が指摘されています。
野口は黄熱病の病原体を猿に注射して、病状を観察していました。その時に猿に刺した注射針を誤って刺したのではないか、猿を解剖したメスで手を切ってしまったのではないか、などです。
つまり実験中の怪我が元の事故だったのではと考えられているそうです。今となってはわかりませんが、細心の注意を払っていたとは考えられるものの、説得力がある説となっています。
野口英世の他の死因説
野口英世が黄熱病で亡くなったことは、ほぼ間違いないといわれていますが他の死亡説も考えられています。黄熱病説よりも弱い説ですが、紹介します。
梅毒による死亡説
野口には梅毒で亡くなったという説もあったようです。理由は野口が梅毒の研究していたためと考えられます。しかし実際は黄熱病でほぼ間違いないということですので、野口が名誉をかけて研究していた黄熱病にかかって死んだことを不名誉と考え、梅毒説が出たのではないかと考えられています。
他殺による死亡説
野口英世は他殺されたという説もあります。これは野口が実験の事故ではなく、故意に黄熱病の病原菌を注射されたのではないかというのです。
ただしこれはあくまで噂ですので、誰か疑わしい人がいるなどそういうわけではないようです。ただしまだまだ差別も強い時代、日本人でありながら活躍する野口に嫉妬している人物もいたのかもしれません。
野口英世の家族の死因は?
母:野口シカ
野口英世の母で、死因はスペイン風邪です。英世の名声とシカの人徳で盛大に葬儀が行われたといいます。
野口が「母親がこのような人でなかったなら、“細菌学者、野口英世”は、恐らく存在しなかったのではなかろうか」と言う程の努力家で、文字を寺で習い産婆の資格を取得しています。野口の出世を決して自慢しない慎ましい人物でもあったそうです。
妻:メリー・ロレッタ・ダージス
野口英世の妻でアメリカ人で、野口の死後もニューヨークで生活し、死因は動脈血栓だったといいます。ニューヨークのレストランで野口と出会い、意気投合して結婚したといわれています。
英世との間に子供はいませんでしたが、優しくておおらかな人物で野口との仲は良好だったようです。英世と同じニューヨークのウッドローン墓地に埋葬されました。
野口英世の死因に関するまとめ
今回野口英世の死因に焦点を当てて執筆しましたが、子供の頃に読んだ“漫画偉人伝”で「確か野口英世といえば、研究してた病気で亡くなっていたような…」と記憶していたのですが、記憶通りであると同時に色々な説が出ていて驚いています。
最近野口の発見が沢山覆られているそうですが、筆者的に医学は日々進化していくものだし、日本人に努力の大切さを教えてくれた野口は永遠の偉人だと思っています。そんな野口の一部を知っていただけたらこれ以上の光栄はございません。最後までお読みいただきありがとうございました。
野口英世は黄熱病のウイルス(濾過性病原体)は無い、蚊か蚊に寄生する何かが産生する毒素だ、と気づいたから殺された。
なに??
すごい
なに??