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ロックフェラー家とは?世界一の大金持ち?歴代当主や関係する団体まとめ

ロックフェラーと言えば、「なんか凄い」「お金持ち」という印象をもつ方が多いと思いますが、歴代のロックフェラーがどのような業績を残したのかということを具体的に知る人は、少ないのではないでしょうか。

ニューヨーク市スリーピー・ホローに存在するロックフェラー家の本邸

また、ロックフェラー家の人々の関係性は複雑そうで、調べるのが面倒くさいと思っている方もいるかもしれません。

「歴代のロックフェラーにはどんな人がいたの?」
「そもそもロックフェラーってどんなことをした人なの?」
「ロックフェラー家ってどんな構成なの?」

この記事を読んでいるあなたはこのようなことを思っているのではないでしょうか。そこで今回は、ロックフェラー家にはどのような人物がいて、どのような業績を残したのかということを、できる限りわかりやすく紹介します。

ロックフェラーとは?

ロックフェラーは石油で財を成した一族

石油で財を成したジョン・ロックフェラーのイメージ

都市伝説が好きな方は、ロックフェラーと言えば巨大財閥をもつ世界皇帝で、世界を裏から牛耳っている一族というイメージが強いかもしれません。また、軍事産業や金融業の覇者であるというイメージも強いでしょう。

実際にそれらのイメージは正しく、ロックフェラーは軍事や金融の世界において世界最大級の支配力をもち、多くの企業を傘下に収めた極めて支配力が強い一族です。ロックフェラーは実質的にアメリカを支配している黒幕だと言われており、「陰の世界政府」の主導者と噂されているほどです。

そんなロックフェラーですが、最初に巨大な財を成した事業は石油業でした。初代ロックフェラー家当主である「ジョン・ロックフェラー」は、1870年6月に弟の「ウィリアム・ロックフェラー」と共に「スタンダード・オイル・オブ・オハイオ」という製油所を設立し、アメリカ屈指のガソリン・ケロシンを生産する企業に成長させました。

その後は、さまざまな困難に見舞われながらも自社経営効率の改善、石油輸送の運賃値引き強要、ライバルの切り崩し、秘密の取引、投資資金のプール、競合の製油所の買収などを繰り返していきます。その結果、1872年にはわずか4ヶ月で競合会社26社の内22社を吸収合併するのです。

ジョン・ロックフェラーの事業戦略

ロックフェラー家と関係が深いロックフェラーセンタービルの一角

ジョン・ロックフェラーは競争相手に自社の帳簿を見せて、どのような相手と戦っているのかをわからせた上で買収を繰り返しました。それでも抵抗する相手に対しては、倒産に追い込むように仕向け、その上で安く買収するという手法を取っていきます。

そのような強引な事業戦略を取ったにも関わらず、本人は弱者を吸収することで産業を巨大化することに「慈悲の天使」と自称し、産業のさらなる効率化を計りました。

ジョン・ロックフェラーの手法は成功し、スタンダード・オイルはタール・塗料・ワセリン・チューインガムの原料など300種類以上の石油製品を開発していきます。1870年代末には、アメリカの石油の90パーセントを精製するようになりました。

ジョン・ロックフェラーの事業戦略に対しては、さまざまな批判があり、敵対するペンシルバニア鉄道から訴えられることもありましたが、1870年代末にはすでに、ロックフェラーは巨万の富を得るに至っていました。

ロックフェラー家の主な人物

複雑なロックフェラー家の家系図

ここまでは、ロックフェラー家の初代当主であるジョン・ロックフェラーの功績について紹介しましたが、ロックフェラー家を構成する人物はジョン・ロックフェラーだけではありません。2020年現在においては、ロックフェラー家は四代目の当主となる「ジョン・ロックフェラー4世」を頂点として構成されています。

ここでは、初代当主であるジョン・ロックフェラーから、現当主であるジョン・ロックフェラー4世までのロックフェラー家の主な人物を紹介します。

ジョン・ロックフェラー – 石油王と名高い初代当主(生誕1839年7月8日~死没1937年5月23日)

ロックフェラー家の初代当主であるジョン・ロックフェラーのモノクローム写真

石油事業で史上最大の資産家に

ジョン・ロックフェラーはロックフェラー家の初代当主であり、ロックフェラー家の礎を築いた最大の功労者です。一時期はアメリカの石油の90パーセントをコントロールし、1870年に創業したスタンダード・オイル社は石油市場を独占します。さらに、アメリカで初のトラスト(同種の企業を一体化させる経営形態)を結成しました。

ジョン・ロックフェラーの資産は、ガソリンとケロシンの需要の高まりと共に膨れ上がり、アメリカ人で初となる資産10億ドルを超えるほどになりました。ジョンが亡くなる1937年には、現在の価値で23億ドルもの資産をもつに至り、それは当時のアメリカ経済の1.5パーセント以上を占めました。

ジョン・ロックフェラーは、当時の資産を現在の物価に換算すると、史上最大の資産家であるとされています。

ジョン・ロックフェラーの晩年の活動

晩年のロックフェラーの姿を写した貴重な写真の一つ

多額の資産を保有したジョン・ロックフェラーですが、第一線を退いてからの40年間は慈善活動に費やしました。その主な活動内容は大学への財政支援で、ジョン・ロックフェラーは1880年代半ば~1900年代初頭まで数多くの大学に資金援助をしました。

その中には、イェール大学・ハーバード大学・コロンビア大学・ブラウン大学・ウェルズリー大学・ヴァッサー大学が含まれており、財政難で1886年に閉鎖されたシカゴ大学に対しては8,000万ドルの資金提供をし、1890年に世界的な大学へと変貌させました。

さらに、1901年にはロックフェラー医学研究所(のちのロックフェラー大学)を創設し、1909年にはロックフェラー衛生委員会を創設。同委員会はアメリカ南部の農村地帯で問題視されていた鉤虫症(こうちゅうしょうと読む。感染症の一種)の根絶に貢献します。1913年にはロックフェラー財団を設立し、医学の枠すらも超えて芸術分野へ資金提供するに至りました。

ウィリアム・ロックフェラー – ジョンと並ぶ家祖(生誕1841年5月31日~死没1922年6月24日)

意外にも少ないウィリアム・ロックフェラーを写した写真の一つ

ウィリアム・ロックフェラーはジョン・ロックフェラーの弟で、ジョン・ロックフェラーと並んでビジネスセンスに長けた人物でした。1866年に建てた製油所をジョン・ロックフェラーと共同して、僅か2年ほどで世界最大の精油会社に仕立てあげ、スタンダード・オイルの設立に貢献した人物です。

また、ウィリアム・ロックフェラーは現在のシティグループにあたるナショナル・シティー銀行ニューヨークの創業者の一人であり、ナショナル・シティー銀行の設立に多大な貢献をした人物でもあります。

さらに、1890年代からは銅産業に力を入れるようになり、モンタナ州のビュートにアナコンダ銅鉱山会社を設立したのち、1920年代には世界最大規模の会社へと成長させました。

ジョン・ロックフェラー2世 – ジョンの息子で第2代当主(生誕1874年~死没1960年5月11日)

貴重なジョン・ロックフェラー2世の写真の一つ

ジョン・ロックフェラー2世はロックフェラー家の初代当主であるジョン・ロックフェラーの一人息子で、一族と共にロックフェラー財団とロックフェラー大学を創設した人物です。

ブラウン大学を卒業したのち、父親の事業を手伝い投資家として名を馳せました。また、世界恐慌のときにロックフェラー・センタービルの建設に資金を提供し、結果的にニューヨークで最大の不動産所有者になりました。

ジョン・ロックフェラー2世は文化事業に大きく貢献し、ヴァージニア州のコロニアル・ウィリアムズバーグの再建のために資金を提供したり、ニューヨークの国連本部の建設敷地を寄付したりしました。

また、ジョン・ロックフェラー2世は自然環境とその保護に関心をもち、アメリカの国立・国定公園の設立のために広大な土地を購入し寄付しました。その中には有名なヨセミテ国立公園も含まれているとされます。

ジェームズ・ロックフェラー – ウィリアムの孫でシティグループの社長(生誕1902年6月8日~死没2004年8月10日)

タイム誌の表紙を飾った若かりし日のジェームズ・ロックフェラーの写真

ジェームズ・ロックフェラーはウィリアム・ロックフェラーの孫で、1902年6月8日にニューヨークのマンハッタンで生まれたのち、1924年のパリオリンピックでボート競技にて金メダルを獲得した人物です。

その後、1930年までの6年間はブラウンブラザーズアンドカンパニーに在籍し、1930年にナショナル・シティー銀行に参入。1959年には同銀行の会長を務めました。

ネルソン・ロックフェラー – 第41代アメリカ合衆国副大統領(生誕1908年7月8日~死没1979年1月26日)

政治家として脚光を浴びたネルソン・ロックフェラー

ネルソン・ロックフェラーはジョン・ロックフェラー2世の次男で、父方の祖父にジョン・ロックフェラー、母方の祖父に共和党保守派の実力者であるネルソン・W・オルドリッジをもつ、極めて優れた血統をもつ人物です。

ネルソン・ロックフェラーは1958年にニューヨーク知事選に当選したのち、1959年~1973年まで知事を務めました。ネルソン・ロックフェラーは特に教育分野に力を入れて、ニューヨーク州立大学を全米最大の国立大学に育て上げました。

また、ネルソン・ロックフェラーは麻薬の取り締まりにも力を入れ、コカインなどの麻薬の所持の量刑を第2級殺人と同程度にするなど、麻薬を所持する者を厳しく取り締まりました。

副大統領のネルソンと国務長官のヘンリー・キンシンジャーを写した貴重な写真

ネルソン・ロックフェラーは、1960年、1964年、1968年の三度に渡って大統領選挙に出馬しましたが、すべて敗退。1974年、リチャード・ニクソン大統領が辞任した際に、ニクソンの片腕として活躍した副大統領ジェラルド・フォードが大統領に就任。そのときに、ネルソン・ロックフェラーはフォード大統領に指名されて副大統領となりました。

しかし、ニューヨーク知事を四期おこなったネルソン・ロックフェラーの力を恐れた大統領の側近グループは、路線対立を理由に副大統領の力を抑制し、結果的にネルソン・ロックフェラーは予想されていた成果をあげることはできませんでした。

デイビット・ロックフェラー – ネルソンの弟で第3代当主(生誕1915年6月12日~死没2017年3月20日)

長寿をまっとうしたウィリアム・ロックフェラーの若き日の写真

デイビット・ロックフェラーは、祖父にジョン・ロックフェラー、父にジョン・ロックフェラー2世、兄にネルソン・ロックフェラーをもつ人物で、ロックフェラー家の第3代当主として活動しました。活動分野は多岐に渡り、銀行家・実業家・慈善家として実績を積みました。

1946年に旧チェース・ナショナル銀行で活動したのち、1961年にチェース・マンハッタン銀行の会長に就任。1969年~1981年には最高経営責任者(CEO)となり、その間にソビエト連邦と中華人民共和国に米銀行支店を設立し、三極委員会を創設しました。

デイビッド・ロックフェラーは日本との関わりが強く、オランダ王室にビルダーバーグ会議への日本の参加を打診したものの断られたため、三極委員会を設立するに至ったと考えられています。また、日本文化を伝える「ジャパン・ソサエティー」の名誉会長を務めるなど、一族の中でも日本との親密度が高い人物でした。

マイケル・ロックフェラー – 行方不明になった民俗学者(生誕1938年5月18日~1961年11月17日以降は行方不明)

財界の御曹司という立場を捨てた異端者マイケル・ロックフェラーの姿

マイケル・ロックフェラーはネルソン・ロックフェラーの息子で、銀行業や政治よりも、民俗学に多大な関心を寄せるなど一族の中では異端な存在でした。

ハーバード大学に入学後は民俗学を専攻し、ニューギニアのイリヤンジャヤのダニ族と首狩りの風習が残っていたアスマット族の研究をおこない、彼らが制作する木彫りの美術品などを収集していました。

しかし、1961年11月17日に、仲間のオランダ人と共に研究から変える途中に乗っていた舟が風に煽られて転覆。その後、マイケル・ロックフェラーは消息を絶ち、父であるネルソン・ロックフェラーは大規模な捜索をおこなったものの、マイケル・ロックフェラーは二度と姿を見せることはありませんでした。

マイケル・ロックフェラーが世界各地で集めた美術品は、ネルソン・ロックフェラーの手によりメトロポリタン美術館に寄贈されました。

ジョン・ロックフェラー4世 – 第4代当主(生誕1937年6月18日~)

現在のロックフェラー家の当主であるジョン・ロックフェラー4世

ジョン・ロックフェラー4世は、1977年から1985年までウエストバージニア州の知事、1985年から2015年までウエストバージニア州の上院議員を努め、2017年に叔父のデイビッド・ロックフェラーが死去してからは、ロックフェラー家の4代目の当主になった人物です。

ジョン・ロックフェラー4世は日本との関りが非常に強く、東京の国際基督教大学(こくさいきりすときょうだいがく)で三年間も日本語を学んだ経験があります。しかし、特別日本語が堪能というわけではないようです。

日本とウエストバージニアの経済関係を強化するのに多大な貢献をし、日米友好基金の理事を務めるなど日米の交流を推進させました。その実績から、2008年に日本商工会議所より日米特別功労賞が授与され、2013年には日本政府から日本の勲章の一つである旭日大綬章(きょくじつだいじゅしょう)が与えられました。

石油王ロックフェラーの名言

ロックフェラーの名言は心に刺さるものがある

「わたしはすべてのトラブルをチャンスに変えるようにしてきた」

「私は、自分自身の100パーセントの努力より、100人の1パーセントの努力を得たい」

「私は災難が起こるたびに、これを良いチャンスに変えようと努力し続けてきた」

「快楽におぼれる人生ほどつまらない生活は思い当たらない」

「いかなる種類の成功にとっても粘り強さほど大切なものはない。粘り強ささえあれば、ほぼなんでも乗り越えることができる」

「ビジネスにもとづいた友情は、友情にもとづいたビジネスより強い」

「あなたが成功したいのなら、踏みならされ道を行くのではなく、新たな道を切り開きなさい」

「10セントを大切にできない人間は、絶対に成功できない」

「成功の秘訣は、あたりまえのことを、特別上手にすることだ」

「偉大なもの」のために、『良いもの』を諦めることを恐れてはいけない」

「倹約は秩序ある生活に不可欠なものである」

「10セントを大切にしない心が、君をボーイのままにしているんだよ」

「若者にとって最も重要なことは、信用、評判、人格を確立することだ」

「目的をひとつに絞ることは人生における成功のための主要な必須要件のひとつだ」

ロックフェラー家と繋がりの強い団体

ロックフェラー財団

ロックフェラー財団のロゴ

ロックフェラー財団は、1913年5月14日にロックフェラー家の初代当主だったジョン・ロックフェラーが中心となり設立した慈善団体です。アメリカ合衆国のニューヨーク州に本部をおき、慈善団体ランキングでも上位に位置するNGO(非政府組織)です。

活動目的は「人類の福祉の増進、健康」で、アフリカで穀物の生産性を向上させた「緑の革命」を主導し、戦前はナチスに対して資金提供しました。

ロックフェラー財団の主な活動は、

  • 医療・健康・人口科学
  • 農業・自然科学
  • 芸術・人文科学
  • 社会科学
  • 国際関係

の5つで、世界中から各分野のエリートを集めて最先端の研究をおこなっています。

大学や研究所に対して多額の寄付をおこなっており、のちのロックフェラー大学となるロックフェラー医学研究センターなどを設立しました。

ロックフェラー・センター

約100年前に建設されたとは思えないほど近代的なロックフェラー・センター

ロックフェラー・センターは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンの5番街と6番街にある、超高層ビルを含む複合施設です。1930年にジョン・ロックフェラーの主導で建設がはじまり、1939年にすべての施設が完成しました。

一番高いビルであるGEビルディングは高さ259メートルあり、5番街に面するラ・メゾン・フランセーズと大英帝国ビルの屋上には、ラルフ・ハンコックが造園した「ガーデン・オブ・ザ・ネイションズ」があります。

1989年10月、日本の不動産ディベロッパーである三菱地所は、ロックフェラーグループの株式の51パーセントを取得して、8億4600万ドル(当時の日本円で1,200億円)でロックフェラーセンターの施設を買収しました。しかし、のちに不動産不況(バブル崩壊)で破産し、現在は「タイムライフ・ビル」と「マグロウ=ヒル・ビル」の2棟のみが三菱地所の所有となっています。

ロックフェラー医学研究センター(のちのロックフェラー大学)

さまざまな研究成果を世界へと発表したロックフェラー大学の入口

ロックフェラー医学研究センターは、1901年にジョン・ロックフェラーが設立した研究所です。ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・イースト・サイドに存在しましたが、1965年に教育の機能を受けもつようになってからは名を「ロックフェラー大学」と改めました。

ロックフェラー大学の関係者からは23人のノーベル賞受賞者が排出され、科学史における大発見がいくつもなされました。その中には、DNAが遺伝情報を伝えるものであることや血液型の存在などが含まれており、ウイルスが癌を引き起こすことや体重を制御するホルモンがレプシンであることも、ロックフェラー大学で発見されました。

ロックフェラーに関するまとめ

きわめて美しいロックフェラー邸の全貌

主にロックフェラー家の人物について紹介しました。この記事では、以下のことを紹介しました。

ロックフェラー家は石油の事業で財を成した一族である
石油以外にも銀行を設立し、教育・医学の分野などに多額の投資をしてきた
ロックフェラー家の人物は各分野で大きな功績を残した

世界皇帝と呼ばれるほどの財と権力を有したロックフェラー家ですが、その成功の裏には数々の困難があったことがわかったはずです。

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