ロックフェラーと言えば、「なんか凄い」「お金持ち」という印象をもつ方が多いと思いますが、歴代のロックフェラーがどのような業績を残したのかということを具体的に知る人は、少ないのではないでしょうか。
また、ロックフェラー家の人々の関係性は複雑そうで、調べるのが面倒くさいと思っている方もいるかもしれません。
「歴代のロックフェラーにはどんな人がいたの?」
「そもそもロックフェラーってどんなことをした人なの?」
「ロックフェラー家ってどんな構成なの?」
この記事を読んでいるあなたはこのようなことを思っているのではないでしょうか。そこで今回は、ロックフェラー家にはどのような人物がいて、どのような業績を残したのかということを、できる限りわかりやすく紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ロックフェラーとは?
ロックフェラーは石油で財を成した一族
都市伝説が好きな方は、ロックフェラーと言えば巨大財閥をもつ世界皇帝で、世界を裏から牛耳っている一族というイメージが強いかもしれません。また、軍事産業や金融業の覇者であるというイメージも強いでしょう。
実際にそれらのイメージは正しく、ロックフェラーは軍事や金融の世界において世界最大級の支配力をもち、多くの企業を傘下に収めた極めて支配力が強い一族です。ロックフェラーは実質的にアメリカを支配している黒幕だと言われており、「陰の世界政府」の主導者と噂されているほどです。
そんなロックフェラーですが、最初に巨大な財を成した事業は石油業でした。初代ロックフェラー家当主である「ジョン・ロックフェラー」は、1870年6月に弟の「ウィリアム・ロックフェラー」と共に「スタンダード・オイル・オブ・オハイオ」という製油所を設立し、アメリカ屈指のガソリン・ケロシンを生産する企業に成長させました。
その後は、さまざまな困難に見舞われながらも自社経営効率の改善、石油輸送の運賃値引き強要、ライバルの切り崩し、秘密の取引、投資資金のプール、競合の製油所の買収などを繰り返していきます。その結果、1872年にはわずか4ヶ月で競合会社26社の内22社を吸収合併するのです。
ジョン・ロックフェラーの事業戦略
ジョン・ロックフェラーは競争相手に自社の帳簿を見せて、どのような相手と戦っているのかをわからせた上で買収を繰り返しました。それでも抵抗する相手に対しては、倒産に追い込むように仕向け、その上で安く買収するという手法を取っていきます。
そのような強引な事業戦略を取ったにも関わらず、本人は弱者を吸収することで産業を巨大化することに「慈悲の天使」と自称し、産業のさらなる効率化を計りました。
ジョン・ロックフェラーの手法は成功し、スタンダード・オイルはタール・塗料・ワセリン・チューインガムの原料など300種類以上の石油製品を開発していきます。1870年代末には、アメリカの石油の90パーセントを精製するようになりました。
ジョン・ロックフェラーの事業戦略に対しては、さまざまな批判があり、敵対するペンシルバニア鉄道から訴えられることもありましたが、1870年代末にはすでに、ロックフェラーは巨万の富を得るに至っていました。
ロックフェラー家の主な人物
ここまでは、ロックフェラー家の初代当主であるジョン・ロックフェラーの功績について紹介しましたが、ロックフェラー家を構成する人物はジョン・ロックフェラーだけではありません。2020年現在においては、ロックフェラー家は四代目の当主となる「ジョン・ロックフェラー4世」を頂点として構成されています。
ここでは、初代当主であるジョン・ロックフェラーから、現当主であるジョン・ロックフェラー4世までのロックフェラー家の主な人物を紹介します。
ジョン・ロックフェラー – 石油王と名高い初代当主(生誕1839年7月8日~死没1937年5月23日)
石油事業で史上最大の資産家に
ジョン・ロックフェラーはロックフェラー家の初代当主であり、ロックフェラー家の礎を築いた最大の功労者です。一時期はアメリカの石油の90パーセントをコントロールし、1870年に創業したスタンダード・オイル社は石油市場を独占します。さらに、アメリカで初のトラスト(同種の企業を一体化させる経営形態)を結成しました。
ジョン・ロックフェラーの資産は、ガソリンとケロシンの需要の高まりと共に膨れ上がり、アメリカ人で初となる資産10億ドルを超えるほどになりました。ジョンが亡くなる1937年には、現在の価値で23億ドルもの資産をもつに至り、それは当時のアメリカ経済の1.5パーセント以上を占めました。
ジョン・ロックフェラーは、当時の資産を現在の物価に換算すると、史上最大の資産家であるとされています。
ジョン・ロックフェラーの晩年の活動
多額の資産を保有したジョン・ロックフェラーですが、第一線を退いてからの40年間は慈善活動に費やしました。その主な活動内容は大学への財政支援で、ジョン・ロックフェラーは1880年代半ば~1900年代初頭まで数多くの大学に資金援助をしました。
その中には、イェール大学・ハーバード大学・コロンビア大学・ブラウン大学・ウェルズリー大学・ヴァッサー大学が含まれており、財政難で1886年に閉鎖されたシカゴ大学に対しては8,000万ドルの資金提供をし、1890年に世界的な大学へと変貌させました。
さらに、1901年にはロックフェラー医学研究所(のちのロックフェラー大学)を創設し、1909年にはロックフェラー衛生委員会を創設。同委員会はアメリカ南部の農村地帯で問題視されていた鉤虫症(こうちゅうしょうと読む。感染症の一種)の根絶に貢献します。1913年にはロックフェラー財団を設立し、医学の枠すらも超えて芸術分野へ資金提供するに至りました。