「渥美清の死因は?」
「晩年の渥美清の様子が知りたい!」
渥美清さんは山田洋次監督による「男はつらいよ」シリーズで主人公「車寅次郎」を演じ、「寅さん」と呼ばれ広く国民に親しまれた昭和の名優です。渥美さんの人間味あふれる演技が国民に喜びと潤いを与えたとして、俳優としては史上二人目となる国民栄誉賞を受賞しています。
そんな渥美清さんは1996年8月4日に、68歳でこの世を去りました。渥美さんの死はすなわち「寅さん」の死であり、多くの「男はつらいよ」ファンや俳優仲間、芸能関係者が涙したと言います。
この記事では渥美清さんの死因や闘病中の様子、病弱だった幼少期について解説します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
渥美清さんの死因は?
死因は転移性肺がんだった
渥美清さんの死因は転移性肺がんでした。
転移性肺がんが見つかったのは1994年のことで、ちょうど「男はつらいよ」の第47作目に取り掛かろうという時でした。その後、体調は優れないながらも病気と闘いながら、第47作と第48作の作品に奇跡的に出演を果たします。
さらに第49作目の製作を開始しようという矢先、渥美さんは「呼吸が苦しい」と家族に訴えすぐ手術を受けます。しかしこの時にはがんの転移が広がっていて、すでに手の施しようがない状態でした。
1996年8月4日午後5時10分、渥美清さんは享年68歳で転移性肺がんのためこの世を去ったのです。
肝臓がんも患っていた
渥美清さんの肺がんは転移性のもので、その原発となったのが1991年に見つかったとされている肝臓がんです。これは亡くなる5年前で、渥美さんは63歳の時でした。
肝臓がんが見つかる1991年の少し前から、徐々に渥美さんの体調は悪くなっていたといいます。1989年に公開された第42作「男はつらいよ ぼくの伯父さん」の撮影では少しずつ出演シーンが削られ、演技も以前のような勢いが失われつつありました。
それでも渥美さんは療養が必要とされるような負担の大きい治療は受けず、「男はつらいよ」への出演を続けるために必要最低限の治療しか受けませんでした。
死因に関する噂
手術によって亡くなったという噂がある
渥美さんの死には最後に受けた手術が原因で亡くなったという噂もあります。手術が行われてからたった4日で渥美さんが亡くなってしまったことが噂に拍車をかけました。
実際はもちろん手術ミスなどはなく、単なる噂にすぎません。手術後たった4日で亡くなったのはそれだけがんが進行していて、もはや手遅れの状態だったということでしょう。
しかし直接の原因ではなく手術を行ったことで間接的に死期を早めた可能性はあるかもしれません。体力のある若者なら大手術にも耐えられるかもしれませんが、がんに侵され体力も衰えていた渥美さんが手術に耐えられず力尽きてしまったということも考えられます。
二つの説があるがん宣告の時期
実は渥美さんのがん宣告の時期には二つの説があります。一つは一般的に浸透している1991年に肝臓がんが発覚し1994年に肺への転移が確認されたという説で、もう一つは渥美さんの長男である田所健太郎さんが語っている説です。
田所健太郎さんは渥美清さんの俳人としての一面に迫るルポルタージュ「風天渥美清のうた」の中で、「父の病気ががんであることを知ったのは僕が幼稚園の頃だった」と答えています。これによると田所さんが幼稚園に通っていた1974年から1976年あたりに最初のがんが発見されたことになります。
もしかしたら渥美さんは20年にわたってがんと闘い、「男はつらいよ」の撮影をこなし役者人生を全うしたのかもしれません。