ヘミングウェイは、20世紀を代表するアメリカの作家です。「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」、「老人と海」など多くの名作を残しました。1954年にはノーベル文学賞も受賞しています。
行動派の作家として知られ、自ら戦場に赴いて、その実体験を作品にしたりしています。また、狩猟や釣り、ボクシングといったアウトドアな趣味を持ち、その豪快なライフスタイルはアメリカ社会に多大な影響を与えました。
彼の小説は、「ハードボイルド小説」と呼ばれています。ハードボイルドとは、感情的・情緒的な表現が少なく、客観的な事実を簡潔な文章で表現する手法のことです。その文章は、シンプルながら広い意味を持ち得るため、読み手を味わい深い世界へいざないます。
簡潔な文章が求められる新聞記者出身のヘミングウェイは、小説においてこの技法を確立し、次々と名作を生み出していったのです。これらの作品は、後世の作家にも大きな影響を与えました。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ヘミングウェイとはどんな人?
名前 | アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway) |
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誕生日 | 1899年7月21日 |
生地 | アメリカ合衆国イリノイ州オークパーク |
没日 | 1961年7月2日 |
没地 | アメリカ合衆国アイダホ州ケッチャム |
配偶者 | エリザベス・ハドリー・リチャードソン(1921~1927)、ポーリン・ファイファー(1927~1940)、マーサ・ゲルホーン(1940~1945)、メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイ(1946~1961) |
埋葬場所 | ケッチャム墓地(アメリカ合衆国アイダホ州) |
ヘミングウェイの生涯をハイライト
ノーベル文学賞を受賞した行動派作家として有名なヘミングウェイの生涯は、どのようなものだったのでしょうか。簡単にまとめたのでみてみましょう。
1899年、ヘミングウェイはアメリカ・シカゴ郊外のオークパークで、医者の父と元オペラ歌手だった母の間に生まれました。彼が小説を描き始めたのは、高校へ入学したときからです。
ヘミングウェイは3本の短編小説を校内雑誌に掲載しました。高校卒業後は新聞記者となります。ヘミングウェイの特徴である、明瞭簡潔な文章はこの時代に磨かれました。
第一次世界大戦が始まると、ヘミングウェイはケガをした兵士を運ぶ車の運転手として大戦に参加します。イタリアの戦場へ向かったヘミングウェイでしたが、わずか2週間で重傷を負い、死の恐怖を知ります。
この出来事は、ヘミングウェイに大きな影響を与えました。そして、戦地からなんとか生還したヘミングウェイは、1929年に『武器よさらば』を発表します。この作品は戦地での実体験を元に書かれた初めての小説として7万部の大ヒットとなりました。
人気作家としての一歩を踏み出したヘミングウェイでしたが、スランプに陥ってしまい物語が書けなくなってしまいます。
スランプを克服するために第二次世界大戦にも参加しましたが、克服にはいたりませんでした。うっくつとした日々を送っていたヘミングウェイ。そんな彼の悩みを解決したのは、1人の女性への片想いでした。
この恋がきっかけとなり、ヘミングウェイはスランプを乗り越えることに成功。1952年に名作『老人と海』を発表しました。自然の美しさと厳しさ、その中で生きる人間の強さを描いたこの作品は多くの人から評価され、1954年にノーベル文学賞を受賞しました。
作家として最高の栄誉を手にしたヘミングウェイでしたが、飛行機事故に2度もあい、ひん死の重傷を負ってしまいます。命は助かりましたが、事故の後遺症により心身に大きな問題を抱えることとなってしまいました。
心身の苦痛から物語も書けなくなり、小説家生命を絶たれてしまったヘミングウェイ。精神状態は坂道を転がるように悪化し、1961年7月、ヘミングウェイは猟銃で自身の頭を撃ち、この世を去りました。61歳でした。
ヘミングウェイは猫好きだった
ワイルドで男らしいイメージのあるヘミングウェイですが、実は猫好きで猫を2匹飼っていました。
その猫は足の指が6本ある、多指症でした。ヘミングウェイは6本指の猫を、幸運を呼ぶ猫と信じていて、大切にしていたそうです。アメリカ・キーウェストにあるヘミングウェイの屋敷は現在、博物館として公開されているのですが、彼が飼っていた猫の子孫が50匹ほど飼われています。
肉体的にも精神的にもたくましいヘミングウェイが猫好きだったなんて、なんだか親近感が湧きますね。
ヘミングウェイの死因は事故の後遺症?
ヘミングウェイの直接の死因は、銃で頭を撃ち抜いたことによる自殺ですが、その原因は飛行機事故と言ってもよいでしょう。
ヘミングウェイが飛行機事故によって丈夫な肉体と健康な精神を失いました。特に精神的な不安定さが目立ち、躁うつ状態(活動的な状態と憂うつな状態が交互に繰り返されること)のほか、妄想や幻覚にも取り憑かれ自殺願望を口にすることすらありました。
また、文章がまったく書けなくなってしまったことも追い討ちをかけ、ヘミングウェイは最後に自殺という手段を選んだのです。飛行機事故が彼に与えた影響は甚大でした。
ヘミングウェイに影響を与えた人とは
ヘミングウェイは父親に大きな影響を受けたといわれています。医者だった父・クラレンスは、とても男性的でアウトドアが好きな人でした。北ミシガンの大自然の中に別荘を構え、ヘミングウェイも父に連れられて、釣りや狩猟の手ほどきを受けています。
また、祖父・アンソンもヘミングウェイに大きな影響を与えました。南北戦争に兵士として参加した祖父は、戦場の武勇伝をヘミングウェイに聞かせています。ヘミングウェイ12歳の誕生日には、狩猟用の散弾銃を贈ったそうです。
一方で、ヘミングウェイは母親とは不仲だったようです。母・グレースはオペラ歌手として経済的に自立し、厳格なクリスチャンでもありました。経済力があった母親(収入は父親の20倍)は父親を支配していました。ヘミングウェイはそんな父親を被害者だと思っており、父・クラレンスが1928年に拳銃で自殺したときも、父の自殺は母親が原因だと考えていたようです。
また、母親もヘミングウェイの冒険的な生活が理解できず、冷え切った関係が続いていました。結局、親子関係は修復されず、母親の葬式にも彼は参列しませんでした。
ヘミングウェイの性格とは
「パパ・ヘミングウェイ」と称したヘミングウェイのイメージといえば、「豪快」「男らしい」「逞しい」…といったところでしょうか。確かに、男らしい屈強な肉体を持ち、狩猟や釣りなどアウトドアな趣味を持っていた彼には、これらの言葉がぴったりです。
しかし、彼には非常に繊細な一面もあったといわれています。赤十字の運転手として第一次世界大戦に参加したヘミングウェイは、敵の砲弾を受けて重傷を負ってしまいます。この時に味わった死への恐怖は、彼の作品へ多大な影響を与えると同時に、不眠症などの形で彼を苦しめることになったのです。
また、晩年は2度の飛行機事故に見舞われ、事故の後遺症に悩まされることになります。ノーベル文学賞の授賞式も健康上の理由で欠席しています。
屈強な男を演じていたゆえに、その肉体にダメージを負ったときのショックは計り知れないものがあったでしょう。このことが、彼の悲劇的な最期につながっていきます。
ヘミングウェイの女性関係はドロドロだった
彼の女性関係は実に奔放でした。結婚するたびに別の女性と不倫を繰り返し、生涯で3度の離婚・4度の結婚を経験しています。
自分が甘えられる女性にはついつい惹かれてしまうタイプだったようです。これは、自身の母親と不仲だったことも影響しているのかもしれませんね。豪快な男のイメージですが、内面では愛に飢えていたのかも…。
ちなみに、4人の妻との間にはヘミングウェイの代表作がそれぞれ1つずつ生まれています。
- 最初の妻 ハドリー…『日はまた昇る』
- 2番目の妻 ポーリン…『武器よさらば』
- 3番目の妻 マーサ…『誰がために鐘は鳴る』
- 4番目の妻 メアリー…『老人と海』
女性との生活は作家ヘミングウェイに大きな影響を与えていたといえるでしょう。
ヘミングウェイが愛したカクテルとは
彼はフローズンダイキリというカクテルを愛飲していました。キューバのバー「ラ・フロリディータ」で1日12杯も平らげていたそうですね。
通常のダイキリでもアルコール度数20以上ある強いお酒ですが、お酒にめっぽう強かったヘミングウェイは、ラムの量を通常の倍にして、砂糖を抜いて飲んでいました。彼が特注していたダイキリは「パパ・ヘミングウェイ」と名付けられています。
また、モヒートを愛飲していたことでも知られ、『我がモヒートはボデギータにて、我がダイキリはフロリディータにて』という言葉を残しています。
ヘミングウェイのおすすめ作品
代表作ベスト3
老人と海
ヘミングウェイの代表作です。この作品で1954年にノーベル文学賞を受賞していますね。年老いた漁師・サンチャゴの大魚との格闘を通して、自然の厳しさ、人間の勇敢さを描き出した名作です。
誰がために鐘は鳴る
ヘミングウェイ自身が体験したスペイン内戦をテーマにした作品です。戦場という極限の地で揺れ動く男女の情愛が、ヘミングウェイらしいシンプルな文体で描かれています。また、戦争のむなしさを描いた「武器よさらば」とは異なり、戦争で勇敢に戦う人間の姿を肯定的に捉えています。
武器よさらば
ヘミングウェイ自身の第一次世界大戦への参加体験を元に書かれた作品です。戦争に翻弄される男女の運命を描いています。読了後の虚無感が、何とも言えないカタルシスを呼び起こします。
長編小説ベスト3
日はまた昇る
1926年に発表されたヘミングウェイにとって初めての長編作品です。アメリカ合衆国のロストジェネレーション達の刹那的・退廃的な日々を描いています。作中の闘牛のシーンは、大きな見どころの一つです。
エデンの園
ヘミングウェイの死後、1986年に遺作として発表されました。それまでの硬派なヘミングウェイの文学とは一線を画す、エロティシズムに正面に向き合った異色の作品です。
海流のなかの島々
ヘミングウェイの死後、1970年に遺作として発表されました。『老人と海』を読んだ人には特にお勧めできます。ヘミングウェイの自伝的作品と言われており、死の香りが色濃く漂う作品です。逞しい「パパ・ヘミングウェイ」のイメージが覆されるかもしれませんね。
短編集ベスト3
キリマンジャロの雪
1936年に発表された短編小説です。足の壊疽(えそ)で衰弱していく夫とそれを看病する妻の様子を描いています。簡潔な文章によって、勇敢な男が死に向かっていく虚しさが表現されていますね。
清潔で、とても明るいところ
1933年に発表された短編小説です。午前2時のスペインのカフェを舞台に「虚無」とは何かついて語った哲学的作品です。「虚無」はヘミングウェイの価値観の一つだったともいわれ、代表作「武器よさらば」にも彼の虚無思想が色濃く出ていますね。
蝶々と戦車
スペイン内戦をテーマにした作品。戦争で混沌としたマドリードを舞台に、酒場で発生した殺人事件を描いています。ヘミングウェイの中でも、とても意味深な作品ですね。スペイン内戦の知識があると作品をより深く味わえると思います。
老人と海を読みました。
読後感がいいです。人生ってこんなものではないでしょうか?大抵の人は大成功しません。せいぜいプチ成功をいくらか。大成功の影には結構な犠牲や苦労があります。
それでも人は希望や夢を抱いて毎日を送るのだと思います。
> なおみさん
コメントありがとうございます!
老人と海の「読後感がいい」という感想、とても共感します。