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本田美奈子の生涯・年表まとめ【代表曲や死因、性格、交友関係も紹介】

本田美奈子さんは80年代アイドルとして活躍し、のちにミュージカルで名を馳せた歌手です。飛び抜けた歌唱力とヘソ出しルックなどの斬新なファッションでアイドルのイメージを払拭し、瞬く間に注目を集めました。

本田美奈子さん

同期デビューは中山美穂さん、南野陽子さん、おニャン子クラブなど壮々たる顔ぶれでしたが、中でも本田さんはプロ意識が高くアーティストとしてのこだわりを強く持ったアイドルでした。デビュー曲「殺意のバカンス 」も彼女の歌唱力が生かされた楽曲で、アイドルが歌う曲としては珍しいダークでクールなものでした。

1990年代になると「ミス・サイゴン」のオーディションに合格したことを皮切りに、ミュージカル女優としての活動が話題になります。ミュージカルに出演する中でクラシック音楽にも興味を深め、日本語の歌詞を付けて歌うという新しいアプローチが新たなファンを獲得する事にもつながりました。

この記事では、長年ミュージシャンとして音楽の世界に携わってきた筆者が、プロの目から見た本田美奈子さんの生涯について紹介します。

本田美奈子とはどんな人物か

名前本田美奈子
本名工藤美奈子
誕生日1967年7月31日
没日 2005年11月6日(38歳没)
生地東京都板橋区
没地東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院
埋葬場所広称寺墓苑

本田美奈子の生涯をハイライト

インタビューを受ける本田美奈子さん

本田美奈子は1967年7月31日に東京都板橋区の産院で生まれました。歌手を目指していた母親の影響で小さいころから歌を歌っていて、小学校の卒業文集にも「女優か歌手になれたらイイ」と記しています。

高校に入学した年に初めて訪れた原宿でスカウトされ、芸能プロダクションの「ボンド企画」から芸能界に足を踏み入れました。ボンド企画はグループでのデビューを考えていましたが、本田の歌に才能を感じソロでデビューさせることに決めたと言います。

1985年に「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビューを果たすと、翌年には「1986年のマリリン」をリリースします。へそを露出させた斬新な衣装や激しく腰を振る振り付けなども相まって大ヒットとなりました。

踊る本田美奈子さん

1990年代に入るとミュージカルでの活躍が目立つようになりました。「ミス・サイゴン」をはじめ「レ・ミゼラブル」などにも出演し高く評価されています。オペラなどを演じるうちにクラシック音楽への興味を深めていったのもこのころです。

2000年に入り本格的にクラシックをやろうとしていた矢先の2005年に、急性骨髄性白血病と診断を受けます。2度に渡り化学療法を受けますが寛解には至らず、骨髄移植を受けました。しかし再発が認められ、健闘むなしく2005年11月6日に38歳の若さでこの世を去りました。

本田美奈子の性格や人物像は?

こだわりが強く信念を持った性格

こだわりの衣装で歌う本田美奈子さん

本田美奈子さんはデビュー当時からアーティストとしてのプロ意識が高く、自分の売り方に強いこだわりを持っていました。アイドルと言われることが嫌いでアーティストと呼ばれたいと発言したこともあります。楽曲の振り付けやステージでの衣装も自分で決めていたほどです。

デビュー曲も本来アイドル色の強い「好きと言いなさい」を予定していましたが、本人の強い希望で大人びた歌謡曲風の「殺意のバカンス」に変更となりました。

本田美奈子さんのデビュー・シングル「殺意のバカンス」

しかし、そのこだわりの強さから来る態度や物言いが一部のファンや業界の人々の反感を買い、「生意気でわがまま」と言う印象を与えてしまったこともありました。晩年は性格の角も取れ、天使の歌声に象徴されるような穏やかで慈愛に満ちた人柄が印象的です。

天使のような歌声

天使のような歌声を披露する本田美奈子さん

母親の影響で幼い頃から歌が好きだった本田美奈子さんは、デビュー当時から一目を置かれる歌唱力を持っていました。特にミュージカルに進出した頃からは歌唱指導も受けるようになり、その歌唱力に磨きをかけて行きました。

歌唱指導を受ける前は裏声を使用した高い音域での歌唱やロングトーンなどを苦手としていたと言いますが、見事に克服し1994年発表の「つばさ」では10小節にも及ぶロングトーンを披露しています。人々の心に直接語りかけるような優しく温かなその歌声は、まさに天使の歌声だと称されました。

亡くなった後の2005年12月に放映された本田さんのドキュメンタリー番組にも「天使になった歌姫」というタイトルがつけられています。

元祖へそ出しルックで話題に

へそ出しルックの衣装

1986年に発売された「1986年のマリリン」で本田美奈子さんが着用した衣装は、おへそを出した露出度の高いものでした。彼女自身のアイデアで制作されたこの衣装は、当時ステージでの振り付けや衣装の参考にしていたマドンナから影響を受けていました。

露出度の高い衣装と激しく腰を振る振り付けが、視聴者に衝撃を与えたことで大きな話題となり「1986年のマリリン」のヒットにもつながりました。当時のアイドルは清純派が多く、本田さんは異例の改革派のアイドルでした。

マドンナ

現在、彼女の衣装の一部は本田美奈子ミュージアムにて展示・保管されています。

死因は急性骨髄性白血病

闘病中の本田美奈子さん

2005年11月6日にこの世を去った本田美奈子さんの死因は血液のがんである白血病でした。前年から微熱が続き風邪のような症状が現れていて、病院で診察を受けたところ急性骨髄性白血病であると診断され緊急入院となりました。

中でも彼女が患った白血病は治療をしても効果が得られにくく、再発率の高い「治療抵抗性」のものでした。2度の化学療法や臍帯血移植を行い一度は退院しましたが、わずか2ヶ月後の再発により再入院し抗がん剤治療を開始します。

本田美奈子さんの墓地

様々な治療の甲斐なく肺への合併症から容態が急変し、家族に看取られながら38歳の若さで息を引き取りました。

本田美奈子の功績

功績1「クラシックの楽曲を日本語詞で歌った」

クラシック楽曲のレコーディングをする本田美奈子さん

ミュージカルに出演するようになってから興味を深めていたクラシック音楽の楽曲を、本田美奈子が本格的に歌うようになったのは2002年ごろです。旧来のクラシックに囚われることなく、現代の感覚で歌うことで楽曲の素晴らしさを伝えようとしていました。

その中で特に彼女がこだわっていたのが日本語での歌唱でした。これによりクラシックの世界を大きく開拓し、新しいファン層を獲得することに成功します。本田美奈子のクラシックは2003年の「AVE MARIA」と、2004年の「時」で聴くことが出来ます。

功績2「1万2000人の中からオーディションに合格」

ミス・サイゴンで演じる本田美奈子さん

アイドル活動の中でロックに興味を持ちバンドを結成しますが、いまいち伸び悩み人気も停滞し始めます。そんな1980年代後半ごろは、本田さんにとって芸能人として一番苦しい時期でした。そんな中、ミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションの話を耳にします。

1990年に始まったオーディションには約1万2000人の応募者が集まり、選考は6ヶ月にわたって行われました。本田は選考を無事勝ち残り、主人公のキム役に決定します。一年半にも及ぶ舞台をやり遂げたことで、舞台女優としても高く評価されることになりました。

功績3「様々な海外アーティストとのコラボレート 」

フレディ・マーキュリーと本田美奈子さん

デビュー当時は洋楽をほとんど聞かず詳しくもなかった本田さんでしたが、事務所の社長の勧めでマリリン・モンローやマドンナなどのスターの映像を見てステージでの振る舞いなどを勉強していました。

1986年にはアイルランドのギタリストであるゲイリー・ムーアから楽曲提供を受けたり、クイーンのギタリストのブライアン・メイにプロデュースをお願いしたりして、精力的に海外のミュージシャンと交流を持ちました。

ラトーヤ・ジャクソン

翌年の1987年にはマイケル・ジャクソンの姉であるラトーヤ・ジャクソンとのジョイントコンサートを行ったり、同年7月にはジャマイカを訪れレゲエの重鎮であるスライ&ロビーのライブにゲストで出演したりしています。

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