中臣鎌足の年表
614年 – 0歳「大和国で生まれる」
614年に大和国武市郡で生まれたと言われます。父は中臣御食子という祭祀をになう家系の父であり、母は大伴智仙娘といわれています。父の位は小徳冠だったといいますので、決して身分の高い方ではありませんでした。
しかし、中臣鎌足は秀才として頭角を表します。何とか蘇我氏中心体制を打破しようとずっと機会を伺っていました。644年に家業の祭祀を継ぐように求められましたが、固辞して別邸に退いたということです。
645年 – 31歳「乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺する」
中臣鎌足は蘇我氏の専横を憎み、密かに蘇我氏打倒の計画を進めていました。最初は軽皇子(後の孝徳天皇)に近づきましたが、器量に飽き足らず、クーデターの中心になりうる人物を探していたといいます。
中大兄皇子に近づく
飛鳥寺で蹴鞠をしていた時に、中大兄皇子の脱げた靴を拾って捧げたことから、二人は親しむようになったといいます。二人は南淵請安の塾で周孔を学び、その往復の時に蘇我氏を打倒する密談を行ったと言われています。そして、蘇我氏の長老・蘇我倉山田石川麻呂も味方に引き入れることに成功したといいます。
蘇我入鹿を殺害、クーデターは成功する
645年皇極天皇の前で、新羅・百済・高句麗の使者が来たので三国の調の儀式が行われるため、この時に蘇我入鹿を殺害しようと決めました。この時に、蘇我入鹿は儀式に参加するために剣を外していたといいます。
そして、中大兄皇子が先頭を切り蘇我入鹿の切り付け、最終的に佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田の二人が入鹿にとどめを刺したといいます。その後、入鹿の父の蘇我蝦夷も自宅に火をつけ自殺してしまい、長年権盛を誇っていた蘇我総本家が滅亡したのでした。
内臣に任命され、大化の改新を行う
蘇我蝦夷が自殺をした翌日に、皇極天皇が譲位し、孝徳天皇(軽皇子)が即位しました。中大兄皇子は皇太子に任命され、阿倍内麻呂を左大臣、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣、中臣鎌足を内臣に任じ、後に「大化の改新」と呼ばれる改革を断行しました。
663年 – 50歳「白村江の戦いが起こる」
660年に百済が滅亡し、その後百済王族から援軍依頼があり、663年に倭国も参戦し白村江の戦いで敗戦しました。この時、倭国は3派に別れて朝鮮半島南部に進出したといいます。この時の被害は、1000隻あった倭国の船の400隻余りが炎上したそうです。
白村江で敗北した倭軍は、各地で転戦していた倭国軍と亡命を望む百済遺民をつれ、唐と新羅の攻撃を掻い潜りながら帰国したそうです。後に亡くなる直前に中臣鎌足は「私は軍略で貢献できなかった」と天智天皇に申し上げたといいます。軍事的・外交的責任を感じていたことを伺い知ることができます。
669年 – 56歳「落馬し逝去する」
669年山科の御猟場に狩りに出かけ、馬上から転落して背中を強く打ったといいます。天智天皇が見舞うと白村江の戦いのことを嘆いていたといいます。そして、天智天皇から「大織冠」の位と「藤原」の姓を賜り、その翌日に逝去しました。
このことにより、「藤原鎌足」と呼ばれるようになります。しかし、中臣鎌足の名前を使うことが多いのは、「藤原」姓になったのは、彼の死の前日で、後世「藤原氏の祖」というニュアンスを含めて「藤原鎌足」と呼ぶのに関係しています。
中臣鎌足の関連作品
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豊璋 藤原鎌足の正体
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関連外部リンク
中臣鎌足についてのまとめ
いかがでしたでしょうか。中大兄皇子の参謀といった感じで、影の立役者的な存在の中臣鎌足を執筆していて筆者も楽しかったです。やはり、異例の出世を遂げたという人は、凄く努力をしているのだなと感じます。
飛鳥時代という「倭国」が「日本」という国家として動き始めたころの、律令国家に向けての活動に貢献したその偉業を感じました。日本が、他の国と並ぶことができるような国家づくりに精力を傾けたその人生に敬服する思いです。謎なところも多い中臣鎌足を少しでも知ってもらえたら嬉しく思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。