1534年「国王至上法(首長令)を制定」
王妃との離婚を望むヘンリー8世は、婚姻の無効を訴え、教皇と交渉を続けます。しかし、教皇クレメンス7世がヘンリー8世を破門したため、ヘンリー8世は「王が聖職者にとっても首長であり、保護者である」という国王至上法を制定しローマカトリックから決別し、イギリス国教会をつくりました。
ヘンリー8世の側近であったトマス・クロムウェルのもとで委員会が結成されると、修道院が保持していた財産等は国家へ移され、事実上イングランドにおけるカトリックの修道院は破壊され、荒廃しました。
1549年の「イングランド国教会祈祷書」の制定
ヘンリー8世が亡くなり、息子のエドワード6世が即位すると、イングランド教会は最初の変革を行いました。父ヘンリー8世がカトリックよりであったのに対し、エドワード6世は典礼・祈祷書の翻訳を行い、プロテスタント的な信仰の確立を目指します。
1549年、国家事業として「イングランド国教会祈祷書」が出版され、1552年、最初の改訂が行われました。
1559年「国教会が正式にローマから分かれる」
エドワード6世の死後に即位したメアリー1世は、ヘンリー8世の長女で熱心なカトリック教徒でした。メアリーは、再びイングランドをカトリックに戻そうとしましたが反感を買い、メアリー1世の死後、カトリックへの復帰運動は消滅します。
1558年、同じくヘンリー8世の娘であるエリザベス1世が即位すると、教皇の影響力がイングランドに及ぶことを阻止します。1559年、議会がエリザベス1世を信仰の擁護者である首長として認め、市長法を採択します。1563年せの聖職者会議でエリザベス1世は、「イングランド国教会の39箇条」を制定し、イングランド国教会は、正式にローマから分かれました。
現在「王室の宗教としての国教会」
ヘンリー8世が国教会をつくり、エリザベル1世の時代に確立されて国教会は、今もイギリス王室が属する宗教として継続しています。現在の女王エリザベス2世は、イギリス国教会の最高権威者として認知されています。
イギリス国教会の関連作品
本・書籍
王妃の闘い―ヘンリー八世と六人の妻たち
ヘンリー8世と6人の妻たちについて書かれています。イギリス国教会成立のきっかけとなった、最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンについて、離婚の経緯や裁判の様子などが詳しく書かれています。
聖公会が大切にしてきたもの
英国教会の成立から、現代社会における教会まで詳しく解説しています。易しい語り口の文章で、とても読みやすく、世界史の勉強にもなります。入門書としておすすめです。
図説 テューダー朝の歴史
ヘンリー8世と6人の妃達、ローマ・カトリック教会との確執とイギリス国教会の成立、エリザベス1世の時代の繁栄が詳しく分かります。複雑な世界情勢の中、英国の礎を築いたとテューダー朝の壮大な歴史が図説や写真と共に描かれています。
イギリス国教会に関するまとめ
イギリス国教会についてご紹介しました。イギリス国教会は、名前の通りイギリス独自の宗教であり、ロイヤルファミリーが属する宗教です。その成立が王の離婚と再婚という王の個人的な出来事がきっかけとなったところが面白いですね。
イギリスから始まった国教会ですが、現在は、カンタベリー大主教座(カンタベリー大聖堂)のもと、世界中に38の管区と約4500万の信徒をもつほどに大きくなりました。今回の記事がきっかけで、イギリス国教会に興味を持っていただけたら嬉しいです。