ローマ皇帝はどのような存在?歴史やキリスト教との関係まとめ【名君、暴君なども詳しく紹介】

ローマ皇帝を語る上で欠かせない人物とは

名君と呼ばれた五賢帝

五賢帝時代のローマ帝国領

ローマ帝国最大の平和と繁栄が訪れたのが五賢帝時代です。五賢帝とは、1世紀末に即位したネルウァ=アントニヌス朝の初代皇帝マルクス・コッケイウス・ネルウァから始まり、哲学者としても知られるマルクス・アウレリウス・アントニヌスまでの5人の皇帝を指しています。

五賢帝の1人目は優秀なトラヤヌスを後継者に選んだネルウァ、2人目はローマ帝国に最大領域をもたらしたトラヤヌス、3人目は国内各地に防壁を建てたハドリアヌス、4人目はローマ史上最も平和な治世を築いたアントニヌス=ピウス、そして5人目はストア派の哲学者マルクス・アウレリウス・アントニヌスです。

アウグストゥスが初代ローマ皇帝となった紀元前27年から五賢帝時代の終わりまでを「パクス・ロマーナ」と呼びます。このように攻めや守りを徹底して平和な世を築き上げた偉人たちが五賢帝です。

暴君と呼ばれた皇帝たち

暴君と呼ばれた皇帝ネロ

暴君として知られる皇帝と言えば、ローマ帝国第5代皇帝ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスが挙げられます。ネロ帝が暴君と呼ばれる理由は、キリスト教に対する厳しい弾圧にありました。

ネロ帝の在位中、ローマ市で大火災が発生して町の3分の2が焼かれてしまいます。混乱の中にいた民衆たちの間では、ネロ帝が放火したのではないかという噂が立ってしまい、ローマ皇帝にとって大切な民衆からの信用が失われつつありました。この風評をもみ消そうとしたネロ帝は、ローマ大火の犯人をキリスト教徒だと決めつけ、反ローマの罪で処刑してしまいます。

そして、ローマ帝国第23代皇帝のヘリオガバルスも暴君として知られています。ローマは伝統的に多神教を信仰しているにもかかわらず、ヘリオガバルスはギリシャ神話のへーリオス信仰から派生した太陽神のエル・ガバルを信仰していました。さらには従来の慣習や制度を無視した奇抜な政策や異常な性欲、性癖が後世において良くない評判を生んでいます。

ローマ皇帝とキリスト教の関係は?

キリスト教を迫害したローマ皇帝

キリスト教に対して最大の迫害を行ったローマ皇帝は、「3世紀の危機」と呼ばれている軍人皇帝時代を収めたディオクレティアヌス帝です。ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒の大弾圧は「最後の大迫害」と呼ばれています。

「最後の大迫害」を行った
皇帝ディオクレティアヌス

ディオクレティアヌス帝の時代には以前と比べてキリスト教徒が増加しており、危機感を抱いたディオクレティアヌス帝は、303年にキリスト教徒の強制的な改宗や聖職者の逮捕などを含む勅令を発表しました。ローマ全土で数千人にも及ぶキリスト教徒が処刑され、聖書は焼却、教会も破壊されてしまいます。

元々ローマは伝統的に多神教であり、専制君主制を敷いて皇帝権威再建を図っていたディオクレティアヌス帝の治世だったからこそ起こってしまった「最後の大迫害」と言えます。

キリスト教を国教化したローマ皇帝

過激な迫害を受けていたキリスト教ですが、しばらくするとローマ帝国の国教に採用されることになります。ディオクレティアヌス帝によるキリスト教の大迫害から僅か10年後、313年にコンスタンティヌス1世がリキニウスと共にキリスト教を帝国統治に利用する目的でミラノ勅令を発布。キリスト教を始めとしたすべての宗教を公認としました。

テオドシウス帝の顔が刻まれた硬貨

そして379年、ローマ皇帝となりキリスト教の保護活動を行っていたのがテオドシウス帝です。テオドシウス帝は388年に古代ローマより伝わる宗教の廃絶を求める決議を提起します。元老院もこれに賛成し、ローマ帝国での唯一の宗教となったキリスト教はテオドシウス帝の治世の下で国教化されることになりました。

キリスト教が現在でも様々な地域に強い影響を及ぼしているのは、広大な土地を保有していたローマ帝国が国教としていたからかもしれません。ローマ帝国がバラバラになった後もキリスト教はヨーロッパ世界において欠かせない存在となっていきます。

ローマ皇帝の歴史年表

紀元前60年 ‐ 「三頭政治体制が成立」

第1回三頭政治

第1回三頭政治を行った
グナエウス・ポンペイウス

共和政末期に生じた3人の実力者によって構成された政治体制が三頭政治です。第1回はガイウス・ユリウス・カエサル、グナエウス・ポンペイウス、マルクス・リキニウス・クラッススの3人によって紀元前60年に成立しました。

しかしクラッススが戦死したことで三頭政治体制は崩壊。ポンペイウスはガリア遠征で活躍したカエサルに対抗するため元老院に接近しようとした結果、ローマ内戦の末に暗殺されてしまいます。

ローマ内戦を終結させたカエサルは元老院を武力で制圧。徐々に支配力を高めたカエサルは共和政の改革に乗り出します。

ユリウス・カエサルが暗殺される

終身独裁官に就任したガイウス・ユリウス・カエサルでしたが、絶対的な権力を保有したカエサルから出始める君主制を思わせるような発言や振る舞いは共和主義者たちに危機感を抱かせました。

紀元前44年にはローマ元老院議場内でカエサルの愛人の息子マルクス・ユニウス・ブルトゥスや政治家のガイウス・カッシウス・ロンギヌスらによって暗殺されてしまいます。

暗殺された後の時代にもカエサルの名前はローマ皇帝の称号として受け継がれていきました。カエサルが如何に偉大な人物であったかがわかります。

第2回三頭政治

第2回三頭政治を行った
マルクス・アエミリウス・レピドゥス

カエサルが暗殺された翌年の紀元前43年にはガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス、マルクス・アントニウス、マルクス・アエミリウス・レピドゥスの3人による第2回三頭政治が成立しました。

カエサル派だった3人による三頭政治は元老院や共和派に対抗するための同盟であり、共和政派の巨頭を次々と粛清しました。

そのため政敵を排除すると、次第に3人の間で権力闘争が始まることになります。最終的に「内乱の一世紀」を終結させ、地中海世界の統一を果たしたのはオクタウィアヌスでした。

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