673年 – 14歳「下級役人として出仕する」
14歳である673年に、大舎人として出仕を開始しました。父が一番位の高い「大錦冠」であったことを考えると、決して優遇されたスタートではありませんでした。この後に藤原不比等は、父の七光りではなく自らの手で再度人生を切り開いていったと言えるのです。
草壁皇子に仕える
20代前後くらいに従兄弟の中臣大島と共に、草壁皇子に仕えました。草壁皇子に仕えることによりその縁で、草壁皇子の息子「軽皇子」の乳母である県犬養三千代と知り合ったと考えられています。結果的に草壁皇子に仕えたことが、持統天皇の信任に繋がり出世をする足掛かりとなり、引いては妻の縁で娘を「夫人」にすることに成功したといえるでしょう。
689年 – 30歳「判事に任命される」
草壁皇子の元で働いていたため、「判事」に任命され歴史の表舞台に登場しはじめます。登用の理由は、藤原不比等の法律の知識や文才が評価されたためといわれています。この時に、飛鳥浄御原令に携わったという説もあります。
697年 – 38歳「大宝律令の編集に携わる」
697年に大宝律令の編集に携わることになります。理由は軽皇子が文武天皇として即位した時に、即位にあたって功績を残したからでした。
軽皇子は天武天皇と持統天皇の孫ですが、天武天皇には他にも皇子がおり少なからず反対する者もいたといいます。そのため文武天皇の即位は王公諸臣の反対を押し切っての即位であり、即位に貢献したことにより持統天皇と文武天皇の信任をより得ることに成功したのです。
大宝律令は701年に施行され、日本の国情に合致しつつ、唐の律令国家を目指したものでした。作成には高い唐の政治への知識が必要とされたため、学が深い藤原不比等の能力を存分に発揮できたと言えるでしょう。この律令の制定によって、天皇を中心とし、二官八省の官僚機構を骨格に据えた本格的な中央集権統治体制が成立しました。
大宝律令で、役所で取り扱う文書には元号を使うこと・印鑑を押すこと・定められた形式に従って作成された文書以外は受理しないこと等々の、文書と手続きの形式を重視した文書主義が導入されました。現在にも受け継がれる文書体制が確立した時期と言えるでしょう。
娘宮子を夫人にする
藤原不比等は、娘の宮子を文武天皇即位時に夫人とすることに成功しました。これは、妻である阿閉皇女(元明天皇)付き女官の県犬養三千代の存在があったと考えられています。
701年 – 42歳「首皇子(後の聖武天皇)が生まれる」
701年に藤原不比等の娘の宮子が、首皇子を出産しました。首皇子は714年に元服し立太子しています。これにより藤原不比等は、皇太子の祖父になったのです。後に藤原不比等の死後に首皇子は即位し、聖武天皇となりました。聖武天皇の皇后が、藤原不比等の娘の光明子です。
706年 – 47歳「慶雲の改革が行われる」
文武天皇の時代に、藤原不比等は慶雲の改革に携わっていきます。大宝律令を施行してみて分かった矛盾や不備を訂正するためでした。また703年~707年まで飢饉が発生し、税体系の不備により生活が貧窮する農民が続出したため、救済策を求められたのです。
具体的には一度廃止していた中納言を復活させて、高向麻呂・粟田真人・阿倍宿奈麻呂ら遣唐使であったり学が高かったものに任命しました。遣唐使だった粟田真人が唐の律令の不備を補う「格式」の存在を報告し、文武朝の律令の改正に活かされることとなったのです。
そして飢饉から農民の負担を軽減するために、調(地方の産物を納める)を人別徴収方法から戸別徴収に変更し、庸(布や労働をする)を半減させました。義倉米(飢饉の際に貧民に支給するためにあらかじめ米穀を徴収・備蓄しておく制度)徴収法の緩和などを行っています。
720年 – 63歳「病により薨去」
藤原不比等は、律令体制の改革を行い、養老律令の編集作業に取り掛かっていました。しかし、志半ばで720年に疹疾(発疹があり熱の出る病)により薨去しました。享年63歳でした。死後元正天皇により、太政大臣正一位が追贈されています。
藤原不比等の関連作品
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天上の虹 全11巻セット (講談社漫画文庫)
里中満智子作の持統天皇が主役の漫画です。持統天皇の重用された藤原不比等も、かなりの頻度で登場します。歴史に興味がない方でも楽しく読めます。飛鳥時代の分かりにくい人間関係も、分かりやすく解説されていて勉強になる漫画です。
ただひたすらに ~ 藤原不比等の真実 ~
政治家としての藤原不比等や、その他の人物がいかに国のために最善を尽くしたかを記してくれています。歴史の授業では習わない歴史上の人物を身近に感じることができます。読み終わるときには、藤原不比等への印象が変わるかもしれないおすすめの一冊です。
持統天皇と藤原不比等 (中公文庫)
かなり難しく専門的な事が多く書かれた本です。持統天皇と藤原不比等との関係を中心に考察された本です。かなり専門的な視点なので、初心者よりは上級者向けの本ですが、より詳しく知ることが目的の人におすすめの本です。
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藤原不比等をアニメも含めて紹介してくれます。この動画を見ると大体藤原不比等がどういう人か分かるので、どんな人か知りたいという人はまずこの動画を見ることをおすすすめします。
【奈良時代】39 藤原不比等を家系図で解説!中臣鎌足や持統天皇との関係【見て覚える日本史シリーズ】
「見て覚える日本史シリーズ」の藤原不比等の回です。混乱しがちな人間関係を、天皇家の家系図を見ながら解説してもらえるので、ややこしい人間関係もだいぶわかりやすく見ることができます。
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「聖徳太子が始動し、藤原不比等が完遂した」仏教の視点を中心に、現在の歴史の定説に一石を投じる内容です。歴史好きの人は、こういう説もあるのかと一度見てみるのをおすすめします。
関連外部リンク
藤原不比等についてのまとめ
いかがでしたでしょうか。
筆者は今回藤原不比等を執筆するにあたって、非常に有名な人物であるのに謎が多かったことに驚いています。埋葬場所も不明であり、自身が先頭に立って行うイメージではなく、裏方に徹している印象なのが意外に感じました。実際出来るだけ目立たないように気を使っていたというので、「藤原氏1000年の歴史の祖」は非常に地味な人だったんだなという印象です。
しかし行動は自分に利がある妻を選び、娘を天皇家に婚姻させ飛躍的に昇進した抜け目のなさを感じます。そこがやはりしたたかな公家気質の祖という感覚を受けました。和歌は1首も残っていないですが漢詩は5首も残っているところから、大陸文化に敏感な学者気質を感じる人物と感じています。
今回執筆に当たって新たな藤原不比等像を発見することができて面白く感じた次第です。最後までこの記事を読んでいただきありがとうございました。