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都市国家とはなに?各時代の特徴やポリスの意味、国家との違いを分かりやすく紹介

「都市国家ってなんだろう?簡単に知りたいな」
「都市国家と国家の違いってなに?」
「ポリスってなんのこと?都市国家じゃないの?」

本記事を見ていらっしゃるあなたは、このような疑問を持っていると思います。

都市国家とは、名前の通り1つの都市で完結した小さな国のことです。ポリスと混同されますが、厳密には違います。

今回は都市国家とはなにか、とポリスについて深く掘り下げて解説いたします。また国家との違いや古代から現代までの都市国家の歴史、成り立ちについてご紹介します。

日本との関係についても触れますので、ぜひ参考にしてください。

都市国家とは

都市国家の意味

最小の国家

都市国家とは、1つの都市とその周辺地域が独立した政治を持つ小国家のことです。日本で例えるなら、東京が日本国から独立し、東京国と名乗るようなイメージです。

人類の歴史で最初期に出現した国家の形で、ここから徐々に現代のような広い土地と複数の都市を持つ形に変化していきます。

時代が経つにつれて、都市国家は徐々に減っていますが、現代にもシンガポールやモナコなどが残っています。

ギリシア語では「ポリス」

ギリシャの代表的な都市国家アテネ

都市国家といえば、「ポリス」という言葉をよく一緒に見かけると思います。そのため「ポリス」は都市国家を指す言葉ととらえがちですが、実は少し意味が異なります。

ポリスは「ギリシアの」都市国家を示す言葉で、メソポタミアやローマなどはそう呼びません。

ポリスは、「小高い丘、城市」を意味するアクロポリスが由来となっています。

当時のギリシアでは、都市国家はその名の通り、丘を中心に形成されました。また、他の文化圏の都市国家は王や少数の人間によって統治されていましたが、ポリスは市民集団によって統治された国でした。

このように、ポリスはギリシア独特の都市国家を示す言葉です。

都市国家はなぜ生まれるか

都市国家の誕生の理由

都市国家は時代ごとに、生まれる理由が異なります。

詳しくは後述しますが、古代では、農業によって食料が自給できるようになりました。そのため、食料を生産できる場所に人々が集まり、協力しあうようになったのです。そうして、集まりがどんどん大きくなり、文化や政治が発展して都市国家へと成長しました。

古代において、都市国家は国家の第一段階だったのです。

中世まで時代が進むとほとんどの国は、都市国家よりも規模の大きい領域国家へと発展します。そのため、中世の都市国家は大きな国を相手に商売するのを目的に成立したものがほとんどです。

現代のほとんどの都市国家は、歴史的な事情や外交の結果として成立しました。モナコやバチカンはまさにそれで、歴史的な事情と周辺国家との外交により国家として成立しています。

例外はシンガポールです。

シンガポールでは国民が独立を求め、それを当時シンガポールを統治していたマレーシア連邦が認めたため、都市国家として成立しました。

以上のことを考えると、都市国家は1つの国として独立したい、という国民や支配者の熱意から成立するものと言えます。

都市国家と国家の違い

都市国家と国家は規模が違う

都市国家と国家の最大の違いは、国としてまとまっている都市の数です。

都市国家は1つの都市に1つの政治で成り立つのに対し、国家は複数の都市が1つの国としてまとまっており「領域国家」とも呼ばれます。

つまり、大雑把に言ってしまえば都市が1つなら都市国家で、複数の都市を持っている国なら領域国家です。日本は東京の他にも、大阪や名古屋など複数の都市を持っています。なので、日本も領域国家に含まれます。

現代に存在するほとんどの国は領域国家で、都市国家は比較的少ないです。有名な都市国家を挙げるならシンガポールやモナコがあります。

都市国家と日本の関係

日本史に見られる都市国家

日本にも都市国家が存在した時期があった

古代より、世界にはさまざまな都市国家がありました。では、日本に都市国家はあったのでしょうか。結論から言うと、日本にも都市国家が存在していました。

中国から日本に稲作が伝えられたのは弥生時代のことです。初期の国家は基本的に、農業が始まってから構築されており、日本もこの例にもれません。

稲作が始まったことにより、人々の間で定住化が進行しました。次第に集団は大きくなり、リーダーとなる支配者が生まれます。

弥生時代、日本ではまだ文字を使用していなかったため資料が少なく、詳細は定かではありません。そのため、弥生時代については中国の『後漢書』に記録が残っています。

記録によると、当時の日本では「倭」と称される小国が複数あり、「王」と呼ばれる君主がいました。それが30ほどあり、3世紀まで小国の分立は続いていましたが、邪馬台国に卑弥呼が現れるとその状況が一変します。

分立していた国々は卑弥呼を女王として争いを収め、連合が生まれました。こうして日本は、領域国家へと移り変わります。

時代が進み、中世になると日本には再び都市国家と呼べる地域が現れます。堺や博多です。この2つの都市は商売によって成り立っており、商人たちが中心になって都市運営をしていた自治都市です。

ですが、織田信長や豊臣秀吉の天下統一事業により自治を失い、領域国家に組み込まれました。これ以降、日本で都市国家は生まれず、領域国家として団結しています。

未来の日本は都市国家になる?

過去、都市国家化に関する資料が作られたが現在どうなっているかは不明

歴史のほとんどが領域国家であった日本ですが、最近では人口減少に合わせて日本は都市国家化した方が良いのでは、という意見があります。

なぜこのような意見があるのかというと、地方の人口減少問題があるからです。2040年、日本の人口は1400万人減少すると言われています。そうなると地方の過疎化が進むため、コストの割に成果が出ないと行った事態になります。

そこで地方から都市部へ人に移動してもらい、介護や医療・ITなどのサービスを都市部に集中させます。こうすると、今よりも低コストで高品質なサービスを実現可能になります。

分散していた情報やサービスが集中することで連絡がスムーズになったり、余った土地で農業を行ったりすることで生産性も高められるというわけです。

実際に資料が作られ、国で検討していたようですが、東日本大震災後そういった資料は公表されていません。しかし、このままいけば地方の過疎化が進み、都市部に人口が集中するのは必然と言えるかもしれませんね。

古代の都市国家

古代の都市国家の特徴

古代の都市国家は自給自足していた

古代の都市国家の特徴は、都市周辺に農地と牧地を持ち、自給自足をしていたことです。

人間は狼やトラ、人間などの外敵から身を守るために集落を形成しました。始めは食料を求めて移動する生活を送っており、集落の規模も最小限でした。しかし、農業や牧畜が発展すると人々は1か所に定住するようになります。この頃になると集落の規模も大きくなり、都市へと発展しました。

初期の都市国家は、居住地の周辺で農業や牧畜を行う自給自足体制でした。しかし、近くの都市国家どうしで交易が始まると、交易に専念し、自分たちの食料をまかなうのに十分な農地・牧地を持たない国家も現れました。

たくさんの都市国家が生まれると、強大な力を持つ都市国家が弱い都市国家を従属させたり、同盟を結んだりし、密接な関係を持つようになります。

都市国家間での協力体制が固くなるにつれ、その領域内にある程度の秩序が生まれ、治安が保たれるようになります。こうした都市国家間の協力体制は、領域国家と呼ばれる1つの国へと姿を変えました。

例えるなら、今までA国とB国だったのが、合わさってC国になるイメージです。このように古代の都市国家は、食の確保から始まり、大きな国へとゆっくり発展していきました。

オリエント文明の都市国家

オリエントとはメソポタミアとエジプトの両方を指す言葉

古代で最初の都市国家を形成したのは、メソポタミア文明のシュメール人です。紀元前3000年ごろに生まれたシュメール人の都市国家ウルクが代表的です。

ウルクは都市の中心に神殿を持ち、居住地を囲むように城壁を築きました。農地や牧地は城壁の外に位置しています。また、青銅器や楔形文字、法典の整備などの都市文明も発展しました。

一方、ナイル川流域のエジプト文明ではノモスという集落が形成されましたが、早いうちに古王国に統合されたため都市国家には至りませんでした。

ギリシャの都市国家

ギリシャの都市国家は民主制だった

紀元前800年の古代ギリシャでは人々の集住化が進み、ポリスと呼ばれる都市国家が形成されました。ギリシャは平地が少なかったため、オリエントのような領域国家は生まれませんでした。その代わりにアテネやスパルタに代表される、大小さまざまなポリスが200ほど生まれます。

ポリスでは特定の支配者が政治を行うのではなく、土地を所有する農民や商工業者らで構成された市民団が国家を運営していました。

200ほどのポリスはそれぞれ独立した国家でしたが、4年に1度オリンピアの祭典(現在のオリンピックの原形)を行い、同じ民族として交流していたようです。

ローマの都市国家

ローマのコロッシアム

古代、ローマは1つの都市国家としてその歴史をスタートさせました。

始めはメソポタミア文明と同じ王政でしたが倒されてしまい、執政官を中心とした貴族共和制に移行。支配領域を拡大していきましたが、戦争で活躍していた平民階級の力が次第に大きくなりました。

貴族の独占的な政治に不満を持ち、平等な権利を欲した平民は、紀元前5世紀ごろに身分闘争を起こします。これにより、ローマは市民による共和制国家へと変化していきました。とはいえ、元老院が残っていたため、貴族も多少の力を持っており、完全な共和政国家とは言えないものでした。

貴族と平民による争いがありましたが、ローマはイタリア半島の統一に成功しました。都市国家として機能しながら、ローマはローマ帝国へと移行します。

しばらくは都市共和政の伝統が保たれましたが、3世紀以降は再び専制君主制となり、都市国家としての形は失われました。

中世の都市国家

中世の都市国家の特徴

中世の都市国家は産業中心で領域国家に依存していた

中世の都市国家は、農業や牧畜以外の産業に従事する人々で構成されていました。代わりに、古代のように自給自足のための農地や牧地を持ちませんでした。

食料を自分たちでまかなえない都市国家を支えたのは、領域国家との交易の仲介や手工業品の輸出です。なぜ、このような形で都市国家が生まれたのかというと、当時のヨーロッパが封建社会で、農業を中心とした経済だったからです。農業以外の産業を基盤にするには、それらの国とは異なる国家が必要でした。

そのため中世の都市国家は、領域国家が前提となって形成されました。

イタリアの都市国家

イタリアのフィレンツェ

中世のイタリアには、多くの都市国家がありました。特に海に面していたヴェネチアやジェノヴァ、フィレンツェなどの都市国家は、地中海で貿易を行い、富を蓄積しました。

その中でも特に目立ったのが、水の都で有名なヴェネチア共和国です。ヴェネチアは優れた船や強大な軍を持ち、香辛料の貿易で大きく発展しました。加えて、世界で初めて「銀行」というシステムを作り、近代の経済システムの原形を作ります。

貿易によって発展していた都市国家ですが、世界が大航海時代になると衰退していきます。経済の中心が、地中海から大西洋に移ったからです。さらにヨーロッパでは強い国々が台頭し、イタリアはますますピンチに陥ります。

これらの危機に対抗するため、イタリア半島では統一の動きが強くなりました。19世紀には数多くあった都市国家はイタリアとして統一され、領域国家へと転身しました。

現代の都市国家

都市国家の現在

都市国家のほとんどが領域国家に吸収され、数は少なくなった

現代になるにつれ、大半の都市国家は領域国家に組み込まれました。とはいえ、新たに生まれた都市国家もあります。

第一次世界大戦後には、ポーランドのダンツィヒが、国連の保護化の都市国家である自由市となりました。また短期間ですが、クロアチアのフィウーメやアジャリア自治共和国のバトゥミも自由市でした。

現代まで残っている都市国家としては、シンガポールやモナコなどが挙げられます。

シンガポール

シンガポールが最も住みやすい都市として格付けされている

シンガポールは、マレー半島の南端に位置する都市国家です。本島のシンガポール島と約60の小島から構成されています。面積は東京23区と同じぐらいの大きさです。

シンガポールは1819年から1965年まで、他国の植民地でした。基本的にイギリスが支配していましたが、第二次世界大戦中は日本軍が占拠していました。日本が敗戦してからは再びイギリスの支配下におかれるのですが、シンガポール民のイギリスへの反感は強く、独立への気運が高まります。

結果、1959年にシンガポールはイギリスから自治権を獲得し、1963年にマレーシア連邦の1州として独立しました。しかしマレーシアとシンガポールは政策などで気が合わず、2年ほどでマレーシア連邦から離れます。

こうして、シンガポールは1965年に都市国家としての道へ進みました。

資源に乏しかったシンガポールですが、初代首相の手腕により瞬く間に経済を発展させていきます。人材勧誘や教育、貿易などに力を入れたシンガポールの成長は凄まじく、2007年には経済指標の1つであるGDPにおいて、日本を抜きました。

資源不足にも関わらず、わずか50年で先進国入りしたシンガポール。その手腕は、同じ島国である日本としても学べる点が多そうですね。

モナコ

モナコの街並み。主産業は観光

モナコは、カジノやF1モナコグランプリ、ラリー・モンテカルロが開催されている国です。フランスの地中海沿岸部、イタリアの国境近くにあります。世界で2番目に小さい国で、人口は4万人です。

住民の84%が外国籍であり、モナコ国籍は16%しかいません。なぜかというと、モナコは個人居住者に対して所得税を課しておらず、高い所得を得ている富裕者が節税のためにモナコへやってくるからです。

またモナコは、立憲君主制(君主の権力を憲法で規制している政治の形)をとっており、基本的にグリマルディ家が支配しています。

グリマルディ家は1419年に、アラゴン王国からモナコを購入し、正式な支配者となりました。スペインやフランス、サルデーニャ王国などに属しながらも、グリマルディ家は君主としてモナコに君臨。それが現代まで続き、現存する都市国家の1つとして数えられています。

バチカン

宗教国家バチカン

バチカンはイタリアの首都ローマ市内にある小国です。世界最大級の教会「サン・ピエトロ大聖堂」を中心に、東京ディズニーランドよりも小さい世界最小の国土を持っています。世界に12億人いるカトリック教徒の総本山で、ローマ法王が政治を担っています。

バチカンは古い時代「ネクロポリス(古代の死者の街)」と呼ばれ、埋葬地として使われていました。しかし、326年にコンスタンティヌス1世によって、聖ペトロの墓所とされた地に最初の教会堂を建てます。

やがて、この地に住んだローマ司教が教皇としてカトリック教会に影響を持つようになり、バチカンはカトリックの総本山として発展しました。教皇は19世紀中頃まで、イタリア半島の中部に広大な教皇領を持っていましたが、1860年にイタリア王国が成立し、領地の1部を取られてしまいます。

それにより、ローマ教皇とイタリアの関係は一度絶えました。両者の険悪な関係の解消は、90年後を待つことになります。

1929年、度重なる話し合いによりローマ教皇とイタリアの首相の間でラテラノ条約が締結されました。条約の内容は、教皇率いる教皇庁が現在の領地の権利を手放す代わりに、バチカンを独立国家として認める、というものです。

これにより、バチカンは1つの都市国家として成立しました。

都市国家に関するまとめ

都市国家についてご紹介しましたが、いかがでしたか?最後に簡単にまとめます。

  • 都市国家は、1つの都市とその周辺が独立した政治を持つ国のこと。現代でいうところの国家は「領域国家」と呼ばれ、複数の都市が1つの国としてまとまっている
  • 「ポリス」という言葉は、ギリシャの都市国家を意味する言葉で、都市国家全般を指す言葉ではない
  • 時代によって都市国家の特徴や成り立ちが異なる

都市国家、と一口に言っても時代や地域によって成り立ちや歴史が異なります。筆者自身、本記事は都市国家の魅力に触れることができ、より興味を持ちました。

どのような環境で、どのような政治・文化の都市国家が成立したのか、その違いを探るのも楽しそうですね。特にシンガポールやモナコ、バチカンなどは実際に訪れて空気を感じることも可能です。

もし、これらの都市国家へ旅行に行く予定がありましたら、事前に調べて行くとより楽しめるかもしれません。

この記事が、都市国家について興味を持つきっかけになれば幸いです。長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!

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