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都市国家とはなに?各時代の特徴やポリスの意味、国家との違いを分かりやすく紹介

「都市国家ってなんだろう?簡単に知りたいな」
「都市国家と国家の違いってなに?」
「ポリスってなんのこと?都市国家じゃないの?」

本記事を見ていらっしゃるあなたは、このような疑問を持っていると思います。

都市国家とは、名前の通り1つの都市で完結した小さな国のことです。ポリスと混同されますが、厳密には違います。

今回は都市国家とはなにか、とポリスについて深く掘り下げて解説いたします。また国家との違いや古代から現代までの都市国家の歴史、成り立ちについてご紹介します。

日本との関係についても触れますので、ぜひ参考にしてください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

都市国家とは

都市国家の意味

最小の国家

都市国家とは、1つの都市とその周辺地域が独立した政治を持つ小国家のことです。日本で例えるなら、東京が日本国から独立し、東京国と名乗るようなイメージです。

人類の歴史で最初期に出現した国家の形で、ここから徐々に現代のような広い土地と複数の都市を持つ形に変化していきます。

時代が経つにつれて、都市国家は徐々に減っていますが、現代にもシンガポールやモナコなどが残っています。

ギリシア語では「ポリス」

ギリシャの代表的な都市国家アテネ

都市国家といえば、「ポリス」という言葉をよく一緒に見かけると思います。そのため「ポリス」は都市国家を指す言葉ととらえがちですが、実は少し意味が異なります。

ポリスは「ギリシアの」都市国家を示す言葉で、メソポタミアやローマなどはそう呼びません。

ポリスは、「小高い丘、城市」を意味するアクロポリスが由来となっています。

当時のギリシアでは、都市国家はその名の通り、丘を中心に形成されました。また、他の文化圏の都市国家は王や少数の人間によって統治されていましたが、ポリスは市民集団によって統治された国でした。

このように、ポリスはギリシア独特の都市国家を示す言葉です。

都市国家はなぜ生まれるか

都市国家の誕生の理由

都市国家は時代ごとに、生まれる理由が異なります。

詳しくは後述しますが、古代では、農業によって食料が自給できるようになりました。そのため、食料を生産できる場所に人々が集まり、協力しあうようになったのです。そうして、集まりがどんどん大きくなり、文化や政治が発展して都市国家へと成長しました。

古代において、都市国家は国家の第一段階だったのです。

中世まで時代が進むとほとんどの国は、都市国家よりも規模の大きい領域国家へと発展します。そのため、中世の都市国家は大きな国を相手に商売するのを目的に成立したものがほとんどです。

現代のほとんどの都市国家は、歴史的な事情や外交の結果として成立しました。モナコやバチカンはまさにそれで、歴史的な事情と周辺国家との外交により国家として成立しています。

例外はシンガポールです。

シンガポールでは国民が独立を求め、それを当時シンガポールを統治していたマレーシア連邦が認めたため、都市国家として成立しました。

以上のことを考えると、都市国家は1つの国として独立したい、という国民や支配者の熱意から成立するものと言えます。

都市国家と国家の違い

都市国家と国家は規模が違う

都市国家と国家の最大の違いは、国としてまとまっている都市の数です。

都市国家は1つの都市に1つの政治で成り立つのに対し、国家は複数の都市が1つの国としてまとまっており「領域国家」とも呼ばれます。

つまり、大雑把に言ってしまえば都市が1つなら都市国家で、複数の都市を持っている国なら領域国家です。日本は東京の他にも、大阪や名古屋など複数の都市を持っています。なので、日本も領域国家に含まれます。

現代に存在するほとんどの国は領域国家で、都市国家は比較的少ないです。有名な都市国家を挙げるならシンガポールやモナコがあります。

都市国家と日本の関係

日本史に見られる都市国家

日本にも都市国家が存在した時期があった

古代より、世界にはさまざまな都市国家がありました。では、日本に都市国家はあったのでしょうか。結論から言うと、日本にも都市国家が存在していました。

中国から日本に稲作が伝えられたのは弥生時代のことです。初期の国家は基本的に、農業が始まってから構築されており、日本もこの例にもれません。

稲作が始まったことにより、人々の間で定住化が進行しました。次第に集団は大きくなり、リーダーとなる支配者が生まれます。

弥生時代、日本ではまだ文字を使用していなかったため資料が少なく、詳細は定かではありません。そのため、弥生時代については中国の『後漢書』に記録が残っています。

記録によると、当時の日本では「倭」と称される小国が複数あり、「王」と呼ばれる君主がいました。それが30ほどあり、3世紀まで小国の分立は続いていましたが、邪馬台国に卑弥呼が現れるとその状況が一変します。

卑弥呼
出典:攻城団

分立していた国々は卑弥呼を女王として争いを収め、連合が生まれました。こうして日本は、領域国家へと移り変わります。

時代が進み、中世になると日本には再び都市国家と呼べる地域が現れます。堺や博多です。この2つの都市は商売によって成り立っており、商人たちが中心になって都市運営をしていた自治都市です。

ですが、織田信長や豊臣秀吉の天下統一事業により自治を失い、領域国家に組み込まれました。これ以降、日本で都市国家は生まれず、領域国家として団結しています。

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