都市国家とはなに?各時代の特徴やポリスの意味、国家との違いを分かりやすく紹介

中世の都市国家

中世の都市国家の特徴

中世の都市国家は産業中心で領域国家に依存していた

中世の都市国家は、農業や牧畜以外の産業に従事する人々で構成されていました。代わりに、古代のように自給自足のための農地や牧地を持ちませんでした。

食料を自分たちでまかなえない都市国家を支えたのは、領域国家との交易の仲介や手工業品の輸出です。なぜ、このような形で都市国家が生まれたのかというと、当時のヨーロッパが封建社会で、農業を中心とした経済だったからです。農業以外の産業を基盤にするには、それらの国とは異なる国家が必要でした。

そのため中世の都市国家は、領域国家が前提となって形成されました。

イタリアの都市国家

イタリアのフィレンツェ

中世のイタリアには、多くの都市国家がありました。特に海に面していたヴェネチアやジェノヴァ、フィレンツェなどの都市国家は、地中海で貿易を行い、富を蓄積しました。

その中でも特に目立ったのが、水の都で有名なヴェネチア共和国です。ヴェネチアは優れた船や強大な軍を持ち、香辛料の貿易で大きく発展しました。加えて、世界で初めて「銀行」というシステムを作り、近代の経済システムの原形を作ります。

貿易によって発展していた都市国家ですが、世界が大航海時代になると衰退していきます。経済の中心が、地中海から大西洋に移ったからです。さらにヨーロッパでは強い国々が台頭し、イタリアはますますピンチに陥ります。

これらの危機に対抗するため、イタリア半島では統一の動きが強くなりました。19世紀には数多くあった都市国家はイタリアとして統一され、領域国家へと転身しました。

現代の都市国家

都市国家の現在

都市国家のほとんどが領域国家に吸収され、数は少なくなった

現代になるにつれ、大半の都市国家は領域国家に組み込まれました。とはいえ、新たに生まれた都市国家もあります。

第一次世界大戦後には、ポーランドのダンツィヒが、国連の保護化の都市国家である自由市となりました。また短期間ですが、クロアチアのフィウーメやアジャリア自治共和国のバトゥミも自由市でした。

現代まで残っている都市国家としては、シンガポールやモナコなどが挙げられます。

シンガポール

シンガポールが最も住みやすい都市として格付けされている

シンガポールは、マレー半島の南端に位置する都市国家です。本島のシンガポール島と約60の小島から構成されています。面積は東京23区と同じぐらいの大きさです。

シンガポールは1819年から1965年まで、他国の植民地でした。基本的にイギリスが支配していましたが、第二次世界大戦中は日本軍が占拠していました。日本が敗戦してからは再びイギリスの支配下におかれるのですが、シンガポール民のイギリスへの反感は強く、独立への気運が高まります。

結果、1959年にシンガポールはイギリスから自治権を獲得し、1963年にマレーシア連邦の1州として独立しました。しかしマレーシアとシンガポールは政策などで気が合わず、2年ほどでマレーシア連邦から離れます。

こうして、シンガポールは1965年に都市国家としての道へ進みました。

資源に乏しかったシンガポールですが、初代首相の手腕により瞬く間に経済を発展させていきます。人材勧誘や教育、貿易などに力を入れたシンガポールの成長は凄まじく、2007年には経済指標の1つであるGDPにおいて、日本を抜きました。

資源不足にも関わらず、わずか50年で先進国入りしたシンガポール。その手腕は、同じ島国である日本としても学べる点が多そうですね。

モナコ

モナコの街並み。主産業は観光

モナコは、カジノやF1モナコグランプリ、ラリー・モンテカルロが開催されている国です。フランスの地中海沿岸部、イタリアの国境近くにあります。世界で2番目に小さい国で、人口は4万人です。

住民の84%が外国籍であり、モナコ国籍は16%しかいません。なぜかというと、モナコは個人居住者に対して所得税を課しておらず、高い所得を得ている富裕者が節税のためにモナコへやってくるからです。

またモナコは、立憲君主制(君主の権力を憲法で規制している政治の形)をとっており、基本的にグリマルディ家が支配しています。

グリマルディ家は1419年に、アラゴン王国からモナコを購入し、正式な支配者となりました。スペインやフランス、サルデーニャ王国などに属しながらも、グリマルディ家は君主としてモナコに君臨。それが現代まで続き、現存する都市国家の1つとして数えられています。

バチカン

宗教国家バチカン

バチカンはイタリアの首都ローマ市内にある小国です。世界最大級の教会「サン・ピエトロ大聖堂」を中心に、東京ディズニーランドよりも小さい世界最小の国土を持っています。世界に12億人いるカトリック教徒の総本山で、ローマ法王が政治を担っています。

バチカンは古い時代「ネクロポリス(古代の死者の街)」と呼ばれ、埋葬地として使われていました。しかし、326年にコンスタンティヌス1世によって、聖ペトロの墓所とされた地に最初の教会堂を建てます。

やがて、この地に住んだローマ司教が教皇としてカトリック教会に影響を持つようになり、バチカンはカトリックの総本山として発展しました。教皇は19世紀中頃まで、イタリア半島の中部に広大な教皇領を持っていましたが、1860年にイタリア王国が成立し、領地の1部を取られてしまいます。

それにより、ローマ教皇とイタリアの関係は一度絶えました。両者の険悪な関係の解消は、90年後を待つことになります。

1929年、度重なる話し合いによりローマ教皇とイタリアの首相の間でラテラノ条約が締結されました。条約の内容は、教皇率いる教皇庁が現在の領地の権利を手放す代わりに、バチカンを独立国家として認める、というものです。

これにより、バチカンは1つの都市国家として成立しました。

都市国家に関するまとめ

都市国家についてご紹介しましたが、いかがでしたか?最後に簡単にまとめます。

  • 都市国家は、1つの都市とその周辺が独立した政治を持つ国のこと。現代でいうところの国家は「領域国家」と呼ばれ、複数の都市が1つの国としてまとまっている
  • 「ポリス」という言葉は、ギリシャの都市国家を意味する言葉で、都市国家全般を指す言葉ではない
  • 時代によって都市国家の特徴や成り立ちが異なる

都市国家、と一口に言っても時代や地域によって成り立ちや歴史が異なります。筆者自身、本記事は都市国家の魅力に触れることができ、より興味を持ちました。

どのような環境で、どのような政治・文化の都市国家が成立したのか、その違いを探るのも楽しそうですね。特にシンガポールやモナコ、バチカンなどは実際に訪れて空気を感じることも可能です。

もし、これらの都市国家へ旅行に行く予定がありましたら、事前に調べて行くとより楽しめるかもしれません。

この記事が、都市国家について興味を持つきっかけになれば幸いです。長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!

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1 COMMENT

超脳工房 打田

とてもわかりやすい記事で、すぐに内容を理解できました。
都市国家という魅力的な存在への理解が深まり感謝しています。

ただ残念なことに、ここは広告が多すぎます。
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せっかくの素晴らしい記事もこれでは価値を失います。広告のないnoteなどの健全なプラットフォームへの移行を心からおすすめ致します。

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