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アフリカ植民地・分割の歴史を年表つきで紹介! 植民地化の理由や独立の流れを解説

アフリカは現在でも世界のなかで貧しい地域として知られています。この原因の1つになったのが、18世紀から20世紀初頭にかけて行われたヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地分割でした。当時は領土を広げることで強大な国家を作ろうとする帝国主義の全盛期で、アフリカはその標的にされたのです。

貧困が深刻化するアフリカのサブサハラ・アフリカ地域

1884年のベルリン会議でアフリカ植民地の獲得ルールが決まるとアフリカ分割はさらに過熱していき、最終的にはたった2か国を残して広いアフリカ大陸のすべてが植民地になりました。列強による植民地化は、アフリカの発展を妨げ、第二次大戦後、アフリカの国々が独立した後も紛争や貧困の原因となって現代の世界や国際情勢にも影響を与えています。

アフリカ植民地はなぜ始まり、どうやって進められ、どのような影響を残しているのでしょうか。
この記事では、アフリカ植民地とはどのようなものだったのか、現代へどのような影響を与えているかを解説していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

アフリカ植民地とは

アフリカの地図と植民地

アフリカ植民地とは、18世紀後半から第一次大戦前にかけて、ヨーロッパ諸国が帝国主義のもとアフリカ諸国を植民地にしていったものです。アフリカは産業革命後の工業化を進める欧州諸国にとって、豊富な資源供給先となり、アフリカの植民地化は次第に加熱していきました。

列強によるアフリカ分割は1912年に完了し、エチオピアとリベリアを除くアフリカ全土が、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・ポルトガル・スペインのたった7カ国によって支配されるようになります。

アフリカ諸国は第二次大戦後に独立していくことになりますが、ヨーロッパによる植民地化は現代のアフリカにも大きな影響を与えています。

アフリカの植民地化が始まった理由

アフリカの人々を統治するヨーロッパ人

ヨーロッパによるアフリカの植民地化は、アフリカのもつ豊富な資源を目的にはじまりました。産業革命以降、工業化を進めるヨーロッパ諸国は、資源の供給地として魅力をもつアフリカの植民地化を進めていきました。ヨーロッパのアフリカ進出は15世紀から行われていましたが、当時の目的は主に奴隷を得ることで、進出地域も沿岸部に限られていました。

18世紀後半からアフリカの人々にも人権を認めようとする考えが広まり、産業革命による工業化が進んだこともあって、奴隷貿易は廃止されていきます。一方、工業化のため資源を求めるヨーロッパ諸国は、資源や農作物の供給地、そして工業製品を売るための市場としてアフリカを必要とするようになります。

ヨーロッパにはアフリカを遅れた国々とみなす風潮がありました。未開のアフリカに優れた文化や政治制度を与えて文明化するのは進んだヨーロッパ人の使命と考えられ、アフリカの植民地化を正当化する思想になりました。

植民地化が現代のアフリカにも与える影響

アフリカの難民キャンプ

列強によるアフリカの植民地化はアフリカの国家と社会に現代まで続く様々な悪影響を及ぼしました。ヨーロッパの国々が勝手に決めた国境線は民族や部族の境界線を無視したもので、現代の紛争や内戦の一因になっています。

アフリカ人はヨーロッパ人の都合によって住む場所を移動させられたり、強制労働に就かされたりして、劣悪な環境で亡くなる人も大勢いました。さらに、未開人の文明化を謳って文化や言語を強制したため、アフリカ独自の文化は破壊され、現在も多くの国では旧宗主国の言語が公用語になっています。

現在でも企業の進出や財政的援助によって先進国が発展途上国であるアフリカ諸国に影響力を及ぼそうとすることがあり、新植民地主義と呼ばれています。貧しいアフリカ諸国には旧宗主国に莫大な借金を抱えている国も存在し、分かっていてもこうした援助に頼らなければならないのが実情です。

ベルリン会議で決められたアフリカ分割の原則とは

ベルリン会議

1884年から開催された18カ国による国際会議であるベルリン会議(ベルリン・コンゴ会議)では、ヨーロッパ諸国によるアフリカ植民地化のルール作りが行われ、列強同士で植民地分割の原則が確認されました。

この会議では、ある地域を最初に占領した国がその地域を領有できる優先権が認められました。そして、新たにアフリカに植民地を獲得する場合には、他国の利益を侵害しないこと、ヨーロッパ人の通商・航行の自由を認めることなどの条件が定められました。

この原則ができたことで、アフリカ植民地化は早い者勝ちになったため、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割は加速することとなり、第一次大戦までにエチオピアとリベリアを除くすべての国が植民地になりました。

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