アフリカ植民地・分割の歴史を年表つきで紹介! 植民地化の理由や独立の流れを解説

各国のアフリカ植民地

イギリスによる大陸縦断製作の風刺画

アフリカ植民地はそのほとんどが、早くからアフリカへの進出を開始したイギリスとフランスの植民地になっています。イギリスは3C政策を実現するため大陸縦断政策をとり、フランスは最初に植民地化したアルジェリアから北アフリカを西に向かって進む大陸横断政策をとっていたため両国の競争は激化し、ファショダ事件で対立が頂点に達しました。イギリスやフランスの植民地は面積も広く、植民地同士が隣り合ったりつながっていることが多いのが特徴です。

一方、後発で植民地獲得に乗り出したドイツやイタリアは英仏がまだ植民地化していない場所を狙うしかなかったため、植民地の位置もバラバラで経済的にもほとんど利益をもたらしませんでした。第一次大戦での敗北後、ドイツのアフリカ植民地は没収され、他の列強によって分割統治されることになりました。

【イギリス】
エジプト・南アフリカ・スーダン・オレンジ自由国・トランスヴァール・ローデシア・ゴールドコースト・ナイジェリア

【フランス】
アルジェリア・チュニジア・モロッコ・マダガスカル・サハラ

【ドイツ】
東アフリカ・南西アフリカ・トーゴラント・カメルーン

【イタリア】
リビア・東アフリカ・ソマリア

【スペイン】
西サハラ(リオ・デ・オロ)・モロッコ

【ポルトガル】
アンゴラ・モザンビーク

【ベルギー】
ベルギー領コンゴ

アフリカで植民地にならなかった国

エチオピアを植民地化から守ったメナリク2世

第一次大戦勃発前までに、アフリカのほとんどの国はヨーロッパの植民地になっていましたが、エチオピア帝国とリベリア共和国の2国だけは、アフリカ大陸で最後までヨーロッパの植民地になることがありませんでした。

エチオピア

エチオピアの地図

現存する世界最古の独立国の1つとされるエチオピアは、皇帝メナリク2世のもと、列強同士の対立を利用するなど、うまく立ち回って独立を守りました。1896年のアドワの戦いでは侵攻してきたイタリアを破っており、アフリカの黒人国家がヨーロッパに勝利した画期的な出来事とされました。

アドワの戦い

ただ、1936年から41年にかけてのみ、エチオピアはムッソリーニのファシスト・イタリア王国によって占領されています。もう1つのリベリアが実質的にはアメリカの保護国だったため、アフリカで真に独立を守りきった国はエチオピアだけといえます。

リベリア

リベリアの地図

西アフリカにあるリベリアは、1847年にアメリカで解放された黒人奴隷の国で、エチオピアと並んでアフリカの中で独立を守り抜いた国です。

リベリアは強制的に連れてこられたアメリカの奴隷たちを祖国へと帰還させ、アフリカに彼らの国を作ろうとしたアメリカ植民教会の運動によって建国されました。アメリカの後ろ盾があったリベリアは、他の国の侵略を受けることもなく、現在のアフリカでエチオピアの次に古い国になっています。

アフリカ植民地を学べる本

改訂新版 新書アフリカ史 (講談社現代新書)

人類の誕生から現代までを解説したアフリカ史の入門書で、アフリカの歴史を現在の国境にこだわることなく地域ごとにまとめています。各章はその分野の専門家によって書かれており、アフリカの歴史では避けて通ることのできないヨーロッパによる侵略と植民地支配の歴史も詳しく書かれています。日本人にはあまり馴染みのないアフリカ史を分かりやすく学ぶことのできるおすすめの1冊です。

アフリカ植民地に関するまとめ

アフリカ諸国が独立を果たした現在では、アフリカ植民地は遠い過去の出来事にも思えます。ですが、アフリカ諸国の貧困や紛争など、アフリカ植民地の爪跡は現代の世界にも大きな影響を与えているといえます。

ヨーロッパの国のなかには、今でもかつての植民地に大きな影響力をもっている国もあり、アフリカ植民地の歴史を理解することで、現代の国際社会に対しても理解が深まるのではないでしょうか。

それでは、長時間をこの記事におつきあいいただき、誠にありがとうございました。

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1 COMMENT

匿名

アフリカは国土が広く人口が多いにもかかわらず、以外にも高等教育まででは殆ど学ぶことが無かったので記事を読んでもっと深堀したくなりました。
 良いきっかけをいただき感謝します。

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