列強によるアフリカ分割の歴史
18世紀後半~ 探検隊の派遣とイギリス・フランスの進出
ヨーロッパ諸国による初期のアフリカ進出は、リヴィングストンやスタンリーといった探検家によって行われたものです。彼らの目的はキリスト教の布教や現地の人々との貿易でしたが、それまで北アフリカや沿岸部だけで活動していたヨーロッパ人のアフリカ奥地への進出は、結果としてアフリカ植民地化のきっかけを作ることになりました。
内陸部に豊富な資源が眠る可能性があると分かったことで、アフリカはヨーロッパ諸国の注目を集めるようになります。エジプト、南アフリカへ進出していたイギリス、北アフリカへの進出を開始していたフランスを中心に、沿岸部から内陸部へと植民地化されていきました。
1884~85年 アフリカ分割の原則を決定したベルリン・コンゴ会議
ヨーロッパによるアフリカの植民地化に火をつけたのが、ベルギーのレオポルド2世によるコンゴの領有化を巡って実施されたベルリン会議でした。レオポルド2世は、象牙や金、ダイヤモンドなど豊富な資源がある上に、アフリカの中央にあるため他の国がまだ進出していなかったコンゴに目をつけ、コンゴ自由国として領有化します。
これにポルトガルが反発し、列強同士の対立が起こりました。この問題を解決するため、ドイツの宰相ビスマルクの提案で、ベルリン・コンゴ会議(ベルリン・西アフリカ会議)が開かれ、アフリカでの植民地獲得のルールが明確化されました。ベルリン会議以降、列強のアフリカ進出は過熱していき、アフリカの植民地化は急速に進んでいきました。
18世紀~ アフリカ諸国で起こった抵抗運動
ヨーロッパによる植民地化は、アフリカ諸国では様々な反乱や抵抗運動につながっています。列強の中には現地人から強制的に土地を奪ったり、強制労働をさせたり、過酷な統治を行う国もあったため、アフリカ現地人の反発を招くことになりました。
- マフディーの反乱(1881~99年・イギリス領スーダン)
- 救世主を名乗るムハンマド・アフマドが起こした反乱。
- 一時は総督を倒してスーダンを支配した。
- トゥクロール帝国(1848~90年・フランス領西アフリカ)
- サモリ・トゥーレによって建国されたイスラム国家で、フランスの植民地支配と戦った。
- マジマジ反乱(1905~08年・ドイツ領東アフリカ)
- ドイツによる綿花栽培の強制労働に反発した現地人の反乱。
これらの反乱は最終的には圧倒的な軍事力をもつヨーロッパ諸国によって鎮圧され、アフリカの人々には多数の犠牲者を出すことになりました。
1898年 ファショダ事件 英仏の対立から和解へ
1898年のファショダ事件は、アフリカ植民地化を巡る対立からイギリスとフランスの軍事衝突に発展しかけた事件です。イギリスはアフリカのカイロ、ケープタウンとインドのカルカッタを結ぶ3C政策の一環としてカイロからケープタウンをつなぐ大陸縦断政策を進めていました。一方フランスは、北アフリカ西部から東へ向かって領土を広げる大陸横断政策を推進していました。
この2つの戦略がナイル川岸にあるスーダンのファショダ付近でぶつかったのがファショダ事件です。この事件でアフリカ分割を巡る英仏の対立は最高潮に達しますが、どちらも海外での勢力拡大を目指すドイツに対する警戒心をもっていたため、最終的に両国は歩み寄りと妥協を行いました。1904年に英仏協商が締結されて英仏はお互いの植民地支配を認め合い、アフリカにおける英仏の対立は終わりました。
1912年アフリカ分割の完了
1912年にイタリアがリビアを植民地化したことにより、列強によるアフリカ分割は完了しました。アフリカは独立国であるエチオピアとリベリアを除いたすべての地域がヨーロッパの7カ国によって支配されることになります。
しかし、列強のアフリカへの野心はこれで終わることはなく、イタリアはさらにエチオピア獲得を狙って1935年にエチオピア戦争を起こしています。
1951年~アフリカ植民地の独立と現代アフリカへの影響
アフリカで本格的な独立運動が起きるのは第二次大戦後になります。1945年にマンチェスターで開かれた、アフリカの解放を訴えるパン・アフリカ会議には、アフリカの独立運動家らが数多く参加し、独立運動が高まりをみせます。
1951年のリビア独立を筆頭に、アフリカ諸国の独立がはじまりました。1960年には17カ国が独立を果たし、「アフリカの年」と呼ばれました。しかし、1954年のアルジェリア戦争のように支配国との間で独立戦争が勃発することもあり、他にもアンゴラやモザンビークなどが武力により独立を獲得しています。
独立は果たされましたが、アフリカの植民地化はアフリカ諸国の近代化を大きく妨げることになり、内戦や紛争を生む一因にもなって現代のアフリカにも大きな爪跡を残しています。
アフリカは国土が広く人口が多いにもかかわらず、以外にも高等教育まででは殆ど学ぶことが無かったので記事を読んでもっと深堀したくなりました。
良いきっかけをいただき感謝します。