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縄文時代とはどんな時代?歴史年表まとめ【生活、道具、文化についても詳しく紹介】

縄文時代は、旧石器時代とは異なる新たな文化が形成された時代で、約1万年ほど続いたとされています。

縄文人たちの暮らしを描いた想像図

旧石器時代の人々より進んだ文明を築いた縄文時代の人々は、どのような暮らしをしていたのでしょうか?

「縄文時代はどんな時代だったの?」
「縄文時代の人々はどのような生活をしていたの?」

そんな疑問に答えるために、ここでは縄文時代が具体的にどのような時代だったのかを紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

縄文時代とはどんな時代?

縄文時代とはいつ頃?

平和に暮らす縄文人たちの姿

縄文時代の時代区分は「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」に分かれていて、それぞれ異なる文化を形成したと考えられています(後述)。

縄文時代は、今からおよそ約10,000年前~12,500年前から始まり、水稲農耕(すいとうのうこう)が盛んになる約2,400年前まで続いたとされています。

縄文時代と旧石器時代では何が違うの?

原初の土器を生成する人々

今から約11,700年前、氷河期が終わったのち、地球は温暖な気候になっていきました。縄文時代と旧石器時代の違いは、気候の変化に伴う人々の生活スタイルの変化が一つだと考えられています。

日本列島のマンモスは氷河期が終わる頃に絶滅し、クルミやクリなどの植物が採取できるようになりました。また、海面の上昇に伴い魚介類が育ちやすくなり、人々は陸と海の両方から食料を確保できるようになりました。

そして、縄文時代と旧石器時代の大きな違いは、土器を使用していたか否かです。縄文時代の人々は土器を使用するようになり、それが旧石器時代と区別される最大の違いです。

縄文時代の生活・暮らし

遺跡から発掘された資料や研究結果をもとに、縄文時代の人々がどのような生活をしていたか紹介します。

縄文時代の衣服は麻や毛皮が主流だった

弥生時代よりオシャレだったと言われる縄文人のファッション

縄文時代の人々は、麻やカラムシの茎の表皮から糸を作って、すだれのように編んだ物を衣服として着用していたことがわかっています。また、毛皮を衣服として利用していたようです。

縄文時代に対して原始的なイメージをもつ方は多いかもしれませんが、この頃の衣服は、独特の模様が施されている物が多く、衣服は弥生時代よりも派手だったと考えられています。

縄文時代の食事はバリエーションが豊富だった

縄文人たちの食事をリアルに再現した図

縄文時代の早期になると、地球は現在よりも温暖になり、豊富な食料が採取できるようになりました。人々はクリやクルミなど木の実だけではなく、森でシカやイノシシを狩り、海で魚介類を採取するようになったことがわかっています。

縄文時代の食事は四季折々で、春は山菜、夏は魚介、秋は木の実や果物、冬はシカやイノシシなど、旬の食物を摂っていたようです。

縄文時代の人々の見た目は?

DNAから再現したという縄文人の顔

縄文時代の人々は全体的に大柄で、顔の堀が深くて体毛が濃いのが特徴です。顔は四角くてゴツイ印象を与え、眉は太くて二重瞼をしています。

また、現代日本人の75パーセントは縄文人と弥生人の混血だと考えられていますが、琉球地方や北海道では縄文人の特徴を残した人々が多く、九州地方の人々も縄文人の特徴が強いことがわかっています。

縄文時代の人々は集団で定住していた

縄文時代の集落を想像した絵

縄文時代も早期~前期になると、人々は移住生活から定住生活へと切り替えるようになり、一か所に長く留まり村を形成するようになったと考えられています。この頃はまだ、地位や階級による略奪や戦争はなく、人々は平和に暮らしていたとされています。

定住生活が可能になったのは地球が温暖になったためで、どこで暮らしても食料に恵まれるようになったためだと考えられます。

縄文時代は一夫多妻制だった?

縄文時代は二人一組で埋葬されることがあったようですが、墓に入れられるときは夫婦ではなく、血縁者を重視していたようです。このことから、縄文時代は夫婦という関係性を重んずる習慣がなく、一夫多妻制だったと考えられています。

縄文時代は子供たちの生存率が低く、村人は一丸となって子孫を繁栄させる必要があったため、誰と誰の子供だとかを意識することなく、皆が我が子のように子供たちを育てたのではないかと推測されます。

海をこえて交易していた縄文時代の人々

縄文時代の人々は丸木舟を造り、別々の地域に住む同士が海をこえて交易していたと考えられています。

縄文時代の遺跡を発掘すると、本州でしか採掘されないヒスイという石が北海道で見つかり、逆に北海道でしか採掘されない黒曜石が本州で見つかったため、当時の人々は海を超えて密に交流していたことがわかっています。

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