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縄文時代とはどんな時代?歴史年表まとめ【生活、道具、文化についても詳しく紹介】

縄文時代は、旧石器時代とは異なる新たな文化が形成された時代で、約1万年ほど続いたとされています。

縄文人たちの暮らしを描いた想像図

旧石器時代の人々より進んだ文明を築いた縄文時代の人々は、どのような暮らしをしていたのでしょうか?

「縄文時代はどんな時代だったの?」
「縄文時代の人々はどのような生活をしていたの?」

そんな疑問に答えるために、ここでは縄文時代が具体的にどのような時代だったのかを紹介します。

縄文時代とはどんな時代?

縄文時代とはいつ頃?

平和に暮らす縄文人たちの姿

縄文時代の時代区分は「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」に分かれていて、それぞれ異なる文化を形成したと考えられています(後述)。

縄文時代は、今からおよそ約10,000年前~12,500年前から始まり、水稲農耕(すいとうのうこう)が盛んになる約2,400年前まで続いたとされています。

縄文時代と旧石器時代では何が違うの?

原初の土器を生成する人々

今から約11,700年前、氷河期が終わったのち、地球は温暖な気候になっていきました。縄文時代と旧石器時代の違いは、気候の変化に伴う人々の生活スタイルの変化が一つだと考えられています。

日本列島のマンモスは氷河期が終わる頃に絶滅し、クルミやクリなどの植物が採取できるようになりました。また、海面の上昇に伴い魚介類が育ちやすくなり、人々は陸と海の両方から食料を確保できるようになりました。

そして、縄文時代と旧石器時代の大きな違いは、土器を使用していたか否かです。縄文時代の人々は土器を使用するようになり、それが旧石器時代と区別される最大の違いです。

縄文時代の生活・暮らし

遺跡から発掘された資料や研究結果をもとに、縄文時代の人々がどのような生活をしていたか紹介します。

縄文時代の衣服は麻や毛皮が主流だった

弥生時代よりオシャレだったと言われる縄文人のファッション

縄文時代の人々は、麻やカラムシの茎の表皮から糸を作って、すだれのように編んだ物を衣服として着用していたことがわかっています。また、毛皮を衣服として利用していたようです。

縄文時代に対して原始的なイメージをもつ方は多いかもしれませんが、この頃の衣服は、独特の模様が施されている物が多く、衣服は弥生時代よりも派手だったと考えられています。

縄文時代の食事はバリエーションが豊富だった

縄文人たちの食事をリアルに再現した図

縄文時代の早期になると、地球は現在よりも温暖になり、豊富な食料が採取できるようになりました。人々はクリやクルミなど木の実だけではなく、森でシカやイノシシを狩り、海で魚介類を採取するようになったことがわかっています。

縄文時代の食事は四季折々で、春は山菜、夏は魚介、秋は木の実や果物、冬はシカやイノシシなど、旬の食物を摂っていたようです。

縄文時代の人々の見た目は?

DNAから再現したという縄文人の顔

縄文時代の人々は全体的に大柄で、顔の堀が深くて体毛が濃いのが特徴です。顔は四角くてゴツイ印象を与え、眉は太くて二重瞼をしています。

また、現代日本人の75パーセントは縄文人と弥生人の混血だと考えられていますが、琉球地方や北海道では縄文人の特徴を残した人々が多く、九州地方の人々も縄文人の特徴が強いことがわかっています。

縄文時代の人々は集団で定住していた

縄文時代の集落を想像した絵

縄文時代も早期~前期になると、人々は移住生活から定住生活へと切り替えるようになり、一か所に長く留まり村を形成するようになったと考えられています。この頃はまだ、地位や階級による略奪や戦争はなく、人々は平和に暮らしていたとされています。

定住生活が可能になったのは地球が温暖になったためで、どこで暮らしても食料に恵まれるようになったためだと考えられます。

縄文時代は一夫多妻制だった?

縄文時代は二人一組で埋葬されることがあったようですが、墓に入れられるときは夫婦ではなく、血縁者を重視していたようです。このことから、縄文時代は夫婦という関係性を重んずる習慣がなく、一夫多妻制だったと考えられています。

縄文時代は子供たちの生存率が低く、村人は一丸となって子孫を繁栄させる必要があったため、誰と誰の子供だとかを意識することなく、皆が我が子のように子供たちを育てたのではないかと推測されます。

海をこえて交易していた縄文時代の人々

縄文時代の人々は丸木舟を造り、別々の地域に住む同士が海をこえて交易していたと考えられています。

縄文時代の遺跡を発掘すると、本州でしか採掘されないヒスイという石が北海道で見つかり、逆に北海道でしか採掘されない黒曜石が本州で見つかったため、当時の人々は海を超えて密に交流していたことがわかっています。

縄文時代の文明・文化

縄文時代の名前の由来は土器からきている?

縄文時代の各区分に応じた土器を掲載した図

縄文時代の名前の由来は、この時代の人々が縄目模様の独特の装飾が施された土器を使用し始めたことです。旧石器時代には、まだ土器はありませんでした。

土器は1万年に渡り人々に使用され続け、その間に、さまざまな形状に進化しました。我々が使用しているスマートフォンが10年程度の歴史しかないことを考えると、土器の歴史の厚みがわかります。

縄文時代の道具は?

槍などに使われていたと思われる磨製石器

縄文時代の主な道具は、土器を除けば旧石器時代に使用されていたような石器が使用されていて、石槍や弓矢で狩猟していました。

しかし、縄文時代と旧石器時代では石器の種類が異なり、旧石器時代は石を砕いて製造した「打製石器」を使用していたのに対して、縄文時代は石を磨いて製造した「磨製石器」を使用していました。

これらの経緯もあり、縄文時代は別名「新石器時代」と呼ばれることがあり、旧石器時代の系譜を受け継いでいることがわかります。

縄文時代の住居は竪穴式

現代に再現された竪穴式住居

縄文時代の住居は「竪穴式(たてあなしき)」と呼ばれるもので、地面に50cmほどの穴を掘り、4本~6本くらいの柱を立てて造られていました。この構造は弥生時代~古墳時代にも引き継がれたとされています。

竪穴式住居は平安時代にも存在していて、日本の民家の基礎となったと考えられています。

縄文時代の土偶について

縄文時代には、土偶(どぐう)と呼ばれる不思議な造形物が存在しました。土偶については謎が多く、未だにハッキリしたことはわかっていませんが、いくつかの通説とあわせて紹介します。

多くの土偶が意図的に壊されている

分解されて発見された土偶

土偶に関する最大の謎は、発見された土偶の95パーセントが意図的に破壊された形跡があることです。完全な形で発見された土偶は遥かに少なく、230メートル離れた場所に分配したパーツを発見した事例もあります。

土偶が意図的に破壊された理由は不明で、はっきりしたことはわかっていません。

なぜ造られたのか

あなたが信じるのはいずれか、または別の説か?

豊穣祈願のため?

土偶が発見される場所として特に多いのは、縄文人が動植物の亡骸を捨ていていたとされる貝塚であることから、土偶は、失われた命を再生するための道具だったのではないかという説があります。

また、土偶は下半身が太い形状をしていますが、これは女性の体型に酷似していると考えるため、土偶は女性性の象徴であり、命を育む腹部を破壊することで生命が増殖すると信じたのではないかという説があります。

鎮魂の儀式のため?

土偶は鎮魂の儀式のために造られたという説があり、亡くなった人を模した土偶を造り、それを壊すことで肉体という束縛を排除して、無事にあの世にいけるように願いを込めたのではないかという説があります。

縄文人の思想をそのまま受け継いだとされるアイヌ人には、そのような死生観があるため、縄文人にも同じような死生観があったとしても不思議ではないです。

土偶は人形(ひとがた)?

土偶は人形(ひとがた)もしくは形代(かたしろ)と呼ばれる悪霊を封じ込める物で、憑いた悪霊を土偶に封じ込めて、それを壊すことで穢れを払う道具だったのではないかという説があります。

また、病気や怪我に該当する部分を壊すことで、その部分を治療しようと考えたのではないかという説があります。

なぜあの形状だったのか

女性的なフォルムが多い理由

どことなく女性を思わせる土偶の姿

縄文時代の女性は出産により命を落すことが多く、生き延びても85パーセントの確率で若い内に亡くなったそうです。

土偶は、妊娠した女性を模したような下半身が太いフォルムをしていますが、その理由は、女性が無事に出産できるよう願いを封じた物だからではないかと考えられています。

非人間的な形状をしている謎

宇宙人のような姿をした典型的な土偶

土偶の多くが非人間的な形状をしていることから、土偶は宇宙人を模したものだという説があります。

宇宙服のようなものを纏っているように見える造形から、土偶は縄文時代に訪れた宇宙人を表した物であると主張する研究者もいますが、あくまで推測の域を出ていません。

土偶は赤く塗られていた?

縄文人はベンガラという赤色顔料を使用していたと考えられていますが、土偶の一部に赤色の物が見られるため、土偶はもともと赤く塗られていたのではないかという説があります。

赤という色は退魔に関係する色で、日本では神社の鳥居に用いられることが多いです。土偶が神事に用いられたとすれば、もともと赤く塗られていたとしても不思議ではありません。

縄文時代の歴史年表

草創期(約10,000年前~12,500年前)
土器の使用が始まる
縄文時代草創期のものとは思えないほど綺麗な土器

北海道を除く日本列島全域で縄文土器が使用されはじめ、竪穴式住居も建てられた時期です。この時期は旧石器時代から縄文時代に移行する時代のため、晩期旧石器時代または中石器時代と呼ばれることもあります。

また、縄文海進と呼ばれる海面上昇により、ユーラシア大陸から日本列島が分離したのもこの頃だと考えられています。

早期(約7,000年前~10,000年前)
本格的な縄文時代の幕開け
縄文海進時代の海進領域を表し図

集落が形成され、九州から北海道まで全国的に縄文土器が使用されはじめた時期です。縄文土器はそれぞれの地域で独自に進化を遂げていき、さまざまな様式の土器が生まれていきます。

約7,000年前から気候が温かくなり、海面は現在よりも上昇していたと考えられています。関東地方も、この頃は海に浸食されていたようです。現在の神奈川県の多くは、殆ど海だったと考えられています。

前期(約4500~7000年前)
大規模な集落が形成される
5,900年前から4,200年前に青森地方で栄えていた集落跡である三内丸山遺跡

縄文時代前期は縄文文化の発展期と呼べる時期で、各地で大規模な集落が形成されました。貝塚の規模が増し、各地で漁労が発展したと考えられています。また、土器の形状も地域差が激しくなり、縄文時代前期の終わり頃には円筒式の土器が製造されるようになったと考えられています。

縄文時代前期~中期は、縄文時代の中でも最盛期と呼べる期間で、現在の青森市にある1,500年続いたとされれる日本最大の集落「三内丸山遺跡」も、約5,500年前~4,000年前にできたことがわかっています。

中期(約3500~4500年前)
土器がさまざまな形式に進化
豪華絢爛で国宝に指定された火焔型土器

土器の装飾が華美になり、極めて絢爛な「火焔型土器(かえんがたどき)」が製造されるようになりました。縄文時代前期の流れを汲みながら文化を進化させた縄文時代中期は、「円筒上層式土器(えんとうじょうそうしきどき)」など、火焔型土器以外にもユニークな土器を製造するようになります。

後期(約3000~3500年前)
縄文文化が停滞していく
どことなく呪術的な印象がある縄文時代後期の土器

温暖な気候に支えられていた縄文文化も、この時期に地球が寒冷期に入ったため、徐々に衰退していきます。海面が低下したことや環境の変化により食料生産力が低下し、人々は、実用的な道具の製造から、土偶のような呪術的意味合いが強い物に生産力を割くようになります。

晩期(約3000~2400年前)
弥生時代への移行期
東北地方で発展した縄文土器の最終形態と呼べる亀ヶ岡式土器

厳しい環境を克服した東北地方の縄文人たちが、亀ヶ岡式土器という華麗な文化を発達させます。亀ヶ岡式土器は東北地方の縄文土器の終着点であり、その繊細さは、他の縄文土器の追従を許さないほどだと言われています。

また、この時期は北九州に水稲農耕が渡来し、全国的に縄文文化から稲作主体の弥生時代へと移行していった時期と重なります。

縄文時代に関するまとめ

縄文時代について紹介しました。この記事では、主に以下のことがわかったはずです。

  • 縄文時代は土器の使用と共に始まった
  • 縄文時代の人々は自然と共存した暮らしをしていた
  • 縄文時代に生成された土偶には呪術的な意味合いがあった可能性がある

今後、新たな遺跡の発見により真実が浮上する可能性はありますが、縄文時代は土器と共に発展した時代であるという定義は変わることがなさそうです。

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