細川幽斎にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「有能すぎて数々の偉人に頼られた?」
細川幽斎は数々の教養や武術を持ち合わせ、この能力を戦や政治でいかんなく発揮してきました。そのため数々の偉人から、頼りにされて優遇されたといわれています。
豊臣秀吉には、茶人の千利休や、真言宗の僧である木食応其(もくじきおうご)と共に、豊臣秀吉側近の文化人として大切にされました。皇族である八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)も細川幽斎の弟子といわれており「田辺城の戦い」の際には、細川幽斎を失う事を恐れて、戦いを辞めるように働きかけたそうです。
都市伝説・武勇伝2「牛を素手で退治した?」
文化人として知られている細川幽斎ですが、牛を素手で退治したという逸話があります。武術としては剣術、弓術を極めた細川幽斎はすさまじい腕力も持ち合わせていたそうです。
ある日、京都の路上で牛が暴れだし、細川幽斎にとびかかった際に、牛の角を掴んで投げ飛ばしたといわれています。真偽はわかりませんが、こんな話が生まれるからには、とてつもない腕力を持っていたという事は確かなのではないでしょうか。
細川幽斎の年表
1534年 – 0歳「三淵晴員の次男として生まれる」
細川幽斎誕生
細川幽斎は1534年6月3日に、京都東山にて三淵晴員の次男として生まれます。7歳の頃に三淵晴員の兄・細川元常の養子になります。細川元常は、和泉国上半国守護で細川和泉上守護家8代当主でもあり、非常に高い地位を持っていました。
細川幽斎はそんな家系で育ったため、レベルの高い教養や武術を身に着けることが出来ました。
幕臣として足利義輝に仕える
1546年に当時の将軍・足利義輝に仕えるようになります。このころ幽斎は「藤孝」と名乗っていました。1565年に足利義輝が永禄の変で討たれると、義輝の弟である足利義昭と共に織田信長に助けを求めに行きます。
1568年 – 34歳「織田信長の家臣となる」
織田信長と足利義昭が対立
信長の力を借りて足利義昭は将軍として復活しましたが、考えの違いから義昭と信長の仲が悪くなっていきます。そこで足利義昭は「信長包囲網」を構想し織田信長を討つことを考えていました。
細川幽斎は、信長にこの「信長包囲網」などに関する足利義昭の動向を伝え、自分は信長側であることをアピールしました。
明智光秀と共に数々の戦いで勝利する
織田信長の家臣となった細川幽斎は、明智光秀と共に「黒井城の戦い」「信貴山城の戦い」など数々の戦いにて活躍し、次々と勝利を収めます。1578年には織田信長のすすめで明智光秀の娘・たまと細川幽斎の息子・忠興は結婚することになります。
こうして明智光秀と細川幽斎は戦友でもありながら、親戚でもあるという関係になります。
1582年 – 47歳「本能寺の変が起こる」
明智光秀を見捨てる
1582年に明智光秀が織田信長を討つ「本能寺の変」がおこります。明智光秀は親戚でもあり戦友でもある細川幽斎に、一緒に戦い天下を取ろうと誘います。細川幽斎はこれを断り、結果明智光秀は豊臣秀吉に討たれます。
親戚という事もあったので、細川幽斎は明智光秀に加担していると思われないために、息子・忠興に家督を譲ります。更に忠興の妻であり明智光秀の娘「たま」を幽閉してもらい、この戦いには完全ノータッチであることをアピールしました。
文化人として活躍
明智光秀に加担していないことを、全力でアピールした事が功を奏して、本能寺の変のあとは多才で教養もあったことから文化人として豊臣秀吉に優遇されていました。豊臣秀吉が亡くなった後は、徳川家康と関りがあったため、徳川家康のもとにつきます。
1600年 – 66歳「関ヶ原の戦いが起こる」
細川幽斎は徳川家康についていたので、1600年の関ヶ原の戦いでは、西軍に狙われることになります。居城である田辺城を包囲され、小野木重勝率いる15000人の西軍に攻撃されます。一方の細川軍は息子・忠興が会津征伐へ向かい、多くの軍勢を連れて行ってしまったので500人しかいませんでした。
ですが文化人として有名な細川幽斎には弟子が多数おり、西軍にもその弟子が数多くいたため、西軍の士気はあまり上がらずにいました。こういった事が功を奏し細川軍は2か月の間耐え抜き、西軍の戦力を分散させることに成功します。
1610年 – 77歳「京都の自宅で亡くなる」
関ヶ原の戦いで徳川軍が勝利したため、その後の細川幽斎は、様々な趣味を楽しみながら悠々自適な生活を送っていたそうです。
そして1610年に、京都車屋町の自宅にて77歳で亡くなります。当時「人間五十年」といわれていたことを考えると、細川幽斎の77歳という年齢は長寿の部類に入ると考えられます。
細川幽斎の関連作品
おすすめドラマ
麒麟がくる
「麒麟がくる」は2020年1月から放送している、明智光秀が主人公の大河ドラマです。明智光秀の生涯を描く内容となっているので、明智光秀と深いかかわりのあった細川幽斎も度々登場します。明智光秀を長谷川博己、細川幽斎を眞島秀和が演じています。
細川幽斎が主役というわけではありませんが、室町幕府、織田家、明智家、など様々な視点から当時の戦国時代を知ることが出来るおすすめの作品です。
関連外部リンク
細川幽斎についてのまとめ
今回は細川幽斎について紹介していきました。細川幽斎は文化人として活躍し、非常に才能のある人物として知られています。ですがそんな細川幽斎の行動や性格は非常に分かり辛いです。
明智光秀とは長い間ともに戦った戦友でありながら、本能寺の変のあとは見捨てたり、足利義昭よりも織田信長についておきながら、足利義昭の葬儀を主催したりと、どのような感情でこのような行動を起こしていたのか謎の多い所もあります。
大河ドラマ「麒麟がくる」ではそんな細川幽斎の考えなどを、知ることができます。細川幽斎が出てくる作品は稀なので、この機会にぜひご覧になっていただければと思います。