纏足とはどんな習慣?現在はどうなっている?歴史ややり方、足への影響を解説!

纏足(てんそく)という言葉は広く知られているでしょう。これが中国特有の風習だということも知っている人は多いかもしれません。しかし、纏足とは一体どんな風習で、何のために行われたのかをきちんと理解している人はどれだけいるでしょうか。

伝統的な衣装に身を包んだ纏足女性

纏足についての文章は数多くありますが、ほとんどが奇妙な風習として紹介しています。しかし、纏足を理解していくと、どの国にも特有の風習があり、纏足もその1つに過ぎないことがわかります。国の違い、人種の違い、そして年代の違いを超えて理解し合うためにも纏足という風習をしっかりと知っていきましょう。

今回は中国の纏足について、その内容と歴史、現在の纏足に対する見方を解説するとともに、纏足に値するような他の国での風習についても解説していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

纏足とはどんな習慣?

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苦痛を伴った纏足・一体どんなものだったのか

纏足とは、さまざまな方法で女性の足を成長させないようにする、中国の古くからの風習で、主に漢民族の人たちが行っていました。纏という字には、巻きつけるという意味があります。

字の通りに幼いときから足に布を巻きつけ、成長を止めますが、苦痛が伴い、足だけでなく身体全体に影響が表れました。なぜこうまでして中国では纏足を行ったのでしょうか。

纏足の目的は?

足を犠牲にしても、幸せな結婚を望んだ

纏足の大きな目的は女性の美しさの追求と結婚でした。中国にはかつて小さな足の女性こそが美しいという基準がありました。

当時の中国では、大きな足としっかりとした歩き方は、労働をしなければならない女性のものと考えられていました。美しい女性は良い結婚ができるために、すべてを使用人に任せることができます。自分の足で歩かなくても、労働ができなくても構わなかったのです。このために、小さな足は美しさと豊かさの象徴となったのでしょう。

中国では長い間、大きな足の女性は結婚できないと言われるほど、小さな足への憧れは強いものでした。1900年代になると、纏足は悪しき風習として中国国内でも取り締まりの対象となりましたが、高い厚底の旗靴(チェイシエ)という靴を履いて、纏足女性の不安定な歩き方を再現する女性もいたほどでした。

纏足のやり方

考えるだけでも、痛そうな纏足

ただ、幼児の足に布を巻くだけだと軽く考える人もいるかもしれませんが、纏足をするには成長期の足の骨をわざと折ったり、脱臼させたりして固定していく作業が必要です。

女の子が3~4歳になると纏足が始められます。親指以外の指を内側に曲げて無理に布で縛って固定するため、夜も眠れないほどの痛みが襲ったといいます。骨折が伴うために発熱することも多く、纏足は秋になってから始めるとされていました。それだけ、子どもの苦痛が大きかったことがわかります。

足の指が終わっても、今度は足の甲を縦に曲げて固定しなくてはなりません。こうした作業が上手くいくと、足のサイズは10cmほどになり、金蓮(金のハスの意味)と呼ばれてもてはやされましたが、足は一生を通して縛り続けなくてはなりませんでしたし、3日に1度は消毒する必要がありました。

常に足をきつく縛っておかなくてはならなかったために、めったに洗えず、化膿していることも多かったそうです。布を解いたときの臭いも相当だったと思われます。だからでしょうか、纏足している女性は夫や恋人以外の前で素足を晒すことはなかったと言います。

纏足が終わるとどうなる?

骨の形まで変えてしまう纏足

纏足をした足は骨の形が変わり、まるでハイヒールのような形になります。普通の靴は履けなくなるため、専用の刺繍付きの靴を履きました。

大抵は母親が自分の娘に纏足を行いましたたが、きちんとした知識がないままに行われることもあり、美しい形に足を折り曲げられないこともあったそうです(金蓮と言われるためには、左右の足の形が対称的であることが必須条件でした)。それだけではなく、感染症によって足を失う者や、足が麻痺してしまう者、最悪は命を落としてしまう者までいました。

もちろん纏足がうまくいっても、長い距離は歩けなくなります。纏足は上流階級だけがおこなったのではなく、農村でも行われました。農作業などをしなくてはならない場合は、苦痛が倍増したことでしょう。

しかし当時の中国では纏足をしない女性は、家でのしつけが悪い、我慢強さがないなどと判断されてしまいました。人格まで否定されかねませんでしたから、娘を持つ母親は必死になって纏足を行わざるを得なかったのです。

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