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「枕草子」とは?内容や特徴まとめ【主なあらすじや、作者、登場人物についても紹介】

『枕草子』に登場する人たち

『枕草子』に登場する主要人物を『枕草子』エピソードと絡めながら紹介します。

藤原定子とその家族・中関白家の人々

定子の元を妹が訪れ、道隆夫妻も揃った「淑景舎、春宮に参り給ふほどのことなど」の段を描いた『枕草子絵詞』

藤原定子(ふじわらのていし 977~1001)

関白藤原道隆の娘。母は漢詩に長けた女性として知られた高階貴子。990年に従兄弟にあたる一条天皇の中宮(のちに皇后)となり、天皇の寵愛も深く権勢を極めます。清少納言は993年頃から定子に仕えました。

『枕草子』では定子と妹(当時皇太子だった三条天皇のもとに入内)姉妹と兄弟、道隆と貴子が揃った豪華な1日もつづられ、道隆の中関白家が権力の絶頂にいた日々も描かれています。

『枕草子』の定子は教養のある才媛で、一条天皇のイタズラに手を貸したり、ダジャレを楽しむ明るい性格でした。定子のサロンはいつも文化の薫りが高く華やぎ、定子に信頼された清少納言も実力を発揮します。

しかし道隆が亡くなると、定子の兄弟の伊周(これちか)は叔父の道長との政争に敗れてしまいます。以降は定子も失意の日々をおくり、3人の子を産んだものの20台半ばで亡くなりました。ただし『枕草子』のなかではいつも微笑み深く輝かしい姿で描かれています。

一条天皇(980~1011)

『枕草子』にも数多く登場する一条天皇

円融天皇(えんゆう)の子で母は道隆の姉。道隆の娘定子を中宮に迎えますが、のちに道長の娘彰子も后とし、1人の天皇に同時にふたりの后が立つ異常事態となりました。

『枕草子』では定子の次に多く登場し、定子との仲睦まじい様子や笛を好む姿、憐れみ深い姿などが描かれています。天皇が中宮らと笑う場面も多く、定子のサロンが明るい雰囲気だったことがうかがえます。

また、天皇が清少納言の機知をほめる場面や、清少納言は中宮のお気に入りだからという場面もあり、清少納言の実力も認めていたようです。

藤原斉信(ふじわらのただのぶ 967~1035)

昔の囲碁の風景。藤原斉信と清少納言は碁の用語で表現する隠語を使ってふたりだけの会話を楽しんでいた

『枕草子』にも多く登場する藤原斉信は太政大臣藤原為光の子で、容姿端麗で教養も豊かなため女性人気の高い貴公子でした。

藤原斉信は天皇の側近となる蔵人頭を勤めて中宮職へ出向く機会も多かったため、清少納言とも親しくなったようです。

清少納言と斉信は仲たがいしたこともありますが親密で、お互いの才能を認め合い、男女の間柄のことを囲碁で表現するふたりだけの会話を楽しむ間柄でした。さらに斉信は清少納言を口説いていますが、彼女は「親しく付き合うと天皇の前であなたのことをほめられなくなります」といってかわしています。

一方で斉信は抜け目のない人物で道長に取り入って出世していきます。清少納言は天皇の前で「あなたは朗詠が素晴らしいので参議にならずにこのまま天皇のそばにお仕えすればいいのに」と冗談めかして皮肉を言いました。これは清少納言の本音だったのかもしれません。

藤原行成(ふじわらのゆきなり 972~1027)

行成の書いた書は誰もが欲しがったといいます

摂政をつとめた藤原伊尹(これただ)の孫。一条天皇から信頼された有能な官吏で、書のうまさから三蹟の一人にも数えられました。藤原斉信が出世して『枕草子』から消えると、彼と入れ替わるようにして登場します。

とくに風雅でもなく自然体の彼は女房の評判は良くなかったようです。ただ清少納言は彼の奥深い性格を見抜き、親しく付き合っていました。

そんなふたりの交流は百人一首にも入っている清少納言の「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」という歌が有名です。

『枕草子』にこの歌が詠まれたいきさつが書かれています。

昨夜、中座した非礼を「逢坂の関の鶏の声にせかされたため」と謝る行成に「函谷関の番人はだませても、逢坂の関はだまされて許したりはしませんよ(簡単に男女の仲にはなりませんよ)」という意味の歌を清少納言は返したのです。

この歌は鶏の鳴きまねで函谷関の番人をだまして関所を通り抜けた中国の故事と、京都と大坂の間にある逢坂の関(男女の出会いの歌枕)を織り込んだ和歌。恋愛に託して機知に富んだ交流を楽しんだ場面です。

橘則光(965~?)

「里にまかでたるに」のあと、遠江の地方官となり現地へ行った橘則光

清少納言の最初の結婚相手で、ふたりのあいだには則長が生まれています。則光は武闘派として知られ、学識豊かな清少納言とは合わなかったのか、彼女の宮仕え前にふたりは離婚しました。しかしそのあとも交流があり、『枕草子』では宮中では兄と妹といわれるほどの仲の良さだったとあります。

則光は彼女が人に褒められると喜ぶような素直な人物でしたが、「里にまかでたるに」のワカメ事件のように歌やシャレっ気は全く理解できなかったようです。

清少納言が歌を送って絶縁したのち、彼が地方官となって都を出たこともあり、ふたりの間はそれきりになってしまったとされます。

藤原宣孝(?~1001)

藤原宣孝(ふじわらののぶたか)が派手な衣装で参詣したという吉野の金峯山

紫式部の夫です。清少納言と紫式部の関係については、紫式部が「さかしらな人はろくな最期を迎えない」と清少納言を批判していることが知られています。紫式部が一面識もない清少納言を批判したのは『枕草子』で、夫の藤原宣孝の悪口を書かれたからだと言われてきました。

じつはまだ宣孝と紫式部と結婚前のことですが、『枕草子』には彼が吉野の金峯山に出かけたときの記事があります。当時質素な服装で詣でるのが慣例だったにもかかわらず、宣孝は「神様が質素な服で来いというはずがない」と言って、場違いな派手な服装で参詣したため人々が罰当たりな人だとあきれ返ったと書かれています。

紫式部はこれに根をもったとも言われますが、じつは『枕草子』にはこの続きがありました。宣孝はこのあと筑前守になったため、人々は「宣孝の言う通りになった」と感心したのです。彼の物事にとらわれない自由さを示して終わっています。

『枕草子』おすすめ本

王朝生活が見えてくる!枕草子

『枕草子』の現代語訳が書かれた本ではありません。『枕草子』に沿って平安時代の暮らし、宮中マナー、恋模様などを紹介しており、当時の王朝生活が垣間見える一冊です。

たとえぱ恋愛や結婚は今とは方法が違うため、それをある程度理解していないと『枕草子』の恋模様も理解しがたいかもしれません。本書ではそうした平安時代の風習や文化を取り上げ、『枕草子』の場面と併せて説明しており、『枕草子』を読むときに役立つ本と言えます。

枕草子

『枕草子』の原文、現代語訳、評で構成されています。現代語訳は注釈の部分もしっかり訳に取り入れられており、非常に読みやすくかつ分かりやすい内容になっています。評の部分は清少納言の思いや事情などを作者が補っており、理解を深めるのに役立つはずです。

とくに評の部分は「そういうことだったのか!」と作者の思いが腑に落ちたり、他の芸術作品との相違点が記され新しい発見があったりと、ここを読むのが楽しくなりますよ。

そのほかの『枕草子』のおすすめ本

このほかにも以下の記事でおすすめ本を紹介しています。初級から上級まで分けて紹介しているので、まずは簡単な物から読みたい人、がっつり上級に挑戦したい人、それぞれに合わせて選んでみてください。

枕草子の内容をよく知れるおすすめ本【漫画から原文付きの上級者向けまで】

枕草子に関するまとめ

清少納言の書いた随筆集『枕草子』について、主な内容、特徴、成立時期、主なあらすじと登場人物などを紹介しました。

『枕草子』は書かれてから1000年以上たった今も、日本が誇る名作として多くの人々に読み継がれています。これを読むと1000年以上も前の人たちの美意識や暮らしを間近にすることができ、時代や風習は違えど人の心は変わらないとつくづく感じさせられる点も多くあります。

最後に『枕草子』のおすすめ本も紹介しています。これから『枕草子』を読むという人は、まずはこれらの本を手に取ってみてはいかがでしょうか。

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