土田御前とはどんな人?生涯・年表まとめ【美人説や信長との関係も紹介】

土田御前の生涯年表

16世紀前半:土田御前生を受ける

謎めいた出自の土田御前、生を受ける

どこで生まれたか、何年に生まれたかもわかりませんが、織田信長の母でもある「土田御前」が生をうけました。一番一般的な説は、美濃の豪族土田政久の娘で土田城で生まれたといわれていますが、尾張清州の土田で生まれたという説も、近江守護大名六角氏の娘で近江で生まれた説もありはっきりと分かっていません。

16世紀前半:織田信秀の継室として嫁ぐ

夫である織田信秀

はっきりした年代はわかっていませんが、織田信秀の継室として嫁ぎました。織田信秀は当初、織田達勝という一族の娘を正妻としていましたが、後に離縁し土田御前を継室にしたといわれています。信秀との間に信長・信行・秀孝・信包・市・犬の4男2女に恵まれたといわれています。

1534年:英傑の一人・織田信長誕生する

土田御前と織田信秀に抱かれる織田信長
出典:攻城団

1534年に長男織田信長が誕生しました。嫡男ということで慣例に従い、乳母が育てています。信長は生まれたばかりから癇癪もちで、気に入らない乳母の乳を噛み切ってしまったという逸話が残っています。この後、信長が名古野城で成長したのに対し、弟の信行は土田御前と末森城に住んだといわれています。

土田御前は「うつけ」といわれた信長を嫌い、品行方正な「信行」の方を可愛がったといわれています。自分の乳で育てた可能性もあるといわれ、離れて育った信長よりも思い入れがあったのかもしれないと憶測されています。

1552年:夫、織田信秀死去

信長は父信秀の位牌に抹香を投げたといわれている

夫の織田信秀が末森城で病により死去しました。一説には信秀が酒好きだったため、脳出血ではないかといわれています。その後盛大に信秀の葬式が行われましたが、弟の信行が正装で礼儀正しい様だったのに対し、信長は葬式には似合わない「派手な」恰好で現れたといいます。

そして焼香の際に、父の位牌に抹香を投げつけたといいます。そして周囲は「やはり信長はうつけだ」と噂したそうです。こういった行動も、土田御前が信長と距離を置く原因となったのではないでしょうか。

稲生の戦いが起き、愛息信行が暗殺される

稲生原古戦場跡地

父の死後、織田信行が末森城主となりました。そして兄の信長と尾張の支配権で争いをし、一時は信長に変わって弾正忠家の当主を名乗りましたが、稲生の戦いで信長に敗れ末森城・名古野城に籠城しています。その時に土田御前は、信長に対して信行の助命を嘆願したといいます。

一度は土田御前の取りなしを受けて信長はこれを了承し、信行も謝罪し忠誠を誓ったといいます。しかしそれでも、謀反の動きを信行が見せると、信長は重病のふりをして信行を清州城におびき寄せ、家臣に信行を暗殺させました。

信行死後、清州城で暮らす

土田御前は清州城に身を寄せていたという

織田信行死後は、息子信長のいる清州城に身を寄せたといいます。そこで信長や娘の市と暮らし、孫たちの面倒をみていたと伝えられています。

1582年:本能寺の変で、息子信長死去

土田御前の孫、織田信勝の庇護を受けたという

1582年に本能寺の変が起き、織田信長と孫の織田信忠が死去しました。この時は、安土城ないしは安土城下町に住んでいたようですが、信長死去により孫の織田信雄を頼ったといいます。信雄の元で「大方殿様」と呼ばれ、640貫文の化粧料を貰っていました。

1594年:伊勢国安濃津で死去

四天王寺の土田御前の墓

1590年に庇護を受けていた織田信雄が改易となったために、その後息子の織田信包の元に引き取られました。その地で1594年に死去しています。享年はわかりませんが、織田信長誕生からちょうど60年なので、平均年齢50歳といわれた時代にしては、長生きをしたことは間違いないでしょう。墓所は三重県津市の塔世山四天王寺にあります。

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土田御前についてのまとめ

いかがでしたでしょうか。美人で毒親なイメージで時代小説で書かれてきた土田御前ですが、実際は弟の織田信行を可愛がったとはいえ、信長にも敬意を払う優しい母の姿があるように感じました。多くの子供や孫に囲まれて、長寿を生き抜いた実に逞しくて戦国時代の妻にしては安寧な人生を送ることができた女性なのではないかと感じています。

非常に謎が多い女性でしたが、もしかしたら今後新たな発見があるかもしれず、少しでも謎のベールが外れていくと嬉しいと感じました。出自がはっきりしない彼女が、はっきり分かっていることは、現在も子孫たちが活躍をしているということです。歴史というのは繋がっているのだなとロマンを感じた執筆となりました。今回の記事で少しでも、新しい土田御前を知ったという方がいたら非常に光栄に感じます。最後までお読みいただきありがとうございました。

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