帝国主義とは?どんな思想?意味と背景、広まった原因について分かりやすく紹介

資本主義から転換した帝国主義の興亡・歴史

独占資本の形成

銀行と企業が手を組み、特定箇所にお金が集中した

帝国主義が顕著になったのは、1870年代以降です。帝国主義思想が広まる始まりは、独占資本の形成でした。

1870年、イギリスでは産業と銀行が一体化した金融資本が誕生します。加えて、産業の中心が軽工業から重化学工業に移る第2次産業革命が起こり、今までよりも巨額の資金が必要になりました。

2つの要因により、資金を調達できない企業は倒産し、残った企業に資金が集中します。その結果、カルテルやトラスト、コンチェルンなど各自の形態を持つ独占資本が生まれました。しかし、独占が進んだ資本主義下では自由な競争は生まれません。

競争のない市場を得た独占資本は力を増していき国家権力と結びつきました。国家は利害を求め、軍事力によって勢力圏・植民地拡大を図る膨張政策が取るようになります。この段階は学者の間で「帝国主義」と呼ばれ、1916年レーニン著作の『帝国主義論』では次の5つに定義されました。

  • 生産と資本の集中による独占資本の形成
  • 産業と銀行の融合による金融資本の誕生
  • 商品輸出にかわる、資本輸出の増加
  • 国際カルテルによる世界市場の分割
  • 帝国主義列強による植民地分割の完了

国家独占資本主義

いち早く国家独占資本主義にまで至った国は植民地の拡張を進め豊かな国となった

国家と独占資本が結びついた状態を帝国主義の本質と見たレーニンは、その本質を「国家独占資本主義」という用語で表しました。

特に第2次産業革命は、資本主義列強各国の格差を大きく広げました。もともと資源や植民地を持っていたアメリカ・イギリス・フランスなどの豊かな国と、国の統合が遅れて資源・植民地共に少ないドイツ・イタリア・日本の差は着々と水面下で広がっていきます。

その格差は1929年に起こった世界恐慌で表面化し、「持たない国」であったイタリア・ドイツ・日本の帝国主義思想を強め、レーニンの言うところの国家独占資本主義の段階へと進めました。

植民地獲得競争

1898年の帝国主義列強の勢力図

19〜20世紀、帝国主義列強として海外領土や植民地を争った諸国は、特に列強と呼ばれました、20世紀初頭に帝国主義的な意味の植民地を所有していたのおは、イギリス・フランス・ドイツ・ロシア・アメリカの5大国とイタリア・ベルギー・日本の合わせて8ヵ国です。

これら列強は1876年から1914年までの間、約2億7000万人が住む2730万平方kmの植民地を新たに手に入れ、それ以前に支配していた分を加えると、地球の総面積の半分以上を占めました。僅か8ヵ国の手に、世界の半分があったわけです。なんだか現実味のない話ですね。

それでは、各列強諸国はどのような動きをしていたのでしょうか。

イギリス

(赤)イギリスの領土※ただしアメリカは1781年に独立

イギリスの帝国主義は、前述したように1870年代に強まりました。

1875年にスエズ運河会社を買収し、ロシアとオスマン帝国の戦争に介入して1878年のベルリン条約でキプロス島の管理権を獲得します。このキプロス島は西アジアからインド一帯を支配する拠点となりました。

インドではインド大反乱を鎮圧して植民地支配を完全なものとし、1877年にヴィクトリア女王を皇帝に「インド帝国」を成立させます。形式的には独立した帝国のインド帝国ですが、実質的にはイギリスの植民地扱いでした。

イギリスの内部では、自由貿易主義的観点から植民地は拡大せず、むしろ維持する負担をなくすために独立させて貿易をした方が良いという意見もありました。しかし、世界では帝国主義列強による植民地獲得競争が行われており、イギリスはここから撤退できませんでした。

むしろ、植民地拡大によって国内の矛盾を解決しようという流れがありました。

最終的に1900年頃には以下の地域がイギリスの植民地となりました。

  • アイルランド
  • 地中海地域:ジブラルタル・マルタ島・キプロス島
  • アジア:インド・ビルマ・香港・マレー半島・北ボルネオ・クウェートなど
  • アフリカ:南アフリカ・エジプト・スーダン・ローデシア・ナイジェリア
  • 中南米:ギアナ・ジャマイカ・ホンジュラス・トリニダードドバゴ・フォークランド諸島・南シェトランド諸島
  • 自治を認めた領土:カナダ・オーストラリア・ニュージーランド

フランス

フランス領インドシナ

1875年はフランスの工業も発展しており、イギリスと同様に帝国主義の段階へと入っていました。

19〜20世紀初めにかけて行われたアフリカ分割にも加わっており、アフリカ横断政策をとっていましたがイギリスと対立。帝国主義をとる国同士の最初の衝突です。フランスは衝突地点であったスーダンのファショダにフランス国旗を掲げましたが、それを見たイギリスは直ちに軍を派遣しました。

イギリスはフランス軍を包囲し、撤退か戦争かを迫ります。当時のフランスは国内が不安定だったため抗戦せずに撤退しイギリス軍にファショダを明け渡しました。これをきっかけにイギリスとフランスの対立はなくなり、協調関係となります。

アフリカ横断政策は失敗に終わりましたが、東南アジアでは1884年の清仏戦争でベトナムの宗主権を清から奪い、フランス領インドシナ連邦の植民地を拡大します。日清戦争後にはロシア・ドイツと共に干渉して、日本から遼東半島を還付させました。

また、一連の件で清が弱体化しているのにつけこみ、1898年の中国分割で広州湾を得て鉄道敷設権を得るなど勢力を伸ばしていきました。

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