一休宗純の年表
1394年 – 0歳「一休宗純京都で誕生する」
1394年に、京で一休宗純は誕生しました。父は後小松天皇、母は南朝方の貴族という高貴な生まれでしたが、母が帝の命を狙っているという噂を立てられた為に、宮中を退出し京都嵯峨野で一休を産んだといいます。幼少時代の名前は「千菊丸」といいました。
1400年 – 6歳「出家し、安国寺に入門する」
6歳の時に安国寺に入門・受戒し、名前を「周建」と付けられました。「頓智話」の舞台の和尚や将軍とのやりとりは、安国寺で修行をしている8歳の時の出来事といわれています。幼くして、頭の回転の速さが将軍の耳にまで聞こえたといわれるエピソードといえるでしょう。その他に漢詩でも頭角を現し、「長門春草」「春衣宿草」は洛中で評判になったといわれています。
1411年 – 17歳「西金寺に入門し名を『宗純』と改める」
安国寺での修行に疑問を持った一休宗純は、貧しい西金寺の謙翁和尚の弟子となり戒名を「宗純」と改めています。ここで4年間厳しい修行をしました。謙翁和尚は存命中に、一休に大徳寺の華叟和尚を紹介し、病没してしまいます。
謙翁和尚死去後の一休は、石山観音に籠りますが悟りを開くことが出来ずに、思い悩んで川に飛び込もうとしています。そこを様子が変だからと母から見守りを指示されていた男に止められ一命を取り留めています。
1415年 – 21歳「大徳寺に入門し、『一休』という道号を授かる」
1415年に、謙翁和尚に教わった大徳寺の華叟和尚の元を訪れます。中々入門を許してもらえませんでしたが、7日目に許され弟子入りをします。ここで西金寺以上の貧しい生活をしながら、仏道の修行に励む毎日を過ごしました。
この時に華叟和尚との公案への回答から、「一休」という道号を授かっています。6年間の間一休は大徳寺で修行をし、1420年のある日に、琵琶湖に浮かべてた小舟の上で、夜の闇を飛ぶ鳥を見て遂に悟りを開きました。華叟和尚から終了証として「印可」を授かりますが、火にくべたといわれています。
とにかく「風狂」な生活を送る
悟りを開いた一休宗純は、詩・狂歌・書画などをしながら「風狂」な生活を送ったといいます。その風変わりな風貌と行動は人々を驚かせました。。そういった頃でも、仏僧として珍重され、1428年に称光天皇が崩御し、後嗣に伏見宮家の御花園天皇が即位しますが、この即位には一休の推挙があったといいます。1470年に妻となる森侍者と知り合っています。
1474年年 – 77歳「大徳寺の住持となる」
1474年に後土御門天皇の勅命により「大徳寺」の住持となりました。寺には住まなかったが、復興に尽力し、自身は戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」と呼ばれる所に住みました。天皇とも親しく接し、民衆にも慕われたといわれています。
1481年年 – 88歳「マラリアにより死去」
1481年に酬恩庵にてマラリアにて死去しました。享年88没。死の間際に「死にとうない」と述べたといわれています。墓所は酬恩庵の中にありますが、宮内庁が管理しており「陵墓」扱いです。現在も内部へ入ることはできませんが、門の外から参拝は可能となっています。
一休宗純の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
学習漫画 世界の伝記 一休さん とんちで名高い禅宗の僧
子供向けの「一休さん」の学習漫画です。漫画なので大人でも気楽に読むことができておすすめです。もちろん子供の教育に買って、歴史に興味を持つきっかけになる本です。
一休さん (はじめての世界名作えほん)
世界絵本の一休さんの話です。絵柄が可愛いので、男女問わず読みやすい本です。子供さんの教育に是非買って損はないと思われます。
一休―その破戒と風狂
一休宗純の僧侶としての姿勢を考え方を読み解いている本です。仏学に興味がある方に特におすすめの一冊です。一休宗純が悟った仏の教えが見えてきます。
おすすめの動画
臨済宗・大徳寺 一休さん
人気の「オトナの一休さん」シリーズです。思わず笑ってしまうような一休宗純のとんでもエピソードが紹介されています。しかし一休さんに不思議な魅力を感じてしまう一作です。
おすすめドラマ
一休さん 1~150話セット
テレビアニメ「一休さん」のDVDです。親世代が懐かしんでみても、子供が新しく見ても楽しめる永遠の名作です。話数が多いので、かなり長く楽しめます。
ふるさと再生 日本の昔ばなし 「一休さんの虎退治」他
日本昔話の中の一話に「一休さんの虎退治」が入っています。一休さんの話以外にも、日本昔話が見ることができるのが魅力です。
関連外部リンク
一休宗純についてのまとめ
いかがでしたでしょうか?筆者が子供の頃に「一休さん」というアニメが放映されており、凄く身近に感じる人物だったので今回の執筆を嬉しく思っております。また図書館などで、子供向けの「一休さん」の伝記を読んだりして、一休宗純という人間の面白さを感じた覚えがあります。
「風狂」という行動は私のような凡人には図り知るのは難しいですが、それでも厳しい修行を乗り越える様子を知るにあたって、仏教を極めた末に行きついた事がきっと「人間らしく生きる」だったのではないかと感じています。
今回の執筆で、やはり一休宗純は人々に愛され続けている名僧だと再確認して嬉しく思っております。この記事で少しでも一休宗純に興味を持っていただけたら非常に光栄に思います。最後まで長い記事にお付き合い頂きありがとうございました。