小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

安倍晴明とはどんな人?生涯・年表まとめ【伝説や子孫、死因も紹介】

「安倍晴明ってどんな人なのかな?」
「野村萬斎さん主演の「陰陽師」格好良かった!」
「羽生結弦君の『SEIMEI』の演技すごく好き。」

安倍晴明は平安時代の公家であり、陰陽師でもあります。身分的には下級貴族でしたが、陰陽道に通じており、不思議な逸話が多く伝わる人物です。近年では映画や漫画でも取り上げられており、かなり知名度のある人物となりました。フィギアスケートで、羽生結弦選手が金メダルを取った時の演技が「SEIMEI」であり、そこでまた知名度が上がったといわれています。

野村萬斎主演の「陰陽師」は話題になった

そんなエンターテイメントの題材によく使われる安倍晴明ですが、実際は謎が多くどういった人物か不明なところが多いです。しかし実在に人物であったらしく史記で足取りを追うことも可能です。今回の記事では長年、安倍晴明について調べている筆者の研究成果を記していきたいと思います。

安倍晴明とはどんな人物か

名前安倍晴明(せいめい・はるあきら)
誕生日921年
没日1005年
生地摂津国(大阪府)
没地
配偶者梨花(史実上の妻は不明)
埋葬場所京都嵯峨(渡月橋の近く)

安倍晴明の生涯をハイライト

安倍晴明のはっきりした出自は不明ですが、摂津国阿倍野(大阪府阿倍野区)で.生まれたといわれています。幼少期は詳しいことは不明ですが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子から陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。後に賀茂氏と安倍氏は「二大陰陽師の家」といわれるようになります。

晴明神社にある安倍晴明像

960年に40歳で天文得業生で、村上天皇の占いを任じられました。このエピソードは晴明の占いが認められていた証拠といわれています。50歳には天文博士に昇進し、陰陽道も実質のトップとなったといいます。

990年には一条天皇の病を平癒させ、1004年には雨乞いで雨を降らせたと天皇から信任を得て、褒美を賜ったという記録が残されています。その後天文学で培った計算の能力が買われて主計寮に異動しました。しかしその翌年1005年に死去しています。享年85歳と考えられています。

陰陽道とはどんな術なのか?

晴明印

安倍晴明は陰陽道を駆使し人々を驚かせたといいます。晴明が巧みに操った「陰陽道」とはどういった術なのか説明していきたいと思います。

陰陽道の起源

陰陽道の印(起源は中国の戦国時代末期といわれている)

陰陽道とは、5世紀から6世紀ごろに儒教と共に「陰陽道」として日本に伝わったものです。同時に伝わってきた道教の方術に由来する方違、物忌、反閇(呪術的な足づかい、歩き方)などの呪術や、泰山府君祭などの道教的な神に対する祭礼、さらに土地の吉凶に関する風水説や、医術の一種であった呪禁道なども取り入れ、日本の神道と相互に影響を受けあいながら独自の発展を遂げたものでした。

陰陽道の考え方

陰陽五行説

陰陽道の基本的な考え方を「陰陽五行説」といいます。陰陽五行説とは天文、暦数、時刻、易といった自然の観察に関わる学問、占術とあわさって、人間界の吉凶を占う技術として日本で発達していきました。

当初は漢文を読める渡来人の僧侶が行っていたといいますが、7世紀には日本人が行うようになりました。7世紀に陰陽寮が設立され、陰陽寮の配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせました。また、令で僧侶が天文や災異瑞祥を説くことを禁じた為に、陰陽師は国家管理となったのです。

平安時代の陰陽道

平安時代には占いだけでなく霊能者的な仕事も行っていた

平安時代には、日本人独特の「怨霊信仰」が高まり、災いを避けるために陰陽師が活躍しました。陰陽道は天皇や公家の大きな指針となったといいます。10世紀には、陰陽道・天文道・暦道を極めた「陰陽師」が現れます。

この頃から貴族の要請を受けた陰陽師が、占いとは別に、病を引き起こす物の怪を払うという事が行われるようになったといわれています。

陰陽道を使ったという伝説

安倍晴明は数々の逸話を残した

安倍晴明はこの呪術を駆使して、名を轟かせました。そんな晴明の、現在に伝わる代表的な陰陽道の逸話を3つ紹介いたします。

老僧が弟子入りした話

安倍晴明の家に老僧が訪ねてきた

安倍晴明の屋敷に老僧が、10代くらいの2人の童を連れて訪ねてきました。老僧は、晴明の陰陽道を習いたいといいます。この老僧は童と見せかけて、実は自身の式神を連れていました。すると晴明は童を術で隠してしまいます。

老僧は「どうして供を隠すのですか?」と問うと晴明は、「私を試そうとしたからだ。」と答えたそうです。老僧は「式神を操るだけでなく、他人の式神を隠せるとは。」と驚き弟子入りを申し出たといいます。

術で蛙を殺傷する話

蛙を術でひしゃげてみせた

安倍晴明が広沢僧正の所で話している時に、他の公家が「式神を使うなら人を殺せますか?」と問うたといいます。すると晴明は、「殺しても生き返らせる方法を知らないので、容易くは殺しません。」と答えました。すると公家は、「あの蛙を殺してみよ。」といいます。それを聞き晴明は葉を投げると蛙は真っ平にひしゃげたといいます。

花山天皇の譲位を言い当てる

花山天皇

花山天皇には弘徽殿の女御という寵妃がいました。しかし妃は懐妊中に亡くなってしまいます。帝は非常に悲しみ、在位2年で出家されました。出家した夜に晴明の家の前を通ると晴明は、帝座の星に兆しを見て、帝が譲位すると叫んだと伝わっています。

安倍晴明の死因は未だ謎に包まれている

仮名草子の挿絵

安倍晴明の死因の詳細は分かっていません。しかし史料ではないですが、不思議な伝説が残っています。内容は1662年の仮名草子『安倍晴明物語』で、ライバルの蘆屋道満(あしやどうまん)と命をかけた賭け事をし、道満のインチキで負けて斬り殺されたと綴られています。その後清明は師匠に生き返らせてもらって、道満に復讐を果たしています。

この話は仮名草子なので鵜呑みにできませんが、晴明の死を書いている面白い話です。面白おかしく想像されたのか、そういった伝説が長らく伝わったのかは分かりませんが、一つ分かっていることはかなり長生きをしたらしく、85歳で没したと考えられています。人生50年といわれている時代ですので、かなり長生きをしたことは間違いありません。前年に新しい役職にもついているので、晩年まで働いていたと考えられます。生涯現役の人でした。

安倍晴明の妻ってどんな人?

平安時代の公家の女性

史実における妻は不明です。しかし江戸時代に書かれた「安倍晴明物語」に、「梨花」という名前の妻が登場します。物語ではライバルの蘆屋道満が、晴明の留守中に、妻の梨花と関係を持ってしまいます。そして蘆屋道満と命をかけた賭け事をし、切り殺されてしまいました。しかし師に生き返らせてもらった晴明は、蘆屋道満を切り殺し、裏切者として梨花も切り殺したそうです。

この梨花は霊力があり、鬼が見えたといわれています。その為に晴明は妻が怯えるからと、橋の下に式神を隠していたという話が残っています。

妻は鬼の姿が見えたという

安倍晴明には子供が二人います。安倍吉平・安倍吉昌といいますが、どちらも母が分かっていません。平安時代に「梨花」という名前は不自然なので創作の可能性が高いですが、この二人の息子も非常に有能な陰陽師になったそうなので、母も霊感のある人だったのかもしれません。

安倍晴明に子孫はいる?

安倍元総理は子孫といわれている

安倍晴明の死後、安倍氏は「陰陽師の家」として続いていきます。そして室町時代に住居があった土御門に由来して「土御門」という苗字を名乗るようになります。そして明治時代まで陰陽道を生業として朝廷に仕えていました。

現在でも、親戚を含めたご子孫の方はいらっしゃいます。著名な方には、「安倍晋三元総理大臣」も安倍晴明の末裔という情報があります。安倍晋三元総理大臣は岩手で演説をした時に、「自らの出自が岩手で安倍晴明の末裔である」と演説を行ったそうです。安倍元総理が安倍晴明の末裔という驚きのエピソードです。岩手の安倍氏は分家筋ですので、そういう家を含めたら晴明の子孫は多く残っているといえるでしょう。

安倍晴明に子孫はいる?家系図付きで解説【安倍元総理との関係も紹介】

安倍晴明ゆかりの神社

安倍晴明像と晴明神社

安倍晴明を祀った神社は全国にありますが、その中でも有名な神社が二つあります。安倍晴明ファンは是非押さえておきたい神社です。

晴明神社

京都の晴明神社

京都府上京区にある安倍晴明の邸宅跡にある神社です。近年はフィギアスケーターの羽生結弦選手も参拝に来たということです。一条天皇の命により1007年に創建され、その時は現在よりも広大な敷地を持つ神社だったといいます。

少し離れたところに「一条戻り橋」があります。安倍晴明が式神をおいていたと伝わる橋です。またこの橋で父、安倍保名を蘇生させたという伝説も残っています。

安倍晴明神社

安倍晴明神社

大阪府阿倍野区にある、安倍晴明生誕の地と伝わる場所にある神社です。安倍晴明は阿倍野の豪族だった安倍保名が父と伝承されています。はっきりとした史実は残っていませんが、京都の晴明神社と同じ1007年に創建されており、かなり信憑性は高いと考えられているそうです。

安倍晴明の功績

功績1「藤原道長のお抱え陰陽師だったこと」

晴明は最高権力者藤原道長の信任も得ていた

安倍晴明は時の権力者、藤原道長の絶大な信任を得ていたといいます。藤原道長は何か不吉な事を感じるとすぐ晴明を呼び、すると晴明はいつの間にか道長の影のように控えていたそうです。

ある時は、道長の門に呪詛の壺が埋められていることを予言します。晴明は懐から紙を取り出し鳥に変えると、呪詛者が誰なのかを調べさせました。相手は道長の出世を妬んでいる藤原顕光であることまで突き止め、道長への更なる信頼を得たというエピソードが残っています。最高権力者の藤原道長の信任を得るということは、いかに安倍晴明の陰陽道が信頼されていたか分かるエピソードです。

功績2「エンターテイメントで人気となったこと」

ドラマ「陰陽師」のワンシーン

安倍晴明は死後、多くの文学作品に登場しています。「平家物語」では頼光四天王、渡辺綱が鬼を倒した時の腕を封印したという話が記されています。江戸時代には人形浄瑠璃や歌舞伎の題材で多く上演され、「蘆屋道満大内鑑」という晴明の出生による伝説をもとにした話が多く上演されました。

近年では、テレビドラマや漫画でも多くの題材として扱われています。実際の晴明が活躍したのは、老年だったといいますが、これらのエンターテイメントの題材になる際には若い美男であることが相場となっております。このように、多くの作品で愛され続ける安倍晴明は日本の文化に大きな影響を与えているのです。

功績3「陰陽道の家を確立したこと 」

暦も安倍家の仕事だった(写真は暦計算書)

天才陰陽師・安倍晴明の誕生により、安倍家は「陰陽師の家」という立場を確立することに成功しています。安倍家は晴明以後、朝廷に対して陰陽道・天文道・暦道に対する業務を一族として請け負うようになりました。中世には陰陽寮の陰陽頭を世襲するようになります。この「陰陽道」という家業を起こし、近世まで国に奉仕してきた功績は、晴明の力があってのことといえるでしょう。

1 2

コメントを残す