薔薇戦争とは?原因や結末、主な登場人物まで分かりやすく解説

薔薇戦争の発端

ヘンリー5世(現在も愛国心の象徴として人気が高い)

1413年ヘンリー4世が亡くなり、息子のヘンリー5世が即位しました。しかしケンブリッジ伯リチャードがヘンリー5世を暗殺して、妻の弟のマーチ伯エドマンド・モーティマー(本来王位継承されるはずだった人)を国王として擁立しようとしました。これは多くの貴族も絡んでいましたが、旗頭としてたてられたエドマンド自身が王に密告し、ケンブリッジ伯リチャードは斬首されました。

国王への忠誠を示したエドマンドでしたが、子供ができないまま死去してしまい、王位継承権は姉のアンとケンブリッジ伯リチャードとの間に生まれたヨーク公リチャードに引き継がれていきます。そしてヘンリー5世が急死し、わずか9か月のヘンリー6世が即位しました。

ヘンリー6世の前で言い争うサマセット公とヨーク公

そして百年戦争もオルレアンが解放されると、主戦派と和平派で対立します。和平派のサマセット公エドムンド・ボーフォートという人物と、主戦派の中心がヨーク公リチャードでした。両者の権力争いは苛烈を極め追い詰められたヨーク公リチャードはヘンリー6世に対して反乱を起こしました。これが「薔薇戦争」の幕開けとなりました。

第一次内乱

ヘンリー6世と王妃マーガレット妃

第一次内乱は1455年から1468年まで続きます。頻拍した戦いが続く中、ヨーク派はヨーク公リチャードや次男のラクランド伯が死亡します。ランカスター派もエドムンド・ボーフォートなど主要人物が戦死しています。戦いの過程でランカスター派は略奪行為を頻繁に行い、ロンドン市民の支持を失っていきます。

その結果1461年にヨーク公リチャードの跡を継いだ長男ヨーク公エドワードがヘンリー6世に代わってエドワード4世として即位しました。薔薇戦争最大の戦いといわれる「タウトンの戦い」が起こり、ヨーク派が勝利し、ヘンリー6世は王妃を連れてスコットランドへ逃亡します。しかし1465年に捕らえられ、ロンドン塔に幽閉されてしまいました。こうして薔薇戦争の第一次内乱はヨーク派の勝利に終わったのです。

第二次内乱

ウォリック伯リチャード

第二次内乱は1469年から1471年まで続きます。この戦いではヨーク派の主要人物でウォリック公リチャード・ネヴェルという人物が要となります。ウォリック公は親フランスはでフランス王族の縁談を進めていましたが、エドワード4世はランカスター派のエリザベス・ウッドヴィルと結婚してしまいました。それからエリザベスの親族ばかり重用し、エドワード4世とウォリック公の関係は悪化していきました。

エドワード4世と王妃エリザベス・ウッドヴィル

これに対してウォリック伯はエドワード4世の弟のクラレンス公ジョージと盟約を結び反旗を翻します。ウォレット伯はルイ11世の取りなしでランカスター派の中心人物であるマーガレット妃と和解しています。エドワード4世が反乱を収めるためにロンドンを離れている間に、ウォリック伯はロンドンを占拠して、幽閉されていたヘンリー6世を復位させてしまいます。

マーガレット妃の忠誠を誓うウォリック伯

これによってエドワード4世はブルゴーニュへの亡命を余儀なくされましたが、ブルゴーニュ公シャルルの支援を受けて体制を立て直し1471年にイングランドに再上陸しました。ウォリック伯を見限ったクラレンス公と合流して、ヘンリー6世を捕らえます。エドワード4世とウォリック伯は「バーネットの戦い」を行いエドワード4世が勝利しました。ウォリック伯は戦死してしまいます。

またウォレット伯と手を結んでいたマーガレット妃とエドワード王子は「デュークスベリーの戦い」で壊滅し、マーガレット王妃はロンドン塔に幽閉され、エドワード王子は斬首されてしまいました。そして捕らえられたヘンリー6世も殺害されて、「第2次内乱」は終わりを告げました。

第三次内乱

ロンドン塔の若き王と王子(エドワード5世は殺害されたと考えられている)

第三次内乱は、1483年から1485年まで続きました。きっかけはエドワード4世が急死した為でした。王位を継承したエドワード5世は若干12歳で王妃の親族ウッドヴィル家の元で養育されました。そのウッドヴィル家とエドワード4世の弟のグロスター公リチャードとの間で権力争いが起こります。

この争いに勝利したグロスター公は、エドワード5世に代わってリチャード3世として即位してしまいました。12歳のエドワード5世は殺害されたと考えられています。リチャード3世の即位に対してバッキンガム公ヘンリー・スターフォードが反乱を起こします。彼が擁立したのが、ランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・デューダという人物でした。

ボズワースの戦いで奮闘するリチャード3世

ヘンリー・デューダーはヘンリー6世の遠縁でしたが、ヘンリー4世によって王位継承権から排除されていました。そのため母のマーガレット・ボーフォートは、ヘンリー・デューダーと、エドワード4世の長女でヨーク家の相続人となっていたエリザベス・オブ・ヨークとの婚約を成立させていました。これによりヘンリー・テューダーも王位継承が可能となりました。

バッキンガム公の反乱は失敗しますが、その残党がフランスに亡命しているヘンリ・デューダの元に集まりフランスの援護も受けつつ、1485年にイングランドに上陸しました。そして「ボズワースの戦い」でリチャード3世とヘンリー・デューダが戦いヘンリーが勝利し、ヘンリー7世として即位しました。こうして「薔薇戦争」は終結しました。

テューダー・ローズの紋章

翌1487年にヘンリー7世はエリザベス・ヨークと結婚し、ランカスターとヨークの二つの王家が合体しました。赤薔薇と白薔薇を組み合わせた新しい「テューダー・ローズ」が紋章として扱われました。

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