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ロゼッタストーンとは?意味や内容、解読者について詳しく紹介

「ロゼッタストーンってなに?」
「ロゼッタストーンにはどんな内容が書かれているんだろう?」
「ロゼッタストーンを解読したのは誰?」

この記事を読んでいるあなたはこのように思っているのではないでしょうか。

ロゼッタストーンとは1799年に発見された古代エジプトの遺物です。巨大な黒い岩に古代の文字が刻まれており、1822年にイギリスの学者シャンポリオンによって解読されました。解読されて以降、古代エジプトの資料を読み解けるようになり、歴史という学問に新たな分野を創造しました。

ロゼッタストーン

この記事では、ロゼッタストーンとはなんなのかについて解説します。他にも、ロゼッタストーンの内容や発見、解読者についても紹介しますので、ぜひ参考にしてください。

ロゼッタストーンとは?

ロゼッタストーンとは紀元前2世紀の石碑

推測されるロゼッタストーンの原型

ロゼッタストーンとは、古代エジプト研究が進歩するきっかけとなった紀元前2世紀の石碑です。

高さ114cm、幅73cm、厚さ28cmの巨大な岩で、重さは762kgあります。材質は黒い花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)でできており、当初は花崗岩や玄武岩でできていると勘違いされていました。

花崗閃緑岩とは
花崗閃緑岩とは、花崗岩と閃緑岩の中間に位置する性質を持った石のことです。現在では御影石の1種として建築用に使われています。

文字が刻まれている表側はきれいに磨かれていますが、側面は滑らかにされている程度で裏側に至ってはほぼそのままの状態となっています。石碑であったため、石をまっすぐ立ててしまえば裏側は見えなくなるからでしょう。

持ち運びに苦労する大きな石でしたが、実はこれでも石碑の一部であり、破損前の高さは150〜160cmはあったのではないかと推測されています。歪な形からもわかる通り、ロゼッタストーンに書かれている文章はわずかに失われています。

ロゼッタストーンは神聖文字ヒエログリフ)解読の鍵となり、古代エジプトの歴史研究が大きく進みました。

どこで発見された?

考古学的に大きな価値を持つロゼッタストーンは、1799年にエジプトの都市ロゼッタ近郊の川で発見されました。発見したのはナポレオン率いるフランス軍です。エジプトで軍事活動を行うために遠征してきていたのですが、この遠征軍には、167人の技師からなる学者集団も一緒にきていました。

エジプトの港湾都市ロゼッタについたフランス遠征軍は、守りを固めるために要塞を建設します。その作業中、ピエール・フランソワ・ブシャール大尉は黒い大きな岩に文字が刻まれているのを発見しました。

この石はとても重要なものなのではないか、と思ったブシャール大尉はたまたまロゼッタにきていたメヌー将軍に報告します。ロゼッタストーンは調査のためにフランスの研究所があるカイロへと運ばれ、検分が行われました。

結果、石には3つの文章が書かれていることがわかります。この頃には、発見された石はすでにロゼッタストーンと呼ばれていました。

文字ごとに文書が分かれている。上から順に神聖文字・民衆文字・ギリシア文字

さらに調査が進み、2つの古代言語が使われていることがわかるとロゼッタストーンは民衆の関心の的になります。模写や金属板への象り直しが行われ、博物館や学者たちの間を飛び回り、研究が盛んに行われました。

後にロゼッタストーンはイギリスへと渡ってしまうのですが、石碑に書かれた文章の模写は終わっていたため、フランスでも解読ができました。もし、このときに大尉がロゼッタストーンを見逃していたら、古代エジプトについては今でもわからなかったかもしれません。

「ロゼッタストーン」は全体をとらえる鍵の象徴の意味もある

ロゼッタストーンという鍵により、古代エジプト文明についての理解が進んだ

ロゼッタストーンにより神聖文字の解読ができるようになったことから、ロゼッタストーンという言葉は「謎を解く重要な鍵」という意味を持つようになり、比喩として使われるようになりました。

このような使われ方は、1902年版の『ブリタニカ百科事典』でグルコースの化学分析について使用されたのが最初でした。それ以降は小説の慣用句として、SFの父ウェルズの人気作にも使われ始めます。

科学の分野で有名な使用例は、1979年のアメリカのサイエンス誌です。ノーベル賞を受賞したテオドールが分光学(プリズムなどで分解した光を研究する物理学の分野)について述べた記事では

水素原子のスペクトルが現代物理学のロゼッタストーンだということが証明された。線のパターンさえ解読してしまえば、あとはどれだけ数が多くとも難解ではないからだ。

と言っています。このように、ロゼッタストーンと言う言葉はさまざまな分野の文脈で用いられるようになりました。

専門的な書を読んだときにロゼッタストーンと言う言葉がでてきたら、それについてしっかりと理解すると簡単に読めるようになるかもしれませんね。

ロゼッタストーンは一つだけではない!?

ギリシア文字

実はロゼッタストーンはフランス軍が発見したもの以外にも存在しています。初めてロゼッタストーンが発見されて以降、まったく同じ内容が書かれた石がエジプト北部の都市ダマンフルやヘルモポリス・パルヴァなどからも発見されました。

ロゼッタ近郊の川で見つかったものは、後世の時代に要塞を建造するための建築素材として神殿から運び出されていたと考えられています。

ロゼッタから発見されたロゼッタストーンは3つの言葉で書かれていましたが、ギリシア人が住んでいなかったエジプトの地域から見つかった石にはギリシア文字は使われていませんでした。その土地に住む人の言葉に合わせて、それぞれの文字で同じ内容の碑文を刻んでいたようです。

ここまでの話でわかると思いますが、ロゼッタストーンは文字ごとに内容が異なるわけではなく、すべて同じことが書かれています。

違う文字で同じ内容が書かれているため、当時明らかになっていなかった神聖文字の解読のきっかけになったのです。解読可能な文字が、解読不可能な文字の辞書代わりになったんですね。

ロゼッタストーンにはなにが書かれている?

内容はプトレマイオス5世の功績について

プトレマイオス5世が描かれた硬貨

ロゼッタストーンにはプトレマイオス5世の功績が書かれていました。プトレマイオス5世とは、紀元前304年から紀元前30年に存在したギリシャ系王朝の国王です。

ロゼッタストーンの内容は簡潔にまとめると前半が王の功績で、後半が法令となっています。

文章の内容について、日本語訳されたものを発見しましたので、一部引用します。興味のある方は読んでみてください。

父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした……不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した……祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。……神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした……

この引用文によるとプトレマイオス5世は、エジプト王の中で最も才能にあふれ、エジプトを豊かにしたと書かれています。そして、治世の9年目に法律を決め、ロゼッタストーンを各地に設置しました。

また、上記の文章からはかなり寛大な王であったことが伺えます。

まず、プトレマイオス5世は、国民全員が栄えるために自分の給金の一部を神殿と神殿に仕える人に分け与え、税を軽くしました。さらに、借金をしていた何人かの人を解放し、なんらかの罪により投獄されていた人や裁判を待っていた人に恩赦(一部の罪を軽くしたり、なかったことにすること)を与えています。

自分のお金を神殿に分け与えたり、国民のために借金をなかったことにしたりと民衆に尽くす王だったことがわかります。

プトレマイオス5世は古代のギリシア系王国の王族

上記の引用文には書かれていませんが、後半の法令は税について記されていました。内容は一部抜粋すると、王室の支払いを治世8年目にさかのぼって免除し、証明書発行手数料のみにするとあります。

さらに読んでいくと、王と神殿による祭礼について書かれており、最後は

この法令は硬い石碑に、聖なる文字と、人民用の文字とギリシア語とで刻まれ、第一、第二、第三(級)の神殿に、永遠に生きる王のそばに安置されるであろう

と締められています。この文から、ロゼッタストーンは各地の神殿に設置された石碑であり、神としての王の像と一緒に奉納されたことがわかります。

書かれているのは3つの言語

神聖文字。当時は難解な文字であったが、ロゼッタストーンが解読されて以来比較的簡単に読めるようになった

ロゼッタストーンには以下の3つの文字が上から順に刻まれています。

  • 神聖文字(ヒエログリフ)
  • 民用文字(デモティック)
  • ギリシア文字

神聖文字とは、古代エジプトで使われていた文字です。主にその時代の知識層が使っていた言葉でした。それに対して、2番目に使われている民用文字は一般の民衆用にした簡単な書体のことです。

最後に刻まれているギリシア文字はその名の通り、ギリシアの文字です。なぜ他国の言葉が使われているのかというと、ロゼッタストーンが作られた当時、エジプトはギリシアの国の1部だったからです。

また、ロゼッタストーンが設置された場所はエジプト人だけでなく、ギリシア人も住んでいました。そういった理由もあってフランス軍が発見したロゼッタストーンにはギリシア文字も使われています。

ロゼッタストーンはなぜ作られたのか?

ロゼッタストーンは法令を広めるために作られた

内容についてはわかりましたが、そもそもなぜロゼッタストーンは作られたのでしょうか。その理由は2つあります。

  • エジプト歴代王朝の後継者として認められるため
  • 法令を民衆に広めるため

ロゼッタストーンは紀元前196年に作成された碑文で、あらゆる地域の神殿に建てられました。というのもプトレマイオス5世の功績と法令を国全体に知らしめる必要がありました。

プトレマイオス5世はもともとその地に住んでいた王族ではなく、外からやってきた王です。そのため、エジプト歴代王朝の後継者として認められるように、功績を広める必要がありました。碑文の内容も、古代エジプトの王たちに習って自らを神として崇めるようにといった内容があります。

次に法令ですが、こちらは想像がつくかと思います。せっかく法を作っても、国民全員に知ってもらい守ってもらわなければ意味がありません。各地にロゼッタストーン を設置したことも、3つの異なる文字を用いたことも、すべては知ってもらうためというのが大きな理由です。

今ならばインターネットや新聞、テレビがありますが古代エジプト時代にはそういった情報伝達手段がなかったため、石碑を用いる必要があったのです。

ロゼッタストーンの解読者は?

ロゼッタストーンは1799年に発見され、1822年にようやく解読されました。ギリシア語の解読は1803年に終了しましたが、民衆文字と神聖文字の解読には10年以上の歳月を要しました。そんな2つの文字を解読したのは2人の学者です。

トーマス・ヤング

トーマス・ヤング。物理学者で1800年からは医師として活動していた

トーマス・ヤングはイギリスの物理学者です。言語学者でもないトーマスがなぜ解読に加わっていたのかというと、理由は単純でロゼッタストーンの解読は一種のブームとなっていたからです。

ロゼッタストーンの解読には言語学者だけでなく他分野の人間も加わっており、トーマスもその1部でした。言語学者としてはアマチュアだったトーマスですが、彼は解読のきっかけとなる発見をします。

1814年に、トーマスは民衆文字の文章のなかに異国人の名前が発音通りにつづられているのを見つけました。この発見により、シャンポリオンはエジプトの古代文字を解読するきっかけを得ることができたのです。

ジャン・フランソワ・シャンポリオン

シャンポリオン。神聖文字の解読に成功し、古代エジプト学の父と呼ばれている

シャンポリオンはロゼッタストーンの解読に初めて成功した、フランスのエジプト学者です。シャンポリオンはロゼッタストーン解読当時、グルノーブル大学の教授として古代エジプトの研究を行っており、文化にも精通していました。

また、語学的な才能に優れており、アラビア語やコプト語(4世紀以降のエジプト語)など10以上の言語を習得しています。

トーマスとはライバルのような関係であり、互いを認めあっていました。神聖文字の解読にはトーマスの発見がきっかけとなっています。トーマスは物理学者で、言語学やエジプトについて詳しくありませんでした。そのため、異国人の名前を発音通りにつづっているのはわかったのですが、その先へと進めなかったのです。

対してシャポリオンは専門家であったため、トーマスの発見から考えを発展させることができました。シャンポリオンは、発音通りにつづられた言葉は異国人の名前だけでなく、エジプト語のつづりにも使われていることを発見します。

シャンポリオンはこの発見と、エジプトや言語についての豊富な知識により1822年に民衆文字とヒエログリフの解読に成功しました。

ロゼッタストーンは現在どこにある?

大英博物館

イギリス・ロンドンにある大英博物館。世界最大の博物館の1つで古今東西の遺物や美術品が展示されている

現在、ロゼッタストーンはイギリスの大英博物館にあります。

フランスが見つけたロゼッタストーンがイギリスにある理由は、1801年にアレクサンドリアでフランスがイギリスに負けたからです。当時のイギリスはロゼッタストーンの考古学的な価値に気づいており、フランスに勝利しロゼッタストーンの引き渡しを要求しました。

フランスはかなり渋りましたが、最終的にイギリスの手に渡ることとなります。なぜ、イギリスに所有権が移ったのか、正確な情報はありません。一説によればイギリスの将軍が、フランスの将軍からロゼッタストーンを直接奪い取り、大砲を乗せる荷車に乗せて運んだと言われています。

無事、ロンドンへと持ち込まれたロゼッタストーンはその翌年から大英博物館で一般公開されました。最初は少し角度をつけて、そのまま展示していましたが1847年になってケースの中に設置されるようになりました。

以降、ロゼッタストーンが大英博物館を離れたのは、戦争中を除けばルーブル美術館の1回しかありません。ロゼッタストーンは大英博物館の中で最も人気の展示物として、現在も公開されています。

エジプトへの返還要請

ロゼッタストーン発見の地ラシードに飾られたレプリカ

現在、イギリスが保管しているロゼッタストーンですが所有権について争いがおこっています。

当初はナポレオン戦争中にフランスからイギリスに所有権が移ったということで収まりましたが、2003年にエジプトが正当な所有者であることを指摘しました。

実際、発見されたのはエジプトなので指摘の内容は妥当だと世界的にも認められています。しかし、現在も大英博物館にあることからわかる通り、イギリスはエジプトへいまだにロゼッタストーンを返していません。

もともとエジプトにあったのだから返してあげましょうよ、と思うかもしれませんが、実はエジプトは正式な返還要請を出していません。それを理由に大英博物館は返還の姿勢を示していません。

大英博物館が返還する意思を見せないのには、他にも理由があります。大英博物館には、他にも他国の文化的遺産が展示されています。その代表がパルテノン神殿の彫刻群です。これについてもギリシャから返還するようにと声が挙がっているのですが、イギリスはこれを受け入れていません。

パルテノン神殿の彫刻群

なぜ大英博物館が頑ななまでに返還に応じないのかというと、以上のような返還要請に1回でも応じてしまえば、貯蔵している他国の文化財をすべて返さなければならなくなるからです。そうなってしまえば大英博物館は、今まで保っていた地位を失いかねません。

こういった事情があるため、ロゼッタストーンも当分の間、エジプトへ返還される予定はないでしょう。ここまで言うと大英博物館が他国の文化財を独占する悪者に見えます。しかし、大英博物館にあるからこそ、良い状態が保たれている文化財も多いです。

そのため、一概に悪いとも言えません。文化財の問題については、これからも議論が行われることは間違いないでしょう。

ロゼッタストーンに関するまとめ

ロゼッタストーンについて紹介しましたが、いかがでしたか?最後に簡単にまとめます。

  • ロゼッタストーンは1799年に発見された古代エジプトの石碑
  • 神聖文字・民衆文字・ギリシア文字で書かれている
  • プトレマイオス5世の功績と法令についての内容が記されている
  • 神聖文字と民衆文字はシャンポリオンによって解読され、トーマスは解読のきっかけを作った

記事の中では紹介しませんでしたが、日本のいくつかの博物館ではロゼッタストーンのレプリカが展示されています。もし興味がありましたら、1度訪れてみてはいかがでしょうか。

本記事がロゼッタストーンについて知る助けになれたのなら幸いです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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