ロゼッタストーンとは?意味や内容、解読者について詳しく紹介

ロゼッタストーンにはなにが書かれている?

内容はプトレマイオス5世の功績について

プトレマイオス5世が描かれた硬貨

ロゼッタストーンにはプトレマイオス5世の功績が書かれていました。プトレマイオス5世とは、紀元前304年から紀元前30年に存在したギリシャ系王朝の国王です。

ロゼッタストーンの内容は簡潔にまとめると前半が王の功績で、後半が法令となっています。

文章の内容について、日本語訳されたものを発見しましたので、一部引用します。興味のある方は読んでみてください。

父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした……不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した……祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。……神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした……

この引用文によるとプトレマイオス5世は、エジプト王の中で最も才能にあふれ、エジプトを豊かにしたと書かれています。そして、治世の9年目に法律を決め、ロゼッタストーンを各地に設置しました。

また、上記の文章からはかなり寛大な王であったことが伺えます。

まず、プトレマイオス5世は、国民全員が栄えるために自分の給金の一部を神殿と神殿に仕える人に分け与え、税を軽くしました。さらに、借金をしていた何人かの人を解放し、なんらかの罪により投獄されていた人や裁判を待っていた人に恩赦(一部の罪を軽くしたり、なかったことにすること)を与えています。

自分のお金を神殿に分け与えたり、国民のために借金をなかったことにしたりと民衆に尽くす王だったことがわかります。

プトレマイオス5世は古代のギリシア系王国の王族

上記の引用文には書かれていませんが、後半の法令は税について記されていました。内容は一部抜粋すると、王室の支払いを治世8年目にさかのぼって免除し、証明書発行手数料のみにするとあります。

さらに読んでいくと、王と神殿による祭礼について書かれており、最後は

この法令は硬い石碑に、聖なる文字と、人民用の文字とギリシア語とで刻まれ、第一、第二、第三(級)の神殿に、永遠に生きる王のそばに安置されるであろう

と締められています。この文から、ロゼッタストーンは各地の神殿に設置された石碑であり、神としての王の像と一緒に奉納されたことがわかります。

書かれているのは3つの言語

神聖文字。当時は難解な文字であったが、ロゼッタストーンが解読されて以来比較的簡単に読めるようになった

ロゼッタストーンには以下の3つの文字が上から順に刻まれています。

  • 神聖文字(ヒエログリフ)
  • 民用文字(デモティック)
  • ギリシア文字

神聖文字とは、古代エジプトで使われていた文字です。主にその時代の知識層が使っていた言葉でした。それに対して、2番目に使われている民用文字は一般の民衆用にした簡単な書体のことです。

最後に刻まれているギリシア文字はその名の通り、ギリシアの文字です。なぜ他国の言葉が使われているのかというと、ロゼッタストーンが作られた当時、エジプトはギリシアの国の1部だったからです。

また、ロゼッタストーンが設置された場所はエジプト人だけでなく、ギリシア人も住んでいました。そういった理由もあってフランス軍が発見したロゼッタストーンにはギリシア文字も使われています。

ロゼッタストーンはなぜ作られたのか?

ロゼッタストーンは法令を広めるために作られた

内容についてはわかりましたが、そもそもなぜロゼッタストーンは作られたのでしょうか。その理由は2つあります。

  • エジプト歴代王朝の後継者として認められるため
  • 法令を民衆に広めるため

ロゼッタストーンは紀元前196年に作成された碑文で、あらゆる地域の神殿に建てられました。というのもプトレマイオス5世の功績と法令を国全体に知らしめる必要がありました。

プトレマイオス5世はもともとその地に住んでいた王族ではなく、外からやってきた王です。そのため、エジプト歴代王朝の後継者として認められるように、功績を広める必要がありました。碑文の内容も、古代エジプトの王たちに習って自らを神として崇めるようにといった内容があります。

次に法令ですが、こちらは想像がつくかと思います。せっかく法を作っても、国民全員に知ってもらい守ってもらわなければ意味がありません。各地にロゼッタストーン を設置したことも、3つの異なる文字を用いたことも、すべては知ってもらうためというのが大きな理由です。

今ならばインターネットや新聞、テレビがありますが古代エジプト時代にはそういった情報伝達手段がなかったため、石碑を用いる必要があったのです。

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