ヴァレンシュタインとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や暗殺された理由も簡単に紹介】

数々の功績をあげるも皇帝への大逆罪に問われ暗殺される

大逆罪に問われエーガーの居城で暗殺されるヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインは最期皇帝への大逆罪に問われ暗殺されます。皇帝にとってこれ以上ない優秀な傭兵隊長も実力があるゆえに脅威の存在となってしまいました。

軍事費を維持するためにつくった軍税制度への周囲からの反感とスウェーデン軍との和解を秘密裏に勧めていたのを皇帝への大逆と受け取られ、暗殺されることとなったヴァレンシュタインは歴史上では「皇帝にいいように使われた傭兵」と言われる側面もあったようですね。

ヴァレンシュタインの功績

功績1「プロテスタントの反乱を鎮圧に貢献しボヘミア有数の大貴族になる」

プロテスタントの反乱鎮圧に貢献し領主フリーラント公になるヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインはボヘミアでプロテスタントが起こした反乱の鎮圧に貢献、鎮圧で得たプロテスタントの領地を売買し資金を増やすと、当時軍資金不足だった皇帝に資金と私兵を提供します。皇帝は功績を称えヴァレンシュタインを北ボヘミア領主フリーラント公に任命、ヴァレンシュタインはボヘミアの有力貴族に成りあがりました。

功績2「軍税制度を考案し常備軍の基盤をつくる」

ヴァレンシュタインが考案した軍税制度

当時の軍は傭兵の略奪を主な収入にして活動してたため、収入が安定せず大規模な傭兵軍を維持できずにいました。そこでヴァレンシュタインは軍へ継続的に安定したお金が入るよう軍税制度を考案します。

これまで行っていた領民への略奪をなくす代わりに、民衆は政府に税金を払い政府はその税金から軍にお金を渡す仕組みです。軍には継続的に安定したお金が入るようになり大規模な傭兵軍の維持を可能にした軍税制度は後に定着する常備軍の先駆けになりました。

功績3「リュッツェンの戦いで北方の獅子王とうたわれたスウェーデン王グスタフ=アドルフを討伐 」

リュッツェンの戦い

プロテスタント教とカトリック教の宗教対立から勃発した30年戦争において、神聖ローマ帝国軍のヴァレンシュタインがリュッツェンでプロテスタント連合軍率いるスウェーデン王グスタフ=アドルフと対峙した戦い。名将同士の戦いは巧みな駆け引きと激しい攻防戦になります。

ヴァレンシュタインは以前のように自らが鍛えた軍ではなく既成の皇帝軍で出陣したため苦戦を強いられましたが、北方の獅子王グスタフ=アドルフの討伐を果たしました。

ヴァレンシュタインの名言

諸君見たまえ!あれぞ我らがパッペンハイムである

リュッツェンの戦いにてヴァレンシュタイン率いる皇帝軍はスウェーデン軍におされ苦戦を強いられます。そんな中パッペンハイム率いる騎兵隊が増援に駆けつけた際に戦場兵士の士気を高めるため叫んだ言葉です。

ヴァレンシュタインにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「3万もの傭兵部隊を指揮しプロテスタントを迎撃した名将」

ヴァレンシュタインは3万もの傭兵部隊を自前で創設し戦に挑んだ

ヴァレンシュタインは戦に必要な資金や私兵を自分でつくり名をあげました。戦の度に敵の領土を没収・売買して資産を増やしその資産で傭兵を募り軍を創設、皇帝に軍資金と私兵を提供し地位を高めたわけです。

後にヴァレンシュタインは3万もの傭兵の集う軍隊を統率、大軍を維持するために軍税制度を考案するなど強く賢いまさに名将と呼ばれる人物です。

都市伝説・武勇伝2「麗しきヴァレンシュタイン宮殿の建造」

1630年頃プラハ城に対抗してつくられたヴァレンシュタイン宮殿

生前ヴァレンシュタインは築いた富で宮殿を建設、それがプラハにあるヴァレンシュタイン宮殿です。戦時中には軍事にお金を使うのが常でしたが、自らお金を生み出せるヴァレンシュタインに宮殿の建設は造作もなかったのかもしれません。

もちろん宮殿の建設によりヴァレンシュタインへの批判や反感はさらに高まりますが、プラハの歴史的建造物として国民や観光客に人気の高い高貴な宮殿です。

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