ヴァレンシュタインとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や暗殺された理由も簡単に紹介】

ヴァレンシュタインの生涯年表

英雄ヴァレンシュタイン
出典:Wikipedia

1583年 – 0歳「ヴァレンシュタイン誕生」

ヴァレンシュタインは宗教対立が激化する神聖ローマ帝国期に生まれる

ヴァレンシュタインが生まれた16世紀後期はカトリックとプロテスタントの2つの宗派が激しく対立する宗教戦争期でした。ドイツ系プロテスタントの小貴族に生まれたヴァレンシュタインは正当に家を継ぐはずでしたがイタリアへ遊学するためカトリックへ改宗します。

本来改宗は人生の進路を大きく変えるほどの決断です。激しい宗教対立期での改宗にいたっては稀に見る行為、好奇心旺盛なヴァレンシュタインの改宗はそれだけ前例を見ないものでした。結果として改宗が功績の数々をあげるきっかけになるとは当時のヴァレンシュタインには知る由もなかったでしょう。

1618年 – 35歳「戦果をあげ貧乏貴族から有力貴族の仲間入りを果たす」

神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の即位による30年戦争の幕開けとプロテスタントの反乱鎮圧

ヴァレンシュタインはプロテスタントの反乱を神聖ローマ皇帝フェルナンド2世に味方し鎮圧

1617年カトリック信者のフェルディナント2世がボヘミア王に即位し領地ボヘミアをカトリックに染めようとプロテスタントの弾圧に踏み切り宗教対立は激化、人類史上最も過激な紛争の一つである30年戦争の幕が開けます。ちなみにこの30年戦争はカトリックとプロテスタントの宗教対立が始まりでしたが戦乱が広がり最終的にはヨーロッパ全体を巻き込む戦争へと発展しました。

またヴァレンシュタインにとって30年戦争は功績をあげ有力貴族の仲間入りを果たす好機でした。翌1618年ヴァレンシュタインは神聖ローマ皇帝フェルナンド2世を援護しプロテスタントの反乱鎮圧に貢献し功績としてプロテスタントの領土を得ます。また得た領土を売買し富を築くと自軍を創設するため私兵を募ります。こうしてヴァレンシュタインは戦で得た戦果を巧みに活用し出世への力を蓄えていきました。

1623年 – 40歳「北ボヘミアの領主フリーラント公に任命される」

フェルナンド2世の側近カール・フォン・ハラハの娘エリーザベトと結婚

宮廷女性と結婚し皇族との足掛かりを築くヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインは1620年~1623年にかけて軍事費の調達に困っていた皇帝に功績で得た領土を使って増やした資産と募った私兵を提供、皇帝から功績を称え北ボヘミア領主フリーラント公に任命され有力貴族に成りあがります。またボヘミア王フェルナンド2世の側近カール・フォン・ハラハの娘エリーザベトとの婚約も果たしまさにエリート街道をまっしぐらに駆け抜けていきました。

1625年 – 42歳「皇帝軍総司令官・メクレンブルク公の地位を授けられる」

3万もの軍勢を束ね北ドイツデッサウの地でプロテスタント軍を一掃

1625年自ら育て上げた傭兵軍が認められ皇帝軍総司令官に任命されたヴァレンシュタインは3万もの自軍と共に北ドイツへ出兵しデッサウの地でプロテスタントのエルンスト・フォン・マンスフェルト軍を討伐します。総司令官としてプロテスタント軍を一掃した功績を認められメクレンブルグ公の地位を授けられたヴァレンシュタインは才を発揮し力と権威を増していきます。

ヴァレンシュタインが戦地で功績を上げる一方ボヘミアの領主や皇族は彼が導入した軍税制度へ不満や貧乏貴族から成りあがった嫉妬から反感を募らせ、フェルディナント2世にたびたび抗議をしていました。

1629年 – 46歳「ヴァレンシュタインの権威絶頂期と没落」

リューベックで神聖ローマ皇帝とデンマーク軍は和平交渉を結ぶ

リューベック和約の成立でヴァレンシュタインの権威は絶頂となるが企てが失敗し地位をはく奪される

ヴァレンシュタイ率いる皇帝軍は1628年ヴォルガストの戦で30年戦争に参戦したデンマーク軍を破ると翌1629年に神聖ローマ皇帝とデンマークの間でリューベックの和約が成立、デンマーク軍をドイツから追い出すのに成功します。このあたりから際立って反乱を起こすプロテスタントはいなくなりフェルディナント2世とヴァレンシュタインの権威は絶頂期を迎えます。

しかしその後フェルディナント2世がハプスブルグ家の絶対権力確立を画策し復旧令を出すとカトリック・プロテスタント双方から非難を浴び立場が危うくなると、1630年弁明としてヴァレンシュタインの地位をはく奪ヴァレンシュタインはフリーラントへ戻ることになります。

1630年 – 47歳「ヴァレンシュタイン復活」

皇帝軍の窮地にヴァレンシュタインは復職しリュッツェンの戦いにてスウェーデン王グスタフ=アドルフを討伐する

ヴァレンシュタイン率いる皇帝軍がスウェーデン王グスタフ=アドルフを戦死させたリュッツェンの戦い

1630年皇帝軍はブライテンフェルトの戦いで30年戦争に参戦した北方の獅子王グスタフ=アドルフ率いるスウェーデン軍に大敗し軍は後退、皇帝軍のピンチに呼び出されたヴァレンシュタインは復帰を果たすとリュッツェンの地でグスタフ=アドルフを戦死に追いやりスウェーデン軍の戦力に痛手を負わせます。結果として皇帝軍は撤退を余儀なくされますが自前の軍に劣る既成の軍を指揮しながら戦果をあげたヴァレンシュタインは復活を確かなものにします。

1634年 – 50歳「エーガーの居城でヴァレンシュタインは暗殺され命を落とす」

ヴァレンシュタインはスウェーデン軍との和平交渉を独断で結ぼうとしたことで皇帝への反逆罪に問われる

皇帝への反逆罪に問われ暗殺されたヴァレンシュタイン

リュッツェンの戦い後ヴァレンシュタインは独自にスウェーデン軍との和平交渉を結ぼうと暗躍します。しかし才気あるヴァレンシュタインの行動は皇帝から反逆を疑われ罪に問われてしまいます。有能なヴァレンシュタインは皇帝にとって後の脅威になると判断されたのです。

1634年2月エーガーの居城で皇帝の命を受けた将校らによってヴァレンシュタインは暗殺され英雄としての生涯を終えました。

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ヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインの生涯最期の3日間を描いた作品。物語の構成や心理描写がとても上手でヴァレンシュタインの人生に入り込んでいるかのようでした。30年戦争やヴァレンシュタインについて事前に知識を入れておくと一層深みの増す作品だと思います。

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ゆっくりと見る最強の傭兵隊長【ヴァレンシュタイン】

ヴァレンシュタインの功績や偉業を踏まえた生涯を理解できる作品。会話調で進んでいくので話を飲み込みやすかった。ヴァレンシュタインの生涯にまつわる30年戦争などの時代背景も理解できる一石二鳥の動画。

ヴァレンシュタインについてのまとめ

貧乏貴族に生まれながら有力貴族にまで成りあがり皇帝から脅威的な存在だと恐れられるほどの天賦の才を有したヴァレンシュタインはまさに英雄と呼ばれるにふさわしい人物だったのでしょう。違う時代違う地で生まれていればより気高く崇高な英雄として歴史に名を残していたかもしれません。

暗殺された最期から「出る杭は打たれる」という言葉が連想されがちですが、ヴァレンシュタインの生涯は悲劇などではなく特異な才能で歴史に残る功績と偉業を成り遂げた英雄の物語だったのです。

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