「ヴァレンシュタインってどんな人なの?」
「ヴァレンシュタインが何を成し遂げた人なのか知りたい!」
「ヴァレンシュタインはどうして暗殺されたの?」
ヴァレンシュタインは、神聖ローマ帝国の皇帝フェルナンド2世に仕えた傭兵隊長です。「30年戦争の英雄」という通称で知られ、史上最大の傭兵隊長ともうたわれています。
貧乏貴族の家に生まれながら数々の戦で名声と功績をあげ、軍税を収入源とした軍事制度を仕組み化するなど、持ち前の知力を政治・軍事・経営の分野で発揮し、高貴な地位と資産を手にしました。当時の名声と活躍から「ヴァレンシュタイン」という名がアニメのキャラクター名にも使われ、知名度を高めています。そういえば「ヴァレンシュタイン」と名のつくアニメキャラクターは英雄高い剣士や戦士ばかりですよね。
とはいえヴァレンシュタインという名前は知っていても、英雄と呼ばれるまでの道のりや功績を暗殺理由など疑問やわからないこともあるはず。そこで今回の記事では英雄と呼ばれた傭兵隊長ヴァレンシュタインの生涯について解説します。
ヴァレンシュタインの生き方に憧れ魅了された筆者と共に英雄の功罪に迫っていきましょう。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ヴァレンシュタインとはどんな人物か
名前 | アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン |
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誕生日 | 1583年9月24日 |
没日 | 1634年2月 |
生地 | ボヘミア |
没地 | エーガーの居城 |
配偶者 | 裕福な未亡人、エリーザベト |
ヴァレンシュタインの生涯をハイライト
ヴァレンシュタインは16世紀後期にボヘミアの小貴族の家で生まれました。好奇心盛んで一度決めたら即行動がモットーのヴァレンシュタインは、宗教改革の最中カトリックへ改宗しイタリアへ遊学するも暴力事件に巻き込まれ退学させられます。
ボヘミアへ帰国後は傭兵としてハプスブルグ家に仕え、モラヴィアに広大な土地を持つ裕福な未亡人と結婚しますが妻ははやくに死去。ヴァレンシュタインは遺産を元手に土地などへ投資し増やした資産で傭兵を募り軍を創設していきます。
17世紀初期、カトリックと対立していたプロテスタントの反乱をしずめ獲得した領土を売買し富を築いたヴァレンシュタインは、築いた富で神聖ローマ皇帝に資金と私兵を提供し北ボヘミアのフリートラント公に、また皇帝親族にあたるエリザベートを妻に迎え皇帝軍総司令官に任命されます。こうしてヴァレンシュタインは宮廷への足がかりを築きボヘミアの有力貴族に成りあがりました。
ヴァレンシュタインは出陣するたびに連戦連勝の功績をあげますが、彼の圧倒的実力は味方の貴族にとっても一種の脅威として受け止められていました。また以前からヴァレンシュタインのスピード出世に非難や反感を募らせていた貴族たちはヴァレンシュタインの地位に抗議、結果としてヴァレンシュタインは地位を剥奪されてしまいます。
しかし30年戦争リュッツェンの戦いにて皇帝軍が不利になったためヴァレンシュタインは総司令官に復帰、スウェーデン王グスタフ=アドルフの討伐に成功します。戦で功績を挙げ復帰するかに思えたヴァレンシュタインでしたが、皇帝側は彼の持つ驚異的な才が後の脅威になると判断、ヴァレンシュタインが勝手に進めていた和平交渉を口実に彼を反逆罪に問います。その夜エーガーの居城で休んでいたヴァレンシュタインは皇帝軍所属の将校に暗殺され命を落としました。
ボヘミアの貧乏貴族の家に生まれる
後高い地位を獲得し大貴族へ大成するヴァレンシュタインですが、元々はボヘミアのドイツ系プロテスタントの小貴族の家に生まれます。大貴族とはいえない貧乏貴族として生活をしていたわけです。
モラヴィアに広大な土地を持つ裕福な女性を結婚相手に選んでいたことやお金に関する知力に優れ合理的な軍税制度を築いたのも、貧乏貴族としての生まれが大きな原動力となっていたのでしょう。
好奇心と行動力ある喧嘩早い気性の持ち主
ヴァレンシュタインは喧嘩早い気性の持ち主だったと言われています。プロテスタントからカトリックにわざわざ改宗しイタリアのパドヴァ大学へ遊学していることからも行動力の高さがうかがえます。
また、せっかく改宗し遊学中の大学で暴力事件に巻き込まれた結果退学されられたことからも喧嘩早い気性の持ち主だったようです。