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ヴァレンシュタインとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や暗殺された理由も簡単に紹介】

「ヴァレンシュタインってどんな人なの?」
「ヴァレンシュタインが何を成し遂げた人なのか知りたい!」
「ヴァレンシュタインはどうして暗殺されたの?」

ヴァレンシュタインは、神聖ローマ帝国の皇帝フェルナンド2世に仕えた傭兵隊長です。「30年戦争の英雄」という通称で知られ、史上最大の傭兵隊長ともうたわれています。

貧乏貴族の家に生まれながら数々の戦で名声と功績をあげ、軍税を収入源とした軍事制度を仕組み化するなど、持ち前の知力を政治・軍事・経営の分野で発揮し、高貴な地位と資産を手にしました。当時の名声と活躍から「ヴァレンシュタイン」という名がアニメのキャラクター名にも使われ、知名度を高めています。そういえば「ヴァレンシュタイン」と名のつくアニメキャラクターは英雄高い剣士や戦士ばかりですよね。

史上最大の傭兵隊長アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン

とはいえヴァレンシュタインという名前は知っていても、英雄と呼ばれるまでの道のりや功績を暗殺理由など疑問やわからないこともあるはず。そこで今回の記事では英雄と呼ばれた傭兵隊長ヴァレンシュタインの生涯について解説します。

ヴァレンシュタインの生き方に憧れ魅了された筆者と共に英雄の功罪に迫っていきましょう。

ヴァレンシュタインとはどんな人物か

名前アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン
誕生日1583年9月24日
没日1634年2月
生地ボヘミア
没地エーガーの居城
配偶者裕福な未亡人、エリーザベト

ヴァレンシュタインの生涯をハイライト

ヴァレンシュタインの生涯

ヴァレンシュタインは16世紀後期にボヘミアの小貴族の家で生まれました。好奇心盛んで一度決めたら即行動がモットーのヴァレンシュタインは、宗教改革の最中カトリックへ改宗しイタリアへ遊学するも暴力事件に巻き込まれ退学させられます。

ボヘミアへ帰国後は傭兵としてハプスブルグ家に仕え、モラヴィアに広大な土地を持つ裕福な未亡人と結婚しますが妻ははやくに死去。ヴァレンシュタインは遺産を元手に土地などへ投資し増やした資産で傭兵を募り軍を創設していきます。

1618年~1648年に宗教対立から勃発した30年戦争

17世紀初期、カトリックと対立していたプロテスタントの反乱をしずめ獲得した領土を売買し富を築いたヴァレンシュタインは、築いた富で神聖ローマ皇帝に資金と私兵を提供し北ボヘミアのフリートラント公に、また皇帝親族にあたるエリザベートを妻に迎え皇帝軍総司令官に任命されます。こうしてヴァレンシュタインは宮廷への足がかりを築きボヘミアの有力貴族に成りあがりました。

ヴァレンシュタインは出陣するたびに連戦連勝の功績をあげますが、彼の圧倒的実力は味方の貴族にとっても一種の脅威として受け止められていました。また以前からヴァレンシュタインのスピード出世に非難や反感を募らせていた貴族たちはヴァレンシュタインの地位に抗議、結果としてヴァレンシュタインは地位を剥奪されてしまいます。

しかし30年戦争リュッツェンの戦いにて皇帝軍が不利になったためヴァレンシュタインは総司令官に復帰、スウェーデン王グスタフ=アドルフの討伐に成功します。戦で功績を挙げ復帰するかに思えたヴァレンシュタインでしたが、皇帝側は彼の持つ驚異的な才が後の脅威になると判断、ヴァレンシュタインが勝手に進めていた和平交渉を口実に彼を反逆罪に問います。その夜エーガーの居城で休んでいたヴァレンシュタインは皇帝軍所属の将校に暗殺され命を落としました。

ボヘミアの貧乏貴族の家に生まれる

元々はボヘミアの貧乏貴族の家に生まれたヴァレンシュタイン

後高い地位を獲得し大貴族へ大成するヴァレンシュタインですが、元々はボヘミアのドイツ系プロテスタントの小貴族の家に生まれます。大貴族とはいえない貧乏貴族として生活をしていたわけです。

モラヴィアに広大な土地を持つ裕福な女性を結婚相手に選んでいたことやお金に関する知力に優れ合理的な軍税制度を築いたのも、貧乏貴族としての生まれが大きな原動力となっていたのでしょう。

好奇心と行動力ある喧嘩早い気性の持ち主

喧嘩早い気性の持っていたヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインは喧嘩早い気性の持ち主だったと言われています。プロテスタントからカトリックにわざわざ改宗しイタリアのパドヴァ大学へ遊学していることからも行動力の高さがうかがえます。

また、せっかく改宗し遊学中の大学で暴力事件に巻き込まれた結果退学されられたことからも喧嘩早い気性の持ち主だったようです。

数々の功績をあげるも皇帝への大逆罪に問われ暗殺される

大逆罪に問われエーガーの居城で暗殺されるヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインは最期皇帝への大逆罪に問われ暗殺されます。皇帝にとってこれ以上ない優秀な傭兵隊長も実力があるゆえに脅威の存在となってしまいました。

軍事費を維持するためにつくった軍税制度への周囲からの反感とスウェーデン軍との和解を秘密裏に勧めていたのを皇帝への大逆と受け取られ、暗殺されることとなったヴァレンシュタインは歴史上では「皇帝にいいように使われた傭兵」と言われる側面もあったようですね。

ヴァレンシュタインの功績

功績1「プロテスタントの反乱を鎮圧に貢献しボヘミア有数の大貴族になる」

プロテスタントの反乱鎮圧に貢献し領主フリーラント公になるヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインはボヘミアでプロテスタントが起こした反乱の鎮圧に貢献、鎮圧で得たプロテスタントの領地を売買し資金を増やすと、当時軍資金不足だった皇帝に資金と私兵を提供します。皇帝は功績を称えヴァレンシュタインを北ボヘミア領主フリーラント公に任命、ヴァレンシュタインはボヘミアの有力貴族に成りあがりました。

功績2「軍税制度を考案し常備軍の基盤をつくる」

ヴァレンシュタインが考案した軍税制度

当時の軍は傭兵の略奪を主な収入にして活動してたため、収入が安定せず大規模な傭兵軍を維持できずにいました。そこでヴァレンシュタインは軍へ継続的に安定したお金が入るよう軍税制度を考案します。

これまで行っていた領民への略奪をなくす代わりに、民衆は政府に税金を払い政府はその税金から軍にお金を渡す仕組みです。軍には継続的に安定したお金が入るようになり大規模な傭兵軍の維持を可能にした軍税制度は後に定着する常備軍の先駆けになりました。

功績3「リュッツェンの戦いで北方の獅子王とうたわれたスウェーデン王グスタフ=アドルフを討伐 」

リュッツェンの戦い

プロテスタント教とカトリック教の宗教対立から勃発した30年戦争において、神聖ローマ帝国軍のヴァレンシュタインがリュッツェンでプロテスタント連合軍率いるスウェーデン王グスタフ=アドルフと対峙した戦い。名将同士の戦いは巧みな駆け引きと激しい攻防戦になります。

ヴァレンシュタインは以前のように自らが鍛えた軍ではなく既成の皇帝軍で出陣したため苦戦を強いられましたが、北方の獅子王グスタフ=アドルフの討伐を果たしました。

ヴァレンシュタインの名言

諸君見たまえ!あれぞ我らがパッペンハイムである

リュッツェンの戦いにてヴァレンシュタイン率いる皇帝軍はスウェーデン軍におされ苦戦を強いられます。そんな中パッペンハイム率いる騎兵隊が増援に駆けつけた際に戦場兵士の士気を高めるため叫んだ言葉です。

ヴァレンシュタインにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「3万もの傭兵部隊を指揮しプロテスタントを迎撃した名将」

ヴァレンシュタインは3万もの傭兵部隊を自前で創設し戦に挑んだ

ヴァレンシュタインは戦に必要な資金や私兵を自分でつくり名をあげました。戦の度に敵の領土を没収・売買して資産を増やしその資産で傭兵を募り軍を創設、皇帝に軍資金と私兵を提供し地位を高めたわけです。

後にヴァレンシュタインは3万もの傭兵の集う軍隊を統率、大軍を維持するために軍税制度を考案するなど強く賢いまさに名将と呼ばれる人物です。

都市伝説・武勇伝2「麗しきヴァレンシュタイン宮殿の建造」

1630年頃プラハ城に対抗してつくられたヴァレンシュタイン宮殿

生前ヴァレンシュタインは築いた富で宮殿を建設、それがプラハにあるヴァレンシュタイン宮殿です。戦時中には軍事にお金を使うのが常でしたが、自らお金を生み出せるヴァレンシュタインに宮殿の建設は造作もなかったのかもしれません。

もちろん宮殿の建設によりヴァレンシュタインへの批判や反感はさらに高まりますが、プラハの歴史的建造物として国民や観光客に人気の高い高貴な宮殿です。

ヴァレンシュタインの生涯年表

英雄ヴァレンシュタイン

1583年 – 0歳「ヴァレンシュタイン誕生」

ヴァレンシュタインは宗教対立が激化する神聖ローマ帝国期に生まれる

ヴァレンシュタインが生まれた16世紀後期はカトリックとプロテスタントの2つの宗派が激しく対立する宗教戦争期でした。ドイツ系プロテスタントの小貴族に生まれたヴァレンシュタインは正当に家を継ぐはずでしたがイタリアへ遊学するためカトリックへ改宗します。

本来改宗は人生の進路を大きく変えるほどの決断です。激しい宗教対立期での改宗にいたっては稀に見る行為、好奇心旺盛なヴァレンシュタインの改宗はそれだけ前例を見ないものでした。結果として改宗が功績の数々をあげるきっかけになるとは当時のヴァレンシュタインには知る由もなかったでしょう。

1618年 – 35歳「戦果をあげ貧乏貴族から有力貴族の仲間入りを果たす」

神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の即位による30年戦争の幕開けとプロテスタントの反乱鎮圧

ヴァレンシュタインはプロテスタントの反乱を神聖ローマ皇帝フェルナンド2世に味方し鎮圧

1617年カトリック信者のフェルディナント2世がボヘミア王に即位し領地ボヘミアをカトリックに染めようとプロテスタントの弾圧に踏み切り宗教対立は激化、人類史上最も過激な紛争の一つである30年戦争の幕が開けます。ちなみにこの30年戦争はカトリックとプロテスタントの宗教対立が始まりでしたが戦乱が広がり最終的にはヨーロッパ全体を巻き込む戦争へと発展しました。

またヴァレンシュタインにとって30年戦争は功績をあげ有力貴族の仲間入りを果たす好機でした。翌1618年ヴァレンシュタインは神聖ローマ皇帝フェルナンド2世を援護しプロテスタントの反乱鎮圧に貢献し功績としてプロテスタントの領土を得ます。また得た領土を売買し富を築くと自軍を創設するため私兵を募ります。こうしてヴァレンシュタインは戦で得た戦果を巧みに活用し出世への力を蓄えていきました。

1623年 – 40歳「北ボヘミアの領主フリーラント公に任命される」

フェルナンド2世の側近カール・フォン・ハラハの娘エリーザベトと結婚

宮廷女性と結婚し皇族との足掛かりを築くヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインは1620年~1623年にかけて軍事費の調達に困っていた皇帝に功績で得た領土を使って増やした資産と募った私兵を提供、皇帝から功績を称え北ボヘミア領主フリーラント公に任命され有力貴族に成りあがります。またボヘミア王フェルナンド2世の側近カール・フォン・ハラハの娘エリーザベトとの婚約も果たしまさにエリート街道をまっしぐらに駆け抜けていきました。

1625年 – 42歳「皇帝軍総司令官・メクレンブルク公の地位を授けられる」

3万もの軍勢を束ね北ドイツデッサウの地でプロテスタント軍を一掃

1625年自ら育て上げた傭兵軍が認められ皇帝軍総司令官に任命されたヴァレンシュタインは3万もの自軍と共に北ドイツへ出兵しデッサウの地でプロテスタントのエルンスト・フォン・マンスフェルト軍を討伐します。総司令官としてプロテスタント軍を一掃した功績を認められメクレンブルグ公の地位を授けられたヴァレンシュタインは才を発揮し力と権威を増していきます。

ヴァレンシュタインが戦地で功績を上げる一方ボヘミアの領主や皇族は彼が導入した軍税制度へ不満や貧乏貴族から成りあがった嫉妬から反感を募らせ、フェルディナント2世にたびたび抗議をしていました。

1629年 – 46歳「ヴァレンシュタインの権威絶頂期と没落」

リューベックで神聖ローマ皇帝とデンマーク軍は和平交渉を結ぶ

リューベック和約の成立でヴァレンシュタインの権威は絶頂となるが企てが失敗し地位をはく奪される

ヴァレンシュタイ率いる皇帝軍は1628年ヴォルガストの戦で30年戦争に参戦したデンマーク軍を破ると翌1629年に神聖ローマ皇帝とデンマークの間でリューベックの和約が成立、デンマーク軍をドイツから追い出すのに成功します。このあたりから際立って反乱を起こすプロテスタントはいなくなりフェルディナント2世とヴァレンシュタインの権威は絶頂期を迎えます。

しかしその後フェルディナント2世がハプスブルグ家の絶対権力確立を画策し復旧令を出すとカトリック・プロテスタント双方から非難を浴び立場が危うくなると、1630年弁明としてヴァレンシュタインの地位をはく奪ヴァレンシュタインはフリーラントへ戻ることになります。

1630年 – 47歳「ヴァレンシュタイン復活」

皇帝軍の窮地にヴァレンシュタインは復職しリュッツェンの戦いにてスウェーデン王グスタフ=アドルフを討伐する

ヴァレンシュタイン率いる皇帝軍がスウェーデン王グスタフ=アドルフを戦死させたリュッツェンの戦い

1630年皇帝軍はブライテンフェルトの戦いで30年戦争に参戦した北方の獅子王グスタフ=アドルフ率いるスウェーデン軍に大敗し軍は後退、皇帝軍のピンチに呼び出されたヴァレンシュタインは復帰を果たすとリュッツェンの地でグスタフ=アドルフを戦死に追いやりスウェーデン軍の戦力に痛手を負わせます。結果として皇帝軍は撤退を余儀なくされますが自前の軍に劣る既成の軍を指揮しながら戦果をあげたヴァレンシュタインは復活を確かなものにします。

1634年 – 50歳「エーガーの居城でヴァレンシュタインは暗殺され命を落とす」

ヴァレンシュタインはスウェーデン軍との和平交渉を独断で結ぼうとしたことで皇帝への反逆罪に問われる

皇帝への反逆罪に問われ暗殺されたヴァレンシュタイン

リュッツェンの戦い後ヴァレンシュタインは独自にスウェーデン軍との和平交渉を結ぼうと暗躍します。しかし才気あるヴァレンシュタインの行動は皇帝から反逆を疑われ罪に問われてしまいます。有能なヴァレンシュタインは皇帝にとって後の脅威になると判断されたのです。

1634年2月エーガーの居城で皇帝の命を受けた将校らによってヴァレンシュタインは暗殺され英雄としての生涯を終えました。

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ヴァレンシュタイン

ヴァレンシュタインの生涯最期の3日間を描いた作品。物語の構成や心理描写がとても上手でヴァレンシュタインの人生に入り込んでいるかのようでした。30年戦争やヴァレンシュタインについて事前に知識を入れておくと一層深みの増す作品だと思います。

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ヴァレンシュタインの功績や偉業を踏まえた生涯を理解できる作品。会話調で進んでいくので話を飲み込みやすかった。ヴァレンシュタインの生涯にまつわる30年戦争などの時代背景も理解できる一石二鳥の動画。

ヴァレンシュタインについてのまとめ

貧乏貴族に生まれながら有力貴族にまで成りあがり皇帝から脅威的な存在だと恐れられるほどの天賦の才を有したヴァレンシュタインはまさに英雄と呼ばれるにふさわしい人物だったのでしょう。違う時代違う地で生まれていればより気高く崇高な英雄として歴史に名を残していたかもしれません。

暗殺された最期から「出る杭は打たれる」という言葉が連想されがちですが、ヴァレンシュタインの生涯は悲劇などではなく特異な才能で歴史に残る功績と偉業を成り遂げた英雄の物語だったのです。

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