「ウォーターゲート事件って何?」
「ディープ・スロートって誰だったの?」
「ウォーターゲート事件の映画が見たい!」
ベトナム戦争が終結する直前の1972年にアメリカ合衆国で歴史に残る政治スキャンダルが起こりました。「ウォーターゲート事件」と呼ばれたこの事件は、アメリカの歴史上初めて大統領が任期中に辞任するという事態を招きます。
関わった多くの人々の人生を左右したウォーターゲート事件は、新しい法律が施行されるきっかけになるなど後々の政治の在り方にも大きな影響を与えました。
この記事ではそんなウォーターゲート事件の経緯を出来るだけわかりやすく解説しつつ、影響や事件を扱った作品なども紹介したいと思います。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ウォーターゲート事件とは何だったのか?
事件の概要と真相
1972年の6月17日、5人の男たちがワシントンD.C.にある民主党本部に不法侵入したことからウォーターゲート事件は幕を開けました。あっけなく捕まった侵入犯でしたが、彼らの身元が当時のアメリカ大統領だったニクソン大統領の関係者だと判明します。
ホワイトハウスが事件への関与を全面否認したためお粗末なコソ泥事件として収束に向かうと思われましたが、犯人のうちの一人の爆弾発言によりニクソン政権が事件に大きく関わっていたことが暴露されました。
その後、ホワイトハウスによる隠ぺい工作や捜査妨害の発覚、証拠となるテープをニクソン大統領が提出を拒否し続けたことなどにより世間の批判を集めることになります。そして「土曜日の夜の虐殺」と呼ばれる出来事が決定打となり、ニクソン大統領の支持率は急速に落ち込みました。
下院司法委員会でニクソン大統領の弾劾が評決され弾劾は時間の問題かと思われましたが、1974年8月8日にニクソン大統領はテレビ演説で辞任の意思を国民に伝え、翌8月9日に辞任しましたことでウォーターゲート事件は終結しました。
当時の時代背景
ウォーターゲート事件が起こった1972年はアジア初の冬季オリンピックが札幌で開催され、 連合赤軍による「あさま山荘事件」が起こった年でした。また第二次世界大戦時にアメリカに奪われていた沖縄が日本に返還され沖縄県が誕生した年でもあります。
世界では1960年代中ごろから始まったベトナム戦争が終盤に差し掛かっていました。1973年にはパリ協定によってベトナムに派遣されていたアメリカ兵たちが撤退しています。
事件はウォーターゲート・ビルで起こる
侵入事件が起こった民主党本部はワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにありました。1972年当時のウォーターゲート・ビルは高級分譲マンションとして有名で、一部屋の価格は現在の貨幣価値に直すと約9800万円にものぼりました。
そんな高級マンションだったため政治に関係のある人物も多く入居していたといいます。住人たちのためにレストランや診療所、フィットネスクラブなどあらゆる設備が揃えられた複合施設でもあり、事件時に犯人たちも利用していたホテルも併設されていました。
事件後ウォーターゲート・ビルは長らく閉鎖されていましたが、2016年に新しくホテルとオフィス、居住区画からなる複合施設としてリニューアルオープンを果たしました。ホテルの電話番号は事件が起こった日時にちなんで「617-1972」となっています。