【年表付】夏井いつきとはどんな人?俳句や若い頃、家族について紹介

夏井いつきにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「一人三役(父・母・娘)をこなした」

多忙すぎて弁当の味付けを忘れることもあった

今ではテレビに句会ライブと引っ張りだこないつきさんですが、苦しい時期もありました。

家庭の事情によって教師をやめ、俳人として活動を開始したのですが仕事が安定する前に離婚。収入が激減してしまいます。しかも病気の実母や子どもの面倒も見なければなりません。父として稼ぎ、母として子どもを養い、娘として母の介護をいっぺんにやるという一人三役の多忙さです。

収入に関しては、俳都の性質を持つ松山に救われ、俳句の仕事がちょっとずつ入るようになり、なんとか苦しい時期を乗り越えたいつきさん。それはもう想像を絶する忙しさだったのではないでしょうか。仕事も家庭もなんとか両立させたいつきさんの意志の強さには尊敬しかありません。

都市伝説・武勇伝2「子供たちの駆け込み寺『御幸ハウス』」

御幸ハウスには最大3人の子どもが住んでいた

いつきさんは一時期、松山の自宅(通称御幸ハウス)に家庭のトラブルを抱える子供たちを住まわせていました。

いつきさん自身、娘の不登校で悩んだ経験があったため、子どもの顔を見ただけでこれはいけないと察してしまったそうです。いつきさんは自身の経験から、他人が関わった方が良いとわかっていたため、つい「ウチくる?」と言ってしまいます。

親御さんの承諾を得た上で、子供を預かったいつきさん。不登校の子どもたちに必要なのは風通しの良さで、いつきさんの自宅はそういった意味で良い環境でした。俳句誌の編集会議や宴会、句会などさまざまな大人が出入りしていたからです。

子どもたちは出入りする大人たちから刺激を受け、最終的にはみんな巣立っていき、御幸ハウスは解散しました。悩んでいる子どもたちを放っておけない、いつきさんの温かい人柄が伝わってきます。

都市伝説・武勇伝3「夏井いつき健康の秘訣は酒・温泉・俳句」

道後温泉

60歳をすぎてなお活躍するいつきさんですが、健康の秘訣はあるのでしょうか?いつきさんはインタビューで酒と温泉、俳句が健康法だと答えています。

いつきさんの自宅は歩いて数分の場所に温泉があり、散歩がてら通っているそうです。広いお風呂にのんびりと浸かって、帰りはおでんをつまみながら生ビールをクイっと一杯。帰れば料理上手な夫が和洋中・お酒の肴まで作ってくれるそうです。

この環境についていつきさんはこのようなコメントを残しています。

温泉があって料理を作ってくれる夫がいて最高です。これで長生きできなかったら、よっぽど悪いことをやって生きてきたということですよね(笑)

最高の環境に加えて、趣味と実益をかねた俳句。確かに、これが健康で長生きする秘訣なのかもしれませんね。

夏井いつきの年表

1957年 – 0歳「愛媛県愛南町で誕生」

いつきさんが生まれた松山を代表する正岡子規の歌碑「春や昔十五万石の城下哉」

1957年5月13日、いつきさんは明治時代から郵便局を営む家で生まれました。父と釣りに出かけたり、山や海で友達と遊んだりと豊かな自然に囲まれて幼少期を過ごします。

学生時代は、実家から高校まではバスで片道2時間ある距離を通学していました。そのため、朝ごはんを食べる時間がなく、朝用と昼用、二つの弁当を持ってきて早い時間に弁当を開けていたそうです。本当は違いますが、周囲からはいつも早弁をしている人と思われていました。

また、学生時代はバレーボール部に所属しており、ポジションは守備を担当。運動漬けの毎日でした。

1980年 – 23歳「大学卒業後、中学校の教師になる」

始めは出版関係の仕事を考えていたが教育実習を通して教えることの楽しさに気付き、教師に

京都大学文学部国文科を卒業したいつきさんは、国語の教師として松山市立余土中学校へ赴任します。ここでいつきさんは、俳句に出会いました。

俳句との出会いは、教師になって初めて任された懇親会の幹事です。いつきさんは、自作の句を書いた紙を会場のテーブルにおき、出席者の座席を決定していたのですが、その時に購入した歳時記に掲載されている季語に感動し、俳句へ取り組むようになります。

いつきさんは教師を止めるまで仕事と家庭を両立しながら、俳句を趣味として楽しんでいました。この頃はプロになることを考えていなかったそうで、独学で俳句を嗜んでいたそうです。

いつきさんが本格的に俳句を勉強するようになったのは28歳のときです。俳句雑誌に投稿した俳句が入選し、俳人の黒田杏子に添削してもらったのがきっかけで本格的に俳句の勉強を始めます。

1988年 – 31歳「教師をやめ俳人として活動」

俳句一本でやっていく決意を固めた

25歳で教師仲間の男性と結婚し、2人の子供を授かるいつきさん。しかし、30歳の頃に夫の父親が他界し、体調を崩した姑の面倒を見ることになります。姑の介護のため、いつきさんはやむなく教師をやめましたが、退職の際には教え子に「これから俳人になる」と約束しました。

教師をやめてからは宣言通りに、松山市にある自宅で本格的に俳句を作り始めます。

1994年 – 37歳「第8回俳壇賞受賞」

教師をやめて6年、いつきさんはプロの俳人の登竜門、俳壇賞を見事受賞しました。これ以降、ラジオ出演などの仕事が増えていき、活動の幅が広がります。プロの俳人としてのスタート地点にたった年といえます。

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