イギリスの第一次産業革命とは?歴史や始まりの理由をわかりやすく解説

イギリス産業革命の特徴

特徴1:蒸気機関の発明

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の1号機関車

イギリス産業革命の最大の特徴は蒸気機関の発明にあります。蒸気機関とは蒸気の熱エネルギーを使って機械を動かす機関のことです。

元は鉱山の排水用ポンプとして発明されましたが、技術者ジェームズ・ワットの手で改良され機械や列車の動力に使われるようになりました。

リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の開通式の様子

蒸気機関の発明は何より当時の交通事情を劇的に変えました。イギリスの街中に線路を走る鉄道が登場、19世紀には地下鉄もでき、これまで当たり前だった徒歩や馬車での移動は鉄道を使った移動へと変化したのです。

また、蒸気船の開発で海路ができ、海上の交通機関も飛躍的に発展していきました。

特徴2:石炭エネルギー

石炭

イギリス産業革命のもう一つの特徴は石炭エネルギーです。第一次産業革命期は石炭を使った製鉄業が盛んに、良質な鉄を作り鉄道や機器を製造、石炭自体のエネルギーも蒸気機関の原動力となりました。

その結果、石炭を燃やした蒸気エネルギーで工場や鉄道が動くようになり、イギリスの街並みは煙によるススで汚れた薄暗いものになってしまいます。

特徴3:機械化された工場

大量の黒煙を撒き散らすイギリス国内の工場

イギリス産業革命によって都市部を中心に機械化された工場が次々と建設されました。工場では成人男性はもちろん女性や幼い子供が働き、機械化によって労働自体は単純作業になったものの、その分長時間の労働が課せられたのです。

また、工場増設によってイギリスの街中に有害な黒煙が撒き散らされ、スモッグ(大気汚染物質による視界不良)が大量発生しました。

スモッグは視界不良だけでなく呼吸器官系の病気に悪影響を及ぼす有害物質を出します。1952年に1万人もの死者を出したロンドンスモッグはスモッグの脅威を示す大規模公害であり、後の環境問題への取り組みに大きな影響を及ぼしました。

イギリス産業革命による影響

18世紀から19世紀にかけイギリスで起きた産業革命は、イギリス国内のみならず諸外国へ大きな変革と繁栄をもたらしました。

イギリス国内

イギリス国内では、労働者階級の人々の暮らしが一変。これまで自然の光を頼りに生活してきた人々は、時計に合わせた規則正しいリズムで生活を送るようになります。

工場で働く労働者

イギリス産業革命以前は、日が昇るとともに起きて働き日が沈むとともに家に帰って眠る生活でした。しかし、工場は決められた量を決められた時間で作ることが大切です。

労働者にも規則に沿った労働時間で働いてもらわなければなりません。この頃から現代のような時間に制約された労働環境が置かれるようになったのです。

また、都市部の工場で働くために地方から労働者が押し寄せたため、イギリスの主要都市は深刻な人口過多になりました。十分な衛生管理も行き届かないため、不衛生な状況で過酷な労働を強いられる人々が溢れるようになったのです。

諸外国

イギリス産業革命の影響は、イギリス国内だけでなく諸外国にまで広がりました。中でも、第一産業革命の要要となった綿織物(めんおりもの)の産地インドは特に大きな影響を受けたのです。

インド

現代では当たり前の綿織物も始まりはインドだった

イギリス産業革命において綿織物が主要製品となったのは、インドから輸入をしていたためです。茶葉などと一緒に輸入されたインドの綿織物は着心地が良く、イギリスで大人気となります。

産業革命による技術革新で効率的に綿織物を大量生産できるようになったイギリスは、その綿織物をインドにも輸出し始めました。その結果、インドの綿織物産業は大打撃を受けたのです。

つまり、イギリスはインドから技術発展のヒントをもらいインドの利益を奪い取るまでに成長します。

イギリス産業革命による労働問題

イギリス産業革命はイギリスを大英国に押し上げ莫大な利益をもたらしましたが、その対価として労働問題という大きな課題を抱えました。

18世紀から19世紀にかけて、イギリスの労働環境は非常に劣悪なものでした。長時間労働、低賃金、それに伴う貧困に苦しめられていたのです。

長時間労働

工場で働く子供の労働者たち

現代でもブラック企業と呼ばれる会社に勤めサービス残業などに苦しんでいる人々がいますよね。しかし、イギリス産業革命期の長時間労働は現代におけるサービス残業を上回るものでした。

当時は成人ならば16時間から18時間労働が当たり前で、幼い子どもたちですら14時間以上働かされたのです。工場経営者にとって労働者は酷使できる存在として扱われていました。

ちなみに幼い子供たちは小さな体で狭い炭鉱や工業機械の隙間などに潜り込むことができたため重宝されたといいます。

現代ではとても出来ない子どもの炭坑労働の様子

しかしご想像の通り機械の間に潜り込むような仕事は非常に危険です。にもかかわらず、まだ物心ついてない子供たちが何十時間も危険な場所で働かされていたのです。

1833年の工場法によって労働環境は多少改善されましたが、若者や女性の労働時間が週56時間にまでに短縮されたのは19世紀の終わり頃でした。工場労働者たちは19世紀はじめまで体を酷使する労働を強いられることになります。

低賃金

長時間にわたって危険な仕事を強いられていたにもかかわらず、工場労働者の賃金はとても低いものでした。1840年当時工場労働者の賃金は週18〜21シリン、日本に換算する週2万〜2万5千円程の報酬で、月10万〜12万円しか給料をもらえていなかったことになります。

当時の労働者階級の人々はとても貧しい暮らしをせざるを得ない状況になりました。その反面、中流階級や貴族である上流階級の工場主の資本家はぜいたくな暮らしを満喫します。イギリスの産業革命は貧富拡大という課題を抱えるきっかけとなったのです。

1872年当時のイギリスロンドンのスラム街

低賃金に加え仕事場の衛生環境が整っていなかったことも労働者の貧困に追い打ちをかけます。スラム街と呼ばれる貧しい人々が住む地域が増え、売春や強盗などの犯罪も多発していきました。

工場の煙による視界の不鮮明さや霧の多発でイギリスロンドンの路地裏は非常に危険な場所へと変化し、1888年売春婦が惨殺される連続殺人事件「切り裂きジャック事件」が起きるほどロンドンの治安は悪化していったのです。

イギリス産業革命の簡単な覚え方

最後に、イギリス産業革命の簡単な覚え方をいくつか紹介します。世界史のテストなどで覚えるときに役立ちますので、ぜひ参考にしてみてください。

発明家の覚え方

ジョンはアクロバットなカウボーイ

産業革命の発明者と紡績機の覚え方!ジョンケイ〜ホイットニー | 受験世界史研究所 KATE

これは、発明家の名前の一部をとって語呂合わせしたものです。

  • 飛び杼を発明した「ジョン」ケイ
  • ジェニー紡績機を発明したジェームズ・「ハ」ーグリーヴス
  • 水力紡績機を発明したリチャード・「ア」ークライト
  • ミュール紡績機を発明したサミュエル・「クロ」ンプトン
  • 力織機を発明したエドモンド・「カ」ートライト
  • 綿織機を発明したイーライ・「ホイ」ットニー

発明品の覚え方

飛べジェニー水見るなよ力まず渡れ!

産業革命の発明者と紡績機の覚え方!ジョンケイ〜ホイットニー | 受験世界史研究所 KATE

こちらも、発明品の名前の一部をとって語呂合わせした覚え方です。

  • 飛び杼から「飛べ」
  • ジェニー紡績機から「ジェニー」
  • 水力紡績機から「水」
  • ミュール紡績機から「見る」
  • 力織機から「力」
  • 綿織機から「渡れ」

イギリス産業革命に関するまとめ

イギリスの産業革命、つまりは第一次産業革命がなければ現在の私たちの生活はもっと違ったものになっていたでしょう。働き方から生活リズムまで、今あるものとは全く異なるものになっていたかもしれません。

イギリス産業革命から現代に至るまでに、私たちは大きな利益を得たと同時に、労働問題や環境問題など大きな問題も抱えることになりました。

イギリス産業革命の原因や特徴を見直すことは、これから起こるかもしれない新たな産業革命において大切なことを知る手がかりになるかもしれません。

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