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イギリスの第一次産業革命とは?歴史や始まりの理由をわかりやすく解説

なぜ産業革命はイギリスから始まったの?
イギリスで産業革命が起きた原因は?
イギリスで産業革命が起きたことでどんな影響があったの?

あなたはこのような疑問を持っていませんか?

今なお続いている産業革命は第一次産業革命から第四次産業革命まであります。そして、最初の産業革命である第一次産業革命は18世紀ごろイギリスで始まりました。

産業革命は18世紀のイギリスを舞台に21世紀現在で第四次を数えるまでにいたっています。

第一次産業革命期に工場で働く人々

イギリスは産業革命によって製品の生産効率を上げ世界の工場と呼ばれるほどの大国に成長、諸外国にまで大きな影響を与えました。そして、その影響はイギリス社会だけでなく諸外国にまで広がります。

ヨーロッパにある島国イギリスがどうやってフランスやドイツなどの大国を差し置き産業革命を成し遂げられたのでしょうか。

ここではイギリスを愛してやまない筆者が第一次イギリス産業革命の歴史や起きた原因、世界に与えた影響について詳しく解説します!

イギリス産業革命とは

ジョージ・スチーブンソンが開発したロケット号

第一次イギリス産業革命とは、18世紀から19世紀にかけてイギリスを舞台に起きた産業の大変革です。その名の通り産業革命の始まりを意味しており、私たちの現代生活の基盤をつくる革命となりました。

イギリスの産業革命が具体的に「いつ」起こったかについては諸説あり、ヨーロッパ間の戦争が終わった1760年代をイギリス産業革命の始まりとする人もいれば、産業革命の源となった技術革新期期を始まりとする人もいます。

しかし、いずれにせよ18世紀にイギリス産業革命の基盤ができたことは間違いありません。そのため、本記事では「イギリス産業革命は18世紀ごろに起きた」とします。

蒸気機関の改良によって産業革命を発展させたジェームズ・ワット

イギリス産業革命では主に石炭エネルギーを源力として、蒸気機関による機械化された工場や鉄道など新たな産業用品が登場しました。

それに伴い人々の生活も一変。時計に合わせた規則性のある生活リズムや都市部での工場労働などが日常的になりました。イギリス産業革命は世界産業に繁栄を、人々に大きな生活の変化をもたらしたのです。

イギリス産業革命の年表

1701年「播種機の発明」

1701年、農場主ジェスロ・タルが馬から畑に種を蒔く播種機(はしゅき)を発明。播種機はこれまで農民が直接手で種を蒔いていた農作業を効率的に進められるようにしました。

1705年「蒸気機関の発明」

イギリスの発明家トマス・ニューコメンが最初の蒸気機関を発明。1712年には鉱山の排水用ポンプの製作にも取り掛かりました。

1709年「コークス製鉄法の開発」

1709年頃からイギリスのエイブラハム・ダービー1世がコークス製鉄法を開発。これは後の製鉄業の普及に大きく貢献します。

1735年に息子エイブラハム・ダービー2世が改良を加えたことで、1750年ごろには新しい製鉄法がイギリス全土へ普及しました。

ジョン・スミートン

1760年代には土木工学者ジョン・スミートンが高炉用の送風機を改良し、生産工程は更に効率化します。また1784年には攪拌精錬法が発明され、品質の良い錬鉄が大量生産できるようになりました。

1730年「ロザラム鋤の発明」

1730年にジョーゼフ・フォルジャムの手で頑丈かつ軽量使い勝手の良いロザラム鋤(すき)という農具が発明されます。鋤を使った収穫作業は農民たちの負担をとても軽くしました。

1733年「飛び杼の発明」

1733年、イギリスの発明家ジョン・ケイが織り機の一部である杼(ひ)を改良し織物を織る時に使用する「飛び杼(とびひ)」を発明します。

飛び杼

杼はこれまでたて糸の間によこ糸を通すのに使われていましたが、織り機をより速く動かせるよう改良されました。

1764年「ジェニー紡績機の発明」

1764年にイギリスの発明家ジェームズ・ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明。これまでできなかった複数の糸を一度に紡ぐ作業が可能になりました。

ジェームズ・ハーグリーブスとジェニー紡績機

その結果、綿布生産に必要な糸を効率的に作れるようなります。ただジェニー紡績機は小型だったため、都市部の工場には適さず農村の工業地域に普及しました。

1765年「蒸気機関の改良」

ニューコメンが発明した蒸気機関をイギリスの技術者ジェームズ・ワットが改良。復水器で蒸気を冷却可能にし、より効率性を高めました。改良後の蒸気機関は産業の動力として、多くの分野で活躍することになります。

1771年「水力紡績機の発明」

水力紡績機

1771年にイギリスの発明家リチャード・アークライトが水力を利用した水力紡績機を発明。ジェニー紡績と違い数百人の労働者が必要となる大型機械でした。

水力紡績機によって綿糸の大量生産が可能となり本格的な工場制機械工業が幕を開けます。そして、次々と最先端の機械が発明されていきました。

1779年には細くて丈夫な糸を生産するミュール紡績機が誕生。続く1785年には世界初の蒸気機関を動力とした力織機が発明されました。

1802年「蒸気機関車の登場」

リチャード・トレビシックが開発したペナダレン号

イギリスの技術者リチャード・トレビシックが世界初の高圧蒸気機関と蒸気機関車を発明。人間が乗れる大きさの蒸気機関車を実現させた最初の人物となりました。

その後同じくイギリスの技術者ジョージ・スチーブンソンが実用的な蒸気機関車を製作、30トンもの石炭運搬に成功します。

ジョージ・スチーブンソン

そして1830年イギリスで「リバプールアンドマンチェスター鉄道」が開業。都市リバプールとマンチェスターを結ぶ世界で最初に実用化された鉄道です。

1833年「工場法の成立」

1833年イギリスで工場労働者の環境改善を目的とした工場法が成立。これまで無法にまかり通っていた低賃金の長時間労働や児童労働が改められました。

1851年「ロンドン万国博覧会の開催」

ロンドン万国博覧会が開催された水晶宮

1851年イギリスロンドンで世界初の国際博覧会であるロンドン万国博覧会が開催されました。最先端のガラス技術や建築技術を駆使して作られた水晶宮が会場となり、イギリスが植民地から輸入した調度品や産業革命による最先端機械を中心に10万品もの展示品が出展されたそうです。

ヴィクトリア女王の開会宣言に始まり、約600万人もの人々が訪れた博覧会でイギリスは186000ポンドという大きな利益を得ました。

イギリスはロンドン万国博覧会を機に産業革命で「世界の工場」となり「大英帝国」として繁栄した功績を世に知らしめたのです。

イギリス産業革命が起きた原因

イギリス産業革命において主要な港街として栄えたリバプール

イギリスで産業革命が起きた原因は次の3つが挙げられます。3つの原因はフランスやドイツなどの大国を差し置いてイギリスが産業革命の先駆けとなった理由ともいえますね。

原因1:多数の植民地

イギリスの所有していた「多数の植民地」が産業革命革命を起こす原因の一つとなりました。

イギリスは17世紀ごろから海外諸国へ侵略し植民地支配を増やしており、18世紀にはアメリカ大陸、インド、オーストラリアなど世界中にイギリス植民地が存在していたのです。

第一次産業革命期に生産品の中心となった綿織物

植民地の存在は産業革命を進めるうえでとても重要でした。工業生産に使う原料を安く得られる場所であり、生産した製品を売買する市場になっていたからです。

原因2:農業革命

18世紀後半に起こった農業革命もイギリスで産業革命が始まった原因の一つになります。農業革命とは新しい農業方法や農具による農村改革のことです。

農業革命以前は三圃制農業(みっほせいのうぎょう)と呼ばれる、耕地を三等分して作物を替えていく農法を採用していました。

がしかし、三圃制では休耕地(何も植えずに休ませた土地)ができてしまい収穫物を増やせませんでした。そこで登場したのが「ノーフォーク農法」です。

ノーフォーク農法の舞台となったノーフォーク地方

ノーフォーク農法とは同じ土地で4種類の作物を4年周期で栽培する方法になります。輪作とも呼ばれ同じ土地に性質の異なる農作物を栽培することで土地の力を維持したり害虫予防にもつながりました。

同時期に播種機やロザラム鋤などの新たな農具が発明され産業革命を担う労働者の食糧を十分に賄えるほど効率よく供物を収穫できたのです。

また領主たちは農場経営のため共同農地を囲い込み私有化したため、農民たちは農場経営者という名の資本家たちに雇われ賃金労働制度が定着し始めます。

資本家と農民たち

どれほど革新的な技術や発明品があっても、それを効率よく活用できる社会でなければ意味がありません。このようにイギリスは農業革命によって産業革命に必要な社会的環境を整えられたのです。

原因3:労働力の確保

他国と比べて労働力が確保できていたのもイギリスで産業革命が始まった原因といえるでしょう。

新技術で革新的な機械を発明したとはいえ、工場ではそれらの機械を動かす労働者が必要です。また、原料の栽培や市場でも労働力は必要不可欠になります。

イギリスは農業革命での農業労働者のほかに植民地労働者、そして三角貿易での奴隷労働力を持っていました。

強制的に連れて行かれる黒人たち

三角貿易とはイギリス、植民地アメリカ、アフリカの三つの国で行われていた貿易です。イギリスはアフリカに武器を売る代わりに黒人奴隷をもらい、その黒人奴隷をアメリカへ売り渡し砂糖やタバコなどを得ていました。

黒人奴隷たちは製品の原料となる農村で働かされ、イギリス産業革命に欠かせない労働力となります。イギリスはこのような非人道的な貿易で産業革命に必要な労働力を確保していたのです。

イギリス産業革命の特徴

特徴1:蒸気機関の発明

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道の1号機関車

イギリス産業革命の最大の特徴は蒸気機関の発明にあります。蒸気機関とは蒸気の熱エネルギーを使って機械を動かす機関のことです。

元は鉱山の排水用ポンプとして発明されましたが、技術者ジェームズ・ワットの手で改良され機械や列車の動力に使われるようになりました。

リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の開通式の様子

蒸気機関の発明は何より当時の交通事情を劇的に変えました。イギリスの街中に線路を走る鉄道が登場、19世紀には地下鉄もでき、これまで当たり前だった徒歩や馬車での移動は鉄道を使った移動へと変化したのです。

また、蒸気船の開発で海路ができ、海上の交通機関も飛躍的に発展していきました。

特徴2:石炭エネルギー

石炭

イギリス産業革命のもう一つの特徴は石炭エネルギーです。第一次産業革命期は石炭を使った製鉄業が盛んに、良質な鉄を作り鉄道や機器を製造、石炭自体のエネルギーも蒸気機関の原動力となりました。

その結果、石炭を燃やした蒸気エネルギーで工場や鉄道が動くようになり、イギリスの街並みは煙によるススで汚れた薄暗いものになってしまいます。

特徴3:機械化された工場

大量の黒煙を撒き散らすイギリス国内の工場

イギリス産業革命によって都市部を中心に機械化された工場が次々と建設されました。工場では成人男性はもちろん女性や幼い子供が働き、機械化によって労働自体は単純作業になったものの、その分長時間の労働が課せられたのです。

また、工場増設によってイギリスの街中に有害な黒煙が撒き散らされ、スモッグ(大気汚染物質による視界不良)が大量発生しました。

スモッグは視界不良だけでなく呼吸器官系の病気に悪影響を及ぼす有害物質を出します。1952年に1万人もの死者を出したロンドンスモッグはスモッグの脅威を示す大規模公害であり、後の環境問題への取り組みに大きな影響を及ぼしました。

イギリス産業革命による影響

18世紀から19世紀にかけイギリスで起きた産業革命は、イギリス国内のみならず諸外国へ大きな変革と繁栄をもたらしました。

イギリス国内

イギリス国内では、労働者階級の人々の暮らしが一変。これまで自然の光を頼りに生活してきた人々は、時計に合わせた規則正しいリズムで生活を送るようになります。

工場で働く労働者

イギリス産業革命以前は、日が昇るとともに起きて働き日が沈むとともに家に帰って眠る生活でした。しかし、工場は決められた量を決められた時間で作ることが大切です。

労働者にも規則に沿った労働時間で働いてもらわなければなりません。この頃から現代のような時間に制約された労働環境が置かれるようになったのです。

また、都市部の工場で働くために地方から労働者が押し寄せたため、イギリスの主要都市は深刻な人口過多になりました。十分な衛生管理も行き届かないため、不衛生な状況で過酷な労働を強いられる人々が溢れるようになったのです。

諸外国

イギリス産業革命の影響は、イギリス国内だけでなく諸外国にまで広がりました。中でも、第一産業革命の要要となった綿織物(めんおりもの)の産地インドは特に大きな影響を受けたのです。

インド

現代では当たり前の綿織物も始まりはインドだった

イギリス産業革命において綿織物が主要製品となったのは、インドから輸入をしていたためです。茶葉などと一緒に輸入されたインドの綿織物は着心地が良く、イギリスで大人気となります。

産業革命による技術革新で効率的に綿織物を大量生産できるようになったイギリスは、その綿織物をインドにも輸出し始めました。その結果、インドの綿織物産業は大打撃を受けたのです。

つまり、イギリスはインドから技術発展のヒントをもらいインドの利益を奪い取るまでに成長します。

イギリス産業革命による労働問題

イギリス産業革命はイギリスを大英国に押し上げ莫大な利益をもたらしましたが、その対価として労働問題という大きな課題を抱えました。

18世紀から19世紀にかけて、イギリスの労働環境は非常に劣悪なものでした。長時間労働、低賃金、それに伴う貧困に苦しめられていたのです。

長時間労働

工場で働く子供の労働者たち

現代でもブラック企業と呼ばれる会社に勤めサービス残業などに苦しんでいる人々がいますよね。しかし、イギリス産業革命期の長時間労働は現代におけるサービス残業を上回るものでした。

当時は成人ならば16時間から18時間労働が当たり前で、幼い子どもたちですら14時間以上働かされたのです。工場経営者にとって労働者は酷使できる存在として扱われていました。

ちなみに幼い子供たちは小さな体で狭い炭鉱や工業機械の隙間などに潜り込むことができたため重宝されたといいます。

現代ではとても出来ない子どもの炭坑労働の様子

しかしご想像の通り機械の間に潜り込むような仕事は非常に危険です。にもかかわらず、まだ物心ついてない子供たちが何十時間も危険な場所で働かされていたのです。

1833年の工場法によって労働環境は多少改善されましたが、若者や女性の労働時間が週56時間にまでに短縮されたのは19世紀の終わり頃でした。工場労働者たちは19世紀はじめまで体を酷使する労働を強いられることになります。

低賃金

長時間にわたって危険な仕事を強いられていたにもかかわらず、工場労働者の賃金はとても低いものでした。1840年当時工場労働者の賃金は週18〜21シリン、日本に換算する週2万〜2万5千円程の報酬で、月10万〜12万円しか給料をもらえていなかったことになります。

当時の労働者階級の人々はとても貧しい暮らしをせざるを得ない状況になりました。その反面、中流階級や貴族である上流階級の工場主の資本家はぜいたくな暮らしを満喫します。イギリスの産業革命は貧富拡大という課題を抱えるきっかけとなったのです。

1872年当時のイギリスロンドンのスラム街

低賃金に加え仕事場の衛生環境が整っていなかったことも労働者の貧困に追い打ちをかけます。スラム街と呼ばれる貧しい人々が住む地域が増え、売春や強盗などの犯罪も多発していきました。

工場の煙による視界の不鮮明さや霧の多発でイギリスロンドンの路地裏は非常に危険な場所へと変化し、1888年売春婦が惨殺される連続殺人事件「切り裂きジャック事件」が起きるほどロンドンの治安は悪化していったのです。

イギリス産業革命の簡単な覚え方

最後に、イギリス産業革命の簡単な覚え方をいくつか紹介します。世界史のテストなどで覚えるときに役立ちますので、ぜひ参考にしてみてください。

発明家の覚え方

ジョンはアクロバットなカウボーイ

産業革命の発明者と紡績機の覚え方!ジョンケイ〜ホイットニー | 受験世界史研究所 KATE

これは、発明家の名前の一部をとって語呂合わせしたものです。

  • 飛び杼を発明した「ジョン」ケイ
  • ジェニー紡績機を発明したジェームズ・「ハ」ーグリーヴス
  • 水力紡績機を発明したリチャード・「ア」ークライト
  • ミュール紡績機を発明したサミュエル・「クロ」ンプトン
  • 力織機を発明したエドモンド・「カ」ートライト
  • 綿織機を発明したイーライ・「ホイ」ットニー

発明品の覚え方

飛べジェニー水見るなよ力まず渡れ!

産業革命の発明者と紡績機の覚え方!ジョンケイ〜ホイットニー | 受験世界史研究所 KATE

こちらも、発明品の名前の一部をとって語呂合わせした覚え方です。

  • 飛び杼から「飛べ」
  • ジェニー紡績機から「ジェニー」
  • 水力紡績機から「水」
  • ミュール紡績機から「見る」
  • 力織機から「力」
  • 綿織機から「渡れ」

イギリス産業革命に関するまとめ

イギリスの産業革命、つまりは第一次産業革命がなければ現在の私たちの生活はもっと違ったものになっていたでしょう。働き方から生活リズムまで、今あるものとは全く異なるものになっていたかもしれません。

イギリス産業革命から現代に至るまでに、私たちは大きな利益を得たと同時に、労働問題や環境問題など大きな問題も抱えることになりました。

イギリス産業革命の原因や特徴を見直すことは、これから起こるかもしれない新たな産業革命において大切なことを知る手がかりになるかもしれません。

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