1802年「蒸気機関車の登場」
イギリスの技術者リチャード・トレビシックが世界初の高圧蒸気機関と蒸気機関車を発明。人間が乗れる大きさの蒸気機関車を実現させた最初の人物となりました。
その後同じくイギリスの技術者ジョージ・スチーブンソンが実用的な蒸気機関車を製作、30トンもの石炭運搬に成功します。
そして1830年イギリスで「リバプールアンドマンチェスター鉄道」が開業。都市リバプールとマンチェスターを結ぶ世界で最初に実用化された鉄道です。
1833年「工場法の成立」
1833年イギリスで工場労働者の環境改善を目的とした工場法が成立。これまで無法にまかり通っていた低賃金の長時間労働や児童労働が改められました。
1851年「ロンドン万国博覧会の開催」
1851年イギリスロンドンで世界初の国際博覧会であるロンドン万国博覧会が開催されました。最先端のガラス技術や建築技術を駆使して作られた水晶宮が会場となり、イギリスが植民地から輸入した調度品や産業革命による最先端機械を中心に10万品もの展示品が出展されたそうです。
ヴィクトリア女王の開会宣言に始まり、約600万人もの人々が訪れた博覧会でイギリスは186000ポンドという大きな利益を得ました。
イギリスはロンドン万国博覧会を機に産業革命で「世界の工場」となり「大英帝国」として繁栄した功績を世に知らしめたのです。
イギリス産業革命が起きた原因
イギリスで産業革命が起きた原因は次の3つが挙げられます。3つの原因はフランスやドイツなどの大国を差し置いてイギリスが産業革命の先駆けとなった理由ともいえますね。
原因1:多数の植民地
イギリスの所有していた「多数の植民地」が産業革命革命を起こす原因の一つとなりました。
イギリスは17世紀ごろから海外諸国へ侵略し植民地支配を増やしており、18世紀にはアメリカ大陸、インド、オーストラリアなど世界中にイギリス植民地が存在していたのです。
植民地の存在は産業革命を進めるうえでとても重要でした。工業生産に使う原料を安く得られる場所であり、生産した製品を売買する市場になっていたからです。
原因2:農業革命
18世紀後半に起こった農業革命もイギリスで産業革命が始まった原因の一つになります。農業革命とは新しい農業方法や農具による農村改革のことです。
農業革命以前は三圃制農業(みっほせいのうぎょう)と呼ばれる、耕地を三等分して作物を替えていく農法を採用していました。
がしかし、三圃制では休耕地(何も植えずに休ませた土地)ができてしまい収穫物を増やせませんでした。そこで登場したのが「ノーフォーク農法」です。
ノーフォーク農法とは同じ土地で4種類の作物を4年周期で栽培する方法になります。輪作とも呼ばれ同じ土地に性質の異なる農作物を栽培することで土地の力を維持したり害虫予防にもつながりました。
同時期に播種機やロザラム鋤などの新たな農具が発明され産業革命を担う労働者の食糧を十分に賄えるほど効率よく供物を収穫できたのです。
また領主たちは農場経営のため共同農地を囲い込み私有化したため、農民たちは農場経営者という名の資本家たちに雇われ賃金労働制度が定着し始めます。
どれほど革新的な技術や発明品があっても、それを効率よく活用できる社会でなければ意味がありません。このようにイギリスは農業革命によって産業革命に必要な社会的環境を整えられたのです。
原因3:労働力の確保
他国と比べて労働力が確保できていたのもイギリスで産業革命が始まった原因といえるでしょう。
新技術で革新的な機械を発明したとはいえ、工場ではそれらの機械を動かす労働者が必要です。また、原料の栽培や市場でも労働力は必要不可欠になります。
イギリスは農業革命での農業労働者のほかに植民地労働者、そして三角貿易での奴隷労働力を持っていました。
三角貿易とはイギリス、植民地アメリカ、アフリカの三つの国で行われていた貿易です。イギリスはアフリカに武器を売る代わりに黒人奴隷をもらい、その黒人奴隷をアメリカへ売り渡し砂糖やタバコなどを得ていました。
黒人奴隷たちは製品の原料となる農村で働かされ、イギリス産業革命に欠かせない労働力となります。イギリスはこのような非人道的な貿易で産業革命に必要な労働力を確保していたのです。