マリー・アントワネットの名言を10選紹介!名言が生まれた意図や背景とは

18世紀のフランス王国において、ルイ16世の王妃として優雅な生活を送っていたことで知られるマリー・アントワネット。そんな彼女は数々の名言を残しています。「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

しかし、この「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉について、どのような意図で言われた台詞であるかをご存知でしょうか?言葉だけが独り歩きしてしまって、その真相を知らずに勘違いをしてしまっている人も少なくありません。

この記事では、マリー・アントワネットが残した名言のうち10選を、その意図や背景と合わせて解説していきます。また、名言の背景がよくわかるマリー・アントワネットにまつわる著作もご紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。

マリー・アントワネットの名言と意図、背景

私は何よりも退屈が嫌い

婚姻の儀式を行うマリー・アントワネットとルイ

私は何よりも退屈が嫌い。刺激を求めて自分の思うように楽しく過ごしたいわ。

この名言は、マリー・アントワネットのおてんばな性格を表しているように見えますが、実はその背景に、夫である王太子ルイへの不満が存在していました。

フランス王太子ルイは、真面目で内気な性格であるだけでなく性的不能者であり、夜の営みを満足に行うことができませんでした。そのため、活発な性格で退屈を嫌うマリー・アントワネットは、ルイとの結婚生活において満たされない心を娯楽で癒す日々を過ごしたがっていたのです。

そして、ルイは結婚から7年後に性的欠陥の治療を受けた結果、マリー・アントワネットと肉体関係を築けるようになり、翌年には初めての子供を授かりました。しかし、その日を待ち続けていたマリー・アントワネットの夫への愛や心境は複雑なものだったのです。

自由で楽しい事が私は好きなのだから

ヴェルサイユ宮殿旧城の写真

堅苦しい公式行事なんてうんざりだわ。お仕着せの行事は、私には似合わない。もっと自由で楽しいことが、私は好きなのだから。

この名言は、自由を求めるマリー・アントワネットを象徴する台詞の1つです。ヴェルサイユ宮殿で行われていた堅苦しい舞踏会や晩餐会は、マリー・アントワネットにとって楽しい行事ではありませんでした。

そこで、マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿での息苦しい生活から抜け出し、お忍びで大都会であるパリへ遊びに行き始めたのです。真面目な夫のルイが早くに寝静まると、マリー・アントワネットは宮殿を抜け出し、夜通しで羽目を外していました。次第に、マリー・アントワネットのパリ通いは日常化していったのです。

しかし、この軽薄な行動は、宮廷内においてマリー・アントワネットの悪い噂が発生する原因となりました。その中でも、王位を狙うプロヴァンス伯や当時のフランス王ルイ15世の愛人デュ・バリー夫人は、積極的にゴシップを広めようとしていたのです。

ケーキを食べればいいじゃない( Qu’ils mangent de la brioche !)

フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー

Qu’ils mangent de la brioche ! (ブリオッシュを食べればいいじゃない。)

「ケーキを食べればいいじゃない」や「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」などの意訳で知られるこの名言は、元々は「Qu’ils mangent de la brioche ! (ブリオッシュを食べればいいじゃない。)」として伝わっています。ブリオッシュとは、フランス発祥の菓子パンであり、普通のパンと比較すると贅沢な食べ物でした。

この名言は、マリー・アントワネットの台詞として伝わり、現在のフランスでも一部ではそう信じられていますが、実はマリー・アントワネットの発言ではなかったことが判明しています。その真相は、フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーの自伝「告白」に出てくる1文だったのです。

それではなぜマリー・アントワネットの台詞であると言われたのでしょうか。その背景には、当時のフランスにおけるマリー・アントワネットの民衆からの評判の悪さがあったのです。

また、この名言は後世における革命派の歴史家にとって、当時のフランス上流階級の人間が持つ傲慢さを表現するには非常に都合の良い台詞でした。その結果、この名言はマリー・アントワネットの台詞として世界的に知られてしまったのです。

マリー・アントワネットの名言「パンが無ければ…」の真相とは?人物像や時代背景とともに紹介

私にふさわしいのは自然に近い自由な庭なのだわ

マリー・アントワネットが長い時間を過ごしたプチ・トリアノン宮殿

いくら美しくても、ヴェルサイユの庭園は苦手だし、もう見飽きてしまった。私にふさわしいのは、もっと自然に近い自由で生き生きとした庭なのだわ。

この言葉は、マリー・アントワネットが、ルイ15世の崩御により即位した夫ルイ16世から贈られた離宮プチ・トリアノンにおいて、優雅で自由な日々を過ごしていた時の台詞です。

当初、マリー・アントワネットが暮らしていたヴェルサイユ宮殿の庭園は、1流の宮廷造園家によって造られた格式高い幾何学庭園でした。しかし、広大で整然とした人工的な庭園は、マリー・アントワネットを退屈させました。

その結果、マリー・アントワネットはプチ・トリアノンの庭園を自分好みに造り変え、のどかな風景の庭園を築き上げたのです。しかし、多額の費用をかけて庭園造りにのめり込むその姿は「赤字夫人」というあだ名を付けられる原因となり、王政の悪評に繋がりました。

天上において1つに結ばれたものを地上においてばらばらにされてはなりません

マリー・アントワネットの夫ルイ16世

皆様、私は皆様の主君の妻と家族を皆様に委ねるためにやってまいりました。天上において1つに結ばれましたものを地上においてばらばらにされることが無いようにしてくださいませ。

この文章は、マリー・アントワネットが国民議会に出向いて読み上げる予定であった宣言書の内容です。その目的は、王室一家の保護を国民議会に求めることにありました。

1789年にフランス革命が勃発し、バスティーユ牢獄の陥落を知らされたルイ16世は、軍隊でパリを制圧する手段ではなく、民衆と和解することを選択します。しかし、和解が成功しルイ16世が生きて帰れるとは考えられなかったマリー・アントワネットはこれに強く反対したのです。

そして、ルイ16世がパリ市庁所へ向かった後に、マリー・アントワネットはこの宣言書を書き上げ、朗読の練習を開始しました。この名言は、悪評を語られがちなマリー・アントワネットの家族思いな1面を見ることができる台詞なのです。

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