マリリン・モンローの死因は何?自殺か他殺か、今も残る謎を検証

マリリンモンローはアメリカのハリウッドで活躍した人気女優です。1950年代に活躍しましたが、1962年に36歳の若さで突然この世を去りました。

「紳士は金髪がお好き」より・この場面は多くのオマージュを生んだことで有名だ

まだ若かったことと、私生活でいろいろと取り沙汰されていたため、その死は世界中から注目されました。今回は、謎が多いと言われているマリリンモンローの死因について解説します。

あっという間に駆け抜けた女優人生を思うと、彼女の映画がまた別の輝きを持って見られるかもしれません。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

マリリンモンローの死因とは

1962年2月に購入したばかりだった
マリリンモンローの自宅

1962年8月5日、ロサンゼルス・ブレントウッドにある自宅の寝室で全裸のままで死亡しているマリリンがメイドによって発見されました。当初は自殺と報道されたために、悲しみが全世界に広がったのです。

睡眠薬の大量摂取よる中毒死

バルビタールは芥川龍之介が自殺に使ったことでも知られている

マリリンモンローを死に至らしめた直接の原因は、睡眠薬の大量摂取による中毒死でした。当時、多くの人に使われていた睡眠薬はバルビタールというものでした。

それまでのひどい味の睡眠薬に比べると、バルビタールはほのかに苦味を感じる程度で、画期的で使いやすい睡眠薬だと歓迎されました。

しかしバルビタールは長く服用していると、効き目が感じられにくくなり、服用する量が増えることもありました。また、服用しても効き目が現れるまでに時間がかかったために、大量摂取につながることも多かったのです。

最も濃厚な説は自殺

死の直前・ケネディ大統領のバースデーパーティにて

マリリンの死の直後、睡眠薬の大量摂取による中毒死ということから、最初は自殺の可能性が濃厚だと考えられていました。

映画の主役を降板させられたことを悲観しての自殺と言われたこともありましたが、死の直前には別のミュージカルへの出演も決まっており、そこまで悲観する状況ではなかったという説も唱えられています。また、遺体の発見現場となった寝室にも不審な点がありました。

このことからマリリンの死には、他殺の可能性が出てきました。ロサンゼルス市警では再捜査を行いましたが、他殺と断定する証拠は発見できなかったそうです。ですから、今でもマリリンモンローの死は謎に包まれたままなのです。

なぜ睡眠薬を使わなくてはならなかった?

幼少期のマリリンモンロー・笑顔の裏にはどんな思いがあった?

自殺であっても他殺であっても、マリリンモンローの命は睡眠薬によって奪われたことに変わりはありません。マリリンは3度目の結婚をしていた1957年頃にも睡眠薬を飲みすぎて、精神病院に入院しています。なぜ彼女はそれほどまでに睡眠薬を使う必要があったのでしょうか。

不幸だった幼少期の影響

マリリンモンローは幼少期に両親が離婚、孤児院や里親家庭を転々として成長します。そして成長過程でネグレクトや性的虐待の被害を受けるのです。

マリリンは後に境界性パーソナリティ障害、アダルトチルドレンと診断されることになりますが、そのどちらも他者とコミュニケーションを取り、対等な関係を結ぶことが難しくなります。そして薬物やアルコールに依存しやすくなることもよく知られています。

睡眠薬を使っていたことには、マリリンの幼少期が影響したはずです。

上手く行かなかった結婚、そして不倫へ

人一倍愛情に飢えていたマリリンモンローは生涯で3度結婚していますが、どれも破綻しています。マリリンは結婚によって、幼少期に受けられなかった愛情を取り戻そうとしていたのかもしれません。

それは男女の愛の形とは違うものだったのでしょう。マリリンの幼少期は結婚にも影響を与え、さらに彼女を孤独にしました。3度目の結婚に終止符を打ったマリリンは、最後にケネディ兄弟と不倫の関係に陥ります。

マリリンはさらに睡眠薬なしでは眠ることができなくなったのでしょう。

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マリリンモンローの死にまつわる謎

遺作となった「荒馬と女」のオフショット

1962年の死からすでに58年が経っています。その間、ずっとマリリンモンローの死は謎に包まれ、自殺とも他殺とも断定されていません。このように、スッキリできないのには理由があります。

死亡時の様子に不可解な点が多い

そもそも通話する間もなく亡くなったのだという説も…

マリリンの遺体が発見された寝室にはいくつかの不審点がありました。

  1. 睡眠薬を服用するのに必要なコップが発見されなかった
  2. マリリンの遺体は受話器を握っていたのに、死亡時刻前後の通話記録がなかった
  3. 部屋からマリリンの日記が消えていた

このために、通話記録を消せるほどの力の持ち主がマリリンの死に関わっている、つまりマリリンは暗殺されたのではないかと考えられるようになりました。

マリリンは本当に自殺?暗殺説も

マリリンの死後1年余りでケネディ大統領も暗殺されてしまう

マリリンの死には、暗殺説まで浮上してきました。これにはマリリンの最後の恋愛だったケネディ兄弟との不倫が関係しています。

不倫隠蔽のために暗殺された?

ケネディ兄弟とは言うまでもなく、1961年にアメリカ大統領になったジョン・F・ケネディとその弟で司法長官だったロバート・ケネディのことです。3度目の結婚が終わらないうちから、不倫関係は始まったと言います。

確かに人気女優とアメリカで最も有名な若き政治家(しかも兄弟)の関係は大スキャンダルですが、そのためになぜマリリンは殺されたというのでしょうか。

マリリンの不倫にはマフィアが関わっていた?

マリリンとケネディ大統領を結びつけたのは、アメリカの国民的歌手だったフランク・シナトラでした。シナトラは、マフィア(イタリアを起源とする犯罪組織)のボスであるサム・ジアンカーナとも深い関係を持っていたために、2人の関係はマフィアの知るところとなりました。

マフィアでは2人の関係をケネディ政権への取引の道具にしようとしたようです。当時、ケネディ政権はマフィアへの取り締まりを強化しようとしていたからです。FBI長官は取引を迫られることを恐れて、2人の関係を終わらせるように、司法長官に進言したと言います。

結果として2人の関係は終わりましたが、それだけでは不十分だと考えた人物がいたのでしょう。その人物はケネディ大統領との恋愛でマリリンが知ったことのすべてを、消し去ったのかもしれません。

マリリンモンローの死因に関するまとめ

今回はマリリンモンローの死因について解説しました。彼女が人気女優だったために、恋愛が政治的にも大きな影響力を持ったのは、悲劇というしかありません。

マリリンは自宅を購入したばかりで、ミュージカルへの出演も決まり、2度目の夫であったジョー・ディマジオとの再婚話も出ていたと言います。

自殺をしたとは思いたくありませんが、それでもそんなマリリンが儚くこの世を去ってしまうのも、また人生だとも感じます。

私たちに夢を与える職業・女優だからこそ、マリリンは最後も夢のようにフェードアウトしてしまったのかもしれません。

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