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ヒトラーの死因は?自殺の経緯から最後の様子まで解説【生存説も紹介】

「ヒトラーの死因は?」
「『ヒトラー最後の12日間』を見て詳しく状況を知りたくなった!」

あまり歴史に興味がない人でも「アドルフ・ヒトラー」を知らない人は少ないのではないでしょうか。彼は20世紀のドイツの独裁者であり、第二次世界大戦を引き起こし、極端な思想でユダヤ人やロマ(ジプシー)などを虐殺した人物です。

アドルフ・ヒトラー

彼はその悪行のために、とても悲惨な末路を遂げましたが、その死因がどういったものだったのか、今でもなお研究がされ続けています。この記事では、ヒトラーの死因に焦点を当て、死因と最期の様子などを解説していきます。

※この記事では事実を正確にお伝えするために、残酷な表現や写真が登場します。苦手な方は次のトピックを見る等自衛をお願いいたします。

ヒトラーの死因は?

ヒトラーの死を報じる星条旗新聞

ヒトラーはドイツ国の首相であり、国家元首であった人物です。第二次世界大戦を引き起こした張本人ですが、敗戦を目前にベルリンの総統地下壕で死去しました。「20世紀最大の悪人」といわれるヒトラーですが、何度も最期が映画化され今でも多くの人が関心を寄せている事実もあります。そんなヒトラーの死因は何だったのか?見ていきたいと思います。

死因は拳銃と青酸カリの複合自殺

拳銃で自殺をしている

ヒトラーの死因は一般説として「拳銃と青酸カリの複合自殺」といわれています。死の2日前に妻となったエヴァと共に夫婦は、総統地下壕で心中しました。ヒトラーが拳銃を用いていたのに対し、妻のエヴァは青酸カリによる服毒自殺だったと生存者の証言から推測されています。「一般説」というのは別説があるからですが、詳しくは後述します。

敗戦が目前に迫った1945年の4月30日の午後15時半ごろ、大きな銃声が総統室から聞こえてきたために、側近のハインツ・リンゲSS中佐とマルティン・ボルマンSS大将が総統室に入ると夫婦は死亡していたといわれています。

自殺の経緯

ベルリン総統地下壕(1947年撮影)

1945年に入るとドイツの戦況悪化に伴い、ヒトラーは1月からベルリンの総統地下壕に移していましたが、4月にはベルリンの郊外までソ連軍が迫っていました。ヒトラーの誕生日である4月20日にはベルリンは初めてソ連軍の攻撃を受け、翌日にはソ連軍の戦車部隊が、ベルリンを包囲する状態となってしまいました。

この頃にはヒトラーも敗戦を意識しており、軍医であるヴェルナー・ハーゼSS中佐に確実な自殺方法を相談し、銃と青酸カリの複合自殺をアドバイスされています。そしてヒトラーは最後までベルリンに残り、最後に自決すると宣言しています。

親衛隊の全国指導者ハインリヒ・ヒムラー

4月22日には頼みにしていた「シュタイナー軍集団」がベルリン救援を実行していないことを知り、明かな精神錯乱に陥ったといいます。部下の無能さを怒り任せに非難し、戦争に敗北したことを初めて認めたと生存者は証言しています。4月27日頃には無線が使用できなくなり電話回線で指令を出すような状態となり、ニュースは公共のラジオを利用するしかなくなってしまいました。

そして4月28日にロイター通信のBBC放送で、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーが独自に連合国と降伏を提案して拒絶されたというニュースを聞いて激怒しています。信頼していたヒムラーと親衛隊に裏切られたことにヒトラーは非常にショックを受け、そのために最期に向けての決定を幾つか下しました。

ヒトラーとエヴァと右が愛犬ブロンディ

まず恋人エヴァとの結婚を取り決め、28日の深夜に地下壕の地図室でささやかな結婚式を挙げています。その後簡素な結婚披露宴を挙げ、その後に秘書のトラウデル・ユンゲを連れて自身の遺言を作成し書類にサインをしています。

4月29日にはイタリアの指導者ベニート・ムッソリーニが処刑され死体が逆さづりになったという話を聞き、「自分の死後は晒し物になりたくない」といい自分の遺体を焼却するように遺言したといいます。ムッソリーニの死がヒトラーに、最期の一押しをしました。この日に自分の持つ青酸カリが偽物ではないかと疑いはじめ、愛犬ブロンディにカプセルを飲ませて効能を確認しています。

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最期の様子

総統室には青酸カリの匂いが漂っていたという

30日にはソ連軍は総統地下壕から500メートルのところまで迫り、ベルリンの守備軍は弾が尽き24時間以内には戦闘不能になるという状態までとなります。その知らせを聞きヒトラーは昼食を取り、地下壕のスタッフに別れを告げています。その後ヒトラー夫妻は総統室に入っていき、自決をしたのです。

銃声を聞き、現場を見たリンゲ中佐の証言によると、総統室にはすぐに青酸カリの特徴の「焦げたアーモンド臭」が漂っていたことに気づいたといいます。そして椅子に腰かけた二人の死体を確認したそうです。エヴァはヒトラーの左手にあり膝を抱えた状態で倒れ、ヒトラーはぐったりと座っており右のこめかみから血が滴っていたといいます。自殺に使われたピストルは足元に落ちていました。

拳銃で自殺という壮絶な最期を遂げた

エヴァは顔から青酸カリの服毒自殺が見て取れたそうです。ヒトラーは頭部は前方の机に横たわった状態で、居間の床は血だまりができていたといいます。側近たちはヒトラーの遺言により二人の遺体を中庭まで持っていきガソリンをかけて焼却されました。遺体は2時間燃やされ続けましたが屋外のために完全に焼却できず、ソ連軍の砲撃のために中断したと生き残った人が証言しています。

ヒトラーの遺骨はどうなったのか?

ヒトラー夫婦の遺体はソ連軍によって発見された

ヒトラー夫妻は死後、遺言により焼却されています。しかし屋外だったために完全に焼却できず、残骸をソ連軍に持ち帰られています。ヒトラーの遺骨は彼の非道の罰なのか、もちろん安らかに眠るわけでもなく数奇な経緯を辿っています。

ソビエトの検死報告によると…

ベルリンで戦うソ連軍

ヒトラーの死はドイツ政府が5月1日に公式に発表し、5月2日にソ連軍が総統地下壕に到着し、砲撃のクレーターの中に埋もれていたヒトラーとエヴァ、犬の死体を発見したといいます。公式な検死報告書によると、「銃弾による頭蓋骨の損傷、口腔内のガラスの破片」があり、拳銃と青酸カリの複合使用であろうと記録されています。

そして死体解剖の時に、「左の睾丸は陰嚢、鼠蹊部の精索、小骨盤腔のいずれの中にも発見できなかった。」そうです。生前から「睾丸が一つしかない」という噂があったのですが、証明されたと当時はいわれました。ただしこの発表は、死体の焼け残りが僅かだったという点からも、ヒトラーを貶めるための誇張だという説が現在では一般的になっています。

遺体はベルリンからマクデブルクに埋葬された

マクデブルクの赤軍基地にヒトラー達は埋葬された

ヒトラーとエヴァの死体は、ソ連の防諜部隊スメルシによって埋めたり掘り出しを繰り返し、数回場所が移動されました。そしてヒトラーたちの遺体は当初ベルリン西方の森に墓標なしで埋められましたが、再度掘り返され8か月後にマクデブルクの赤軍基地に秘密裏に埋葬されました。前中庭の舗装区域の下だったそうです。

ヒトラーの頭蓋骨(写真:NHK)

1970年にスメルシの施設は東ドイツに移譲される予定でしたが、ヒトラーの埋葬場所がネオナチの聖地となることを恐れてKGBチームにヒトラーの遺骸を掘り起こし破壊する指示が出されています。それによってソビエトのKGBチームはマクデブルクの森からヒトラーを含む十数体の遺骸を掘り起こし、完全に焼却してエルベ川に散骨したといわれています。そしてヒトラーの下顎骨と銃弾のある頭蓋骨の一部は現在でも、ロシア連邦保安局によって保管されているのです。

「ヒトラー生存説」という噂の真相は?

現在も噂は残っている

戦後から「ヒトラーは生きている」という噂がまことしやかに語られていました。真相はどうなのか、検証していきます。

南米に逃亡していた?

スターリンはヒトラーの生存を疑っていたという

ヒトラーの死に関しては、聞き込みを行った生き残りの証言に矛盾があったり、ソ連のスターリンが当初政治的な意図で徹底的な「ヒトラーの死」に関しての口外禁止令を敷いたことなどが要因で「生存説」が噂されるようになったといわれています。

Uボートで南米に逃れたと噂された

そしてスターリンもヒトラーの自殺を信じていなかったといいます。そして「ヒトラーはUボートで南米に逃げたのではないか」と疑問を持つようになったそうです。また、ソ連が1945年9月に出した公式発表によると、

「ヒトラーあるいはエヴァ・ブラウンの遺体の痕跡は発見できなかった。偽りの証拠を示すことで、ヒトラーは自分の痕跡を隠そうとした。4月30日未明、小型飛行機がティアガルテンから飛び立ち、ハンブルク方向に向かったという明らかな証拠がある。その飛行機には男性3名、女性1名が乗っていた。またイギリス軍侵攻前に、ハンブルクから大型潜水艦が出港したことも確認されている。潜水艦に乗っていた人間の氏名は不明だが、女性が1人含まれていた」

といっています。この時ソ連は頭蓋骨を持っていたのに不思議に感じてしまいますが、想像にはなりますが、焼却された判別しにくい遺体を歯形の照合のみで判断したので、ヒトラーではないのかもという不安がぬぐい切れなかったのかもしれません。事実1950年代になってもソ連はドイツ軍の将校を見つけると「ヒトラーはどこにいる?」と尋問をしていたといわれています。

ヒトラー生存説の論争は今も続いている

ヒトラーの歯の検証が行われた(写真:NHK)

長らく噂となっていた「ヒトラー生存説」ですが、ロシアの連邦保安局が2017年に遺骨の鑑定を許可しました。調査の許可は1946年以来のことだったといいます。そこで研究者たちはロシアが保管している歯を調べて「歯はヒトラーのもので間違いなく、1945年に死亡したことが裏付けられた」と結論付けています。記事では、

「ヒトラーを巡る陰謀説は全て終止符を打つことができる。彼は潜水艦でアルゼンチンに逃亡していないし、南極や月の裏側の秘密基地への潜伏などあり得ない」

と語っています。ヒトラーの頭蓋骨といわれる断片には左側に弾丸が貫通したと見られる穴も確認されれ、歯には青酸カリによって化学変化したと思われる青みがかった金属部分が見つかっています。また、死の一年前に取られたレントゲン写真と酷似していたとのことでした。こうして長く語られていたヒトラーの生存説に、終止符が打たれたように思われました。

しかし論文発表の後に、ヒトラーの頭蓋骨をDNA検査したら、女性のものだと判明したそうです。思わぬ結果に研究者は驚愕しました。

結局ヒトラーの死は現在も論争が続けられている

そして今度は翌年の2018年に、アメリカ政府が「総統地下壕から脱出した可能性がある」という調査結果の公文書を公開しています。この文書は「ヒトラーが潜水艦で脱出しアルゼンチンの関係者として迎えられた」というものでした。この文書の出現をアメリカ政府は真剣に受け止め、ドイツに特別捜査官を派遣したといいます。

もしかしたら今後また何か公文書が公表されるかもしれない…

結局1945年に死亡したというのが通説ですが、それでもヒトラーが生きているという噂の論争は決着されておらず、今も調査が続けられているのです。もしかしたら、これから新しい調査結果が出てくるのかもしれません。

ヒトラーの死因に関するまとめ

今回この執筆にあたり、ヒトラーの秘書だった人物の「私はヒトラーの秘書だった」を読み直したのですが、秘書は「ヒトラーは確かに死んでいた」と本で語っていました。真相は結局今も証明されていませんが、この本は映画化もされ改めてヒトラー論争に火が付いたきっかけにもなっています。

今回再度調査をして、私が知らなかった新たな文書が公表されていたり、戦後70年以上たっても新しい事実が出てきていることに驚いています。現在でも独裁者の最期は興味を持たれているんだなと驚きました。もしこの記事を読んで私みたいに驚いてくれた人がいたら嬉しく思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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