ヒトラーの死因は?自殺の経緯から最後の様子まで解説【生存説も紹介】

ヒトラーの死因は?」
「『ヒトラー最後の12日間』を見て詳しく状況を知りたくなった!」

あまり歴史に興味がない人でも「アドルフ・ヒトラー」を知らない人は少ないのではないでしょうか。彼は20世紀のドイツの独裁者であり、第二次世界大戦を引き起こし、極端な思想でユダヤ人やロマ(ジプシー)などを虐殺した人物です。

アドルフ・ヒトラー

彼はその悪行のために、とても悲惨な末路を遂げましたが、その死因がどういったものだったのか、今でもなお研究がされ続けています。この記事では、ヒトラーの死因に焦点を当て、死因と最期の様子などを解説していきます。

※この記事では事実を正確にお伝えするために、残酷な表現や写真が登場します。苦手な方は次のトピックを見る等自衛をお願いいたします。

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

ヒトラーの死因は?

ヒトラーの死を報じる星条旗新聞

ヒトラーはドイツ国の首相であり、国家元首であった人物です。第二次世界大戦を引き起こした張本人ですが、敗戦を目前にベルリンの総統地下壕で死去しました。「20世紀最大の悪人」といわれるヒトラーですが、何度も最期が映画化され今でも多くの人が関心を寄せている事実もあります。そんなヒトラーの死因は何だったのか?見ていきたいと思います。

死因は拳銃と青酸カリの複合自殺

拳銃で自殺をしている

ヒトラーの死因は一般説として「拳銃と青酸カリの複合自殺」といわれています。死の2日前に妻となったエヴァと共に夫婦は、総統地下壕で心中しました。ヒトラーが拳銃を用いていたのに対し、妻のエヴァは青酸カリによる服毒自殺だったと生存者の証言から推測されています。「一般説」というのは別説があるからですが、詳しくは後述します。

敗戦が目前に迫った1945年の4月30日の午後15時半ごろ、大きな銃声が総統室から聞こえてきたために、側近のハインツ・リンゲSS中佐とマルティン・ボルマンSS大将が総統室に入ると夫婦は死亡していたといわれています。

自殺の経緯

ベルリン総統地下壕(1947年撮影)

1945年に入るとドイツの戦況悪化に伴い、ヒトラーは1月からベルリンの総統地下壕に移していましたが、4月にはベルリンの郊外までソ連軍が迫っていました。ヒトラーの誕生日である4月20日にはベルリンは初めてソ連軍の攻撃を受け、翌日にはソ連軍の戦車部隊が、ベルリンを包囲する状態となってしまいました。

この頃にはヒトラーも敗戦を意識しており、軍医であるヴェルナー・ハーゼSS中佐に確実な自殺方法を相談し、銃と青酸カリの複合自殺をアドバイスされています。そしてヒトラーは最後までベルリンに残り、最後に自決すると宣言しています。

親衛隊の全国指導者ハインリヒ・ヒムラー

4月22日には頼みにしていた「シュタイナー軍集団」がベルリン救援を実行していないことを知り、明かな精神錯乱に陥ったといいます。部下の無能さを怒り任せに非難し、戦争に敗北したことを初めて認めたと生存者は証言しています。4月27日頃には無線が使用できなくなり電話回線で指令を出すような状態となり、ニュースは公共のラジオを利用するしかなくなってしまいました。

そして4月28日にロイター通信のBBC放送で、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーが独自に連合国と降伏を提案して拒絶されたというニュースを聞いて激怒しています。信頼していたヒムラーと親衛隊に裏切られたことにヒトラーは非常にショックを受け、そのために最期に向けての決定を幾つか下しました。

ヒトラーとエヴァと右が愛犬ブロンディ

まず恋人エヴァとの結婚を取り決め、28日の深夜に地下壕の地図室でささやかな結婚式を挙げています。その後簡素な結婚披露宴を挙げ、その後に秘書のトラウデル・ユンゲを連れて自身の遺言を作成し書類にサインをしています。

4月29日にはイタリアの指導者ベニート・ムッソリーニが処刑され死体が逆さづりになったという話を聞き、「自分の死後は晒し物になりたくない」といい自分の遺体を焼却するように遺言したといいます。ムッソリーニの死がヒトラーに、最期の一押しをしました。この日に自分の持つ青酸カリが偽物ではないかと疑いはじめ、愛犬ブロンディにカプセルを飲ませて効能を確認しています。

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最期の様子

総統室には青酸カリの匂いが漂っていたという

30日にはソ連軍は総統地下壕から500メートルのところまで迫り、ベルリンの守備軍は弾が尽き24時間以内には戦闘不能になるという状態までとなります。その知らせを聞きヒトラーは昼食を取り、地下壕のスタッフに別れを告げています。その後ヒトラー夫妻は総統室に入っていき、自決をしたのです。

銃声を聞き、現場を見たリンゲ中佐の証言によると、総統室にはすぐに青酸カリの特徴の「焦げたアーモンド臭」が漂っていたことに気づいたといいます。そして椅子に腰かけた二人の死体を確認したそうです。エヴァはヒトラーの左手にあり膝を抱えた状態で倒れ、ヒトラーはぐったりと座っており右のこめかみから血が滴っていたといいます。自殺に使われたピストルは足元に落ちていました。

拳銃で自殺という壮絶な最期を遂げた

エヴァは顔から青酸カリの服毒自殺が見て取れたそうです。ヒトラーは頭部は前方の机に横たわった状態で、居間の床は血だまりができていたといいます。側近たちはヒトラーの遺言により二人の遺体を中庭まで持っていきガソリンをかけて焼却されました。遺体は2時間燃やされ続けましたが屋外のために完全に焼却できず、ソ連軍の砲撃のために中断したと生き残った人が証言しています。

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