武則天とはどんな人?生涯・年表まとめ【女帝の功績や逸話も紹介】

武則天の簡単年表

624年 – 0歳「武則天誕生」

隋末初に活躍した武士彠の娘として誕生しました。乳児のころから非常に美しかったと伝えられます。父から英才教育を施された武則天は才色兼備の美少女となり、時の皇帝である太宗の後宮に入ります。

637年-14歳「太宗(李世民)の後宮へ」

噂を発端に太宗から遠ざけられる

武則天は太宗の後宮で「才人」という身分になりました。才人は皇帝の妻のなかでは最も身分が低く、到底高位とはいえません。

噂のイメージ画像

あるとき、宮廷に「李に代わり武が栄える」という流言が飛び交いました。李はの皇帝の姓、武は武則天の姓です。これを聞いた太宗は武則天の美しさや聡明さが李氏を滅ぼしてしまい、武氏が皇帝となるのではないかと疑います。そして、太宗は武則天を遠ざけてしまいました。

皇太子李治と密かに通じる

太宗に遠ざけられ出世の望みを絶たれた武則天は、太宗の子で皇太子となっていた李治に近づきます。これは彼女にとって危険な賭けでした。もし発覚すれば一族皆殺しの厳罰が下りかねないからです。

ギャンブルのイメージ画像

そして、彼女はこの危険な賭けに勝利します。太宗にバレることなく李治を虜にすることに成功しました。あとは、太宗の死を待つだけです。649年に太宗が死去すると、彼女は一時的に後宮を離れますが、まもなく、高宗の後宮に復活します。

655年-32歳「皇后となる」

高宗の寵愛を得た武則天ですが、皇后になるためには王皇后や高宗の寵愛を受ける蕭淑妃を排除しない限り、これ以上出世することはできません。そこで彼女は一計を案じます。彼女には高宗との間に生まれた女子がいました。生後まだ十日ほどだったといいます。皇后は慣例に従い、武則天の部屋で女児を抱き上げ布団に戻しました。

しばらくして、武則天が部屋に戻ると女児が息をしていません。そこで大騒ぎになりました。武則天は息をしていない我が子を抱きかかえ大声で騒ぎたてます。騒ぎを聞いて駆け付けた皇帝の高宗に、武則天は「皇后が子供を抱いた後、子供が死んでしまった」と訴えました。

呪いのイメージ画像

また、この事件とは別に皇后が妖術で皇帝を呪い殺そうとしているという噂が立ちます。噂の審議を調べていると、皇帝の寝所から呪いの人形が出てきました。武則天の子の死と皇帝呪詛の罪を問われた王皇后や蕭淑妃は無実を主張しますが高宗は受け入れません。

結局、彼女たちは皇后や妃の地位をはく奪され宮中に監禁されました。子供の死や呪いの噂は武則天が仕組んだものといわれますが証拠はありません。しかし、これらの出来事を利用し、彼女が皇后になったのは確かです。

683年-60歳「高宗の死」

中宗を退け、睿宗を皇帝にする

武則天に廃位された中宗

武則天の権力の源泉であった高宗が亡くなると、彼女は高宗との間に生まれた中宗を即位させます。しかし、中宗は武則天の言いなりになることを拒み、自立しようとしました。そのため、武則天は中宗を強制的に退位させます。中宗はわずか55日で帝位を失いました。

かわって即位したのが中宗の弟である睿宗です。睿宗は武則天に逆らいません。彼は武則天の傀儡として玉座に座り、政治的な実権を持ちませんでした。

690年-67歳「皇帝となる」

時の皇帝睿宗をはじめ、60,000人もの臣下が武則天に皇帝に即位してほしいと嘆願してきました。この要請を受ける形で、武則天は中国史上初の女帝となります。皇帝となった武則天は国号をから周(武周)へと改めます。また、都を長安から洛陽へと移しました。

武則天が自らをなぞらえた弥勒菩薩

そして自ら聖神皇帝と称し、それまで皇帝だった睿宗を皇太子にします。武則天は唐王朝が行っていた道教優先政策を改め、仏教を優先する「仏先道後」に政策を切り替えました。人事面では科挙で採用した優秀な官僚を引き続き登用します。そのため、武則天は独裁的なイメージとは異なり、安定し政治を展開しました。

705年-81歳「病により退位」

武則天が80歳を超えたころから病による衰えが目立つようになりました。これを見て臣下たちは唐王朝の復活を画策します。一時期、武則天は武姓をもつ自分の甥を皇帝にしようとしましたが、重臣の狄仁傑の反対により実現できませんでした。

705年1月、宰相の張柬之は武則天の側近で専横を極めていた張易之・張昌宗兄弟を排除するため挙兵し、彼らを討ち取ります。そのうえで、武則天に退位を迫りました。武則天は則天大聖皇帝の称号を贈られることを条件に退位に同意します。

武則天が高宗とともに葬られている乾陵

武則天の退位後、かつての皇帝である中宗が復活しました。国号も唐に戻ります。その同じ年に武則天は亡くなりました。彼女の亡骸は高宗が眠る乾陵に葬られます。

武則天の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

「則天武后」

武則天(則天武后)の生涯を描いた一代記です。彼女がどのようにして後宮に入り、そこからどうやって皇帝の寵愛を得て皇后に登りつめるか。そして、中国史上唯一の女帝となった彼女がどのようにふるまったかが描かれています。

1966年の本なので最新の研究成果は反映されれていませんが、武則天の生涯を知るにはとても良い本だと思います。

「世界女帝列伝 武則天」

則天武后の生涯を描いた漫画です。彼女のドラマチックな生涯を漫画でわかりやすく描いた作品だと思います。全部で5巻ありますが、一冊ずつはそんなに分量が多くないので初心者でも読みやすいでしょう。オススメです。

「女帝 わが名は則天武后」

武則天を主人公にした小説。主人公である武則天が一人称で語る小説なので、まるで彼女から直接話を聞いているような気になりました。歴史書で走ることができない彼女の内面に迫る小説です。中国史上唯一の女帝となった人物の栄光と孤独を感じることができる作品ではないでしょうか。

おすすめドラマ

「武則天 The Empress」

中国の人気女優、范冰冰(ファン・ビンビン)が武則天を演じた作品です。全82話に及ぶ壮大な作品で、武則天の魅力を余すところなく描いています。ファン・ビンビンが演じる武則天の聡明かつ美しい姿は現代に彼女がよみがえったかのような錯覚を覚えさせます。長い作品ですが、見る価値ありです。

「武則天 秘史」

この作品も武則天の生涯を描いたものですが、少女期、中年期、老年期を3人の女優が分担して演じています。3人で演じているので統一感に欠ける部分はありますが、それぞれに味がある演技なので見ていて飽きませんでした。

武則天についてのまとめ

いかがでしたか?

今回は中国三大悪女の一人にして、中国史上唯一の女帝となった武則天について紹介しました。才色兼備の彼女が、いかにして高宗の寵愛を得て、権力を奪取していくかはとても見応えがある物語です。儒教的な価値観に照らすと、政治に介入した女性というネガティブな捉え方になりますが、男性をはるかにしのぐ力で国を統治したと考えるととても現代的な女性に見えてきます。

ただ、権力を奪取する過程でライバルを惨殺したり、反対者を根こそぎ処刑するなど残虐な仕打ちが目立ったのも確かです。その意味で、鋼材相半ばする人物といえるでしょう。

読者の皆様が、武則天の人生や武則天の功績、伝説などに対し「そうだったのか!」と思えるような時間を提供できたら幸いです。

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