派手!派手!とにかく派手な私生活
当時のフランスでは社会現象にまでなり、並ぶもののない名声と金を手に入れた大デュマは、その派手を極めた私生活も有名です。
豪邸を建てて毎日のようにパーティーを開き、非常に多くの女性と浮名を流すなど、大デュマの人間的な評判は決して良いものではなかったことが記録されています。特に女遊びは非常に盛んだったようで、大デュマには有名な小デュマ以外にも、幾人かの私生児が確認されています。
とはいえ、そのような派手好きは悪いことばかりではなく、彼の極端なまでのグルメ志向はその晩年にとある成果を結ぶこととなります。彼の死後に結実したその成果については、後のトピックで詳しく語らせていただきますので、是非読み進めていただければ幸いです。
現代でも話題となるデュマとその作品たち
当時のフランスで並ぶ者のない名声を得た大デュマとその作品は、現代に至るまで盛んにリメイク等が行われ、現在も見継がれ読み継がれています。
ディーン・フジオカ氏が主演を務めた『モンテ・クリスト伯 -華麗なる復讐-』などは、皆様の記憶に新しいかと思いますし、それよりも少々前ですが2004年には『巌窟王』の題名でアニメ化も行われ、そちらのイメージから大デュマの作品を知った方も一定数いるのではないでしょうか。
また、スマートフォン向けゲーム『Fate/Grand Order』には、『モンテクリスト伯』の主人公であるエドモン・ダンテスがキャラクターとして登場。主人公に味方するダークヒーローとして、非常に高い人気を誇っているほか、シリーズのノベル版『Fate/strange Fake』においては、大デュマ自身もキャラクターとして登場するなど、大デュマ本人のキャラクター化も盛んです。
このように、大デュマは作品のみならず彼自身についても描かれることが多く、それもまた大デュマの名声を現在に語り継ぐ要素となっているのです。
アレクサンドル・デュマ・ペールの主な作品リスト
※主要な作品のみのリストとなっております。全作品ではありませんのでご留意ください。
- 1829 アンリ3世とその宮廷(戯曲)
- 1831 アントニー(戯曲)
- 1832 ネールの塔(戯曲)
- 1833 旅行の印象(旅行記)
- 1837 カリギュラ(戯曲)
- 1839 ポール船長
- 1840 ナポレオン
- 1840 ジョン・デイビスの冒険
- 1844 三銃士
- 1845 二十年後(三銃士続編)
- 1845 モンテ・クリスト伯
- 1845 王妃マルゴ
- 1846 モンソローの奥方
- 1847 四十五人隊
- 1847 モンソローの奥方(戯曲)
- 1847 ブラジロンヌ子爵または10年後、あるいは三銃士の20年後
- 1849 千霊一霊物語
- 1860 ガリバルディの思い出
- 1861 シャンブレー夫人(戯曲)
- 1864 サン・フェリーチェ
- 1864 サン・フェリーチェの運命
- 1867 鉄仮面
- 1868 ガリバルディ義勇軍
- 1870 大料理事典(死後出版)
アレクサンドル・デュマ・ペールの功績
功績1「“小説工場”とすら呼ばれた多作ぶり」
復讐物語である『モンテクリスト伯』や騎士道物語である『三銃士』だけでなく、大デュマは歴史ものから恋愛ものまで、非常に多種多様な作品を残しました。その作品総数は余裕で100作品を超え、特に彼の全盛期であった1844年~1845年には14本もの作品を出版しています。
当時の大デュマは「1日の内12時間から14時間は働いていた」という記録があるほか、その速筆によって「小説工場だ」と評されていた記録も残り、それらは端的に彼の異様な仕事量を物語っていると言えるでしょう。
ただし多作ぶりは良いことばかりではなく、大デュマは生前に何度も著作権訴訟を起こされ、特に『三銃士』の執筆で協力したオーギュスト・マケとの泥沼の訴訟合戦は、彼の名誉を汚す結果にもつながりました。現在でこそ「偉大な作家」と評される大デュマですが、当時は人気作家であると同時に、疎まれる一面も多い人物でもあったようです。
功績2「成りあがりと不屈の男でもあった」
派手な生活や名声の部分がクローズアップされやすい大デュマですが、彼は決して恵まれた環境で作家になったわけではありません。むしろ少年期の彼は貧困の中にあり、そうした意味で彼は、非常に成りあがり性が強い人物だと言えるでしょう。
また、晩年の没落後も大デュマは諦めることなく執筆を続けています。その頃の大デュマは「小説の腕が落ちてきた」と評され、落ち目の作家となりつつありましたが、彼は今度は自分のグルメ志向を生かして『料理大辞典』を執筆。彼の生前にそれが出版されることはありませんでしたが、筆を折ることのない不屈性と柔軟さが、彼の偉業を支える骨子となったのかもしれません。
功績3「多くの作家と交流を持った人物 」
有名作家であると同時に、現代で言うところの“パリピ”に近しい性格だった大デュマは、当然ながら多くの人物と知り合っており、その中にはやはり有名作家も数多く存在していました。
とりわけ親交が深かったのは『レ・ミゼラブル』で有名なヴィクトル・ユーゴー。彼は大デュマの『三銃士』を非常に高く評価していたことが記録され、大デュマが劇作家として大成するための助力をした人物だとも言われています。
他にも、フェミニズム運動の先駆けでもあったジョルジュ・サンドとも親交が深く、童話作家であるアンデルセンとも親交を結び、その作風に少なくない影響を与えたことが示唆されています。異常な多作とテーマの広さで知られる大デュマですが、その多作の根源は多くの作家や人物との交流にあったのかもしれません。